三、他の犠牲
「いやああああ」
羽花の悲痛な叫び声が公園内に木霊する。
彼女の真横に倒れこんだ少年の体には先程まで宙を彷徨っていた無数の糸が貫いており、そこから流れ出た血液が二人を支える白い地面を染め上げている。
今すぐにでもこの腕で抱きしめたい、確認したい、助けたい。
それなのに体が動かないどころか、先程まで頑なに閉ざされていた口がようやく開いたかと思えば絶望の声が溢れ出るだけで、伝えたい思いは出てこない。
「で?」
横たわる羽花に顔を近づけしゃがみ込んだ傀儡は、厭味ったらしく笑みを浮かべ話しかけた。
「覚悟は良いの?」
羽花はその問いかけに答えることなくそっと目を閉じた。
ーーーー大丈夫。
たとえ私がいなくなっても、私よりも優秀な術者は他に沢山いる。
むしろ正統後継者が一人欠けたことにより様々ないざこざがあったから、一度リセットした方が術者界は動きやすくなるのではないだろうか。
目を閉じた羽花の行動を肯定と受け取った傀儡は、体中から延びる糸の矛先を変えようと力の調節を始めた。
「七代目正統後継者、途絶えたり」
つい数分前までの標的の体を貫く糸を回収しようとした時、自分の体に起こる異変に気が付いた。
「な、ぜ」
傀儡が振り返った先。
そこには先程の攻撃で横たわる雪の姿があった。
問題なのはそんな彼の体から伸びる無数の糸だった。
彼の体に触れている面から冷たく固い氷で覆われ、完全に動きを留められているその糸は何をしても動く気配はない。
唯一の攻撃を封じられた傀儡は沸々と込み上げる怒りに任せ、小さな体を蹴り飛ばす。
「最後の最後まで、どこまで邪魔な存在なんだ!!!
なぁ、忌み子!!!」
鈍い音が響き続け、その度に雪の形が変わる音が微かに耳に届く。
ーーーーやめて。
心の中で何度そう叫んだだろうか。
しかしその思いは当然傀儡に伝わることなく、彼の動きを止めることは出来なかった。
どれくらい時間が経ったのか。
ピタリと動きを止めた傀儡は、どうやら何の反応もなくただひたすら受け身の雪に興味が無くなったらしい。
彼の今の目的はただ一つ。
誰一人としていなくなった邪魔者、完全に身動きが取れなくなった標的。
己の地位を上げる力を吸収する時が来たのだった。
「お仲間ごっこは楽しかりきやな?」
傀儡が見下ろす少女は、彼女のトレードマークの二重の瞳が薄らと開けられ苦しそうに息することが精一杯のようだった。
攻撃の術を失った傀儡は自力でその力を得ることにした。
天から選ばれし稀有な少女の息の根を止めようと、首元に手を伸ばす。
「さらば、裏切…うがぁぁああ」
悲鳴が聞こえ、そっと目を開けた羽花が見たものーーーーそれは全身が分厚い氷で覆われる男の姿だった。
表情すら変えることが出来ない羽花のその驚きは誰に伝わることも無い。
この中の誰よりも最後まで力強く立ち続けた男は、それっきり動きを見せることは無かった。
それもそのはず分厚く固い氷に閉じ込められた男はその瞬間から、もう命の灯火は消えていたのだから。
「ゆ、き」
そんな傀儡の様子を見た羽花は、少しだけ落ち着いた辛さの合間に蚊の鳴くような声でぽつりと呟いた。
ーーーー間違えるはずがない。
この攻撃は私には使えない。
それに家の術者の中にこの術式を持つ者はもういないのだから。
羽花の推測は正しかった。
傀儡と雪が交戦を始めた時から、彼が何度も浴びた雪の結晶。
何のダメージも無いただの水滴。
それらは傀儡の皮膚を伝い、全身を覆うように染み込んでいった。
痛みも、痒みも、痺れもない。
ただ煩わしいということだけが取り柄の、重要性のないあの攻撃が今となって本領を発揮してきたのだった。
傀儡の体に染み込み覆い尽くした雪の力は、一瞬にして凍結し始め分厚い氷となって彼の体を包んで行った。
雪は証明した。
例え何の影響も与えない小さな事柄に過ぎなくても、時間をかけ諦めずに繰り返せば、それは大きな力となって自分の味方になると。
馬鹿にされたとしても、無駄だと否定されたとしても、彼は決して諦めなかった。
そんな彼が自分の手で掴み取ったこの勝利。
自分の価値を自分で証明した彼がいたからこその結果だった。
「お、姉ちゃん」
その時羽花よりも小さく、途切れた声が隣から聞こえ視線を動かす。
「勝った、ね」
ヒュウヒュウと空気の抜ける音を出しながら、雪は懸命に言葉を紡ぐ。
それに感化されてか、羽花も体に鞭を打って声を出す。
「話、さない……で。雪の、お……かげ、でしょう?」
「僕が、戦えたの、はお姉ちゃんのおかげ……だ、よ」
周囲を染めていく赤は止まることを知らない。
それに気がついた羽花は焦ったように問いかけた。
「ど、して」
言葉足らずのその声も、雪は理解し答えた。
「僕は、忌み子だ、から」
本来魔物はある急所を除き、回復が可能である。
魔物によってその回復速度は異なるが、人間のように傷を負ったらそのままということは基本的に無い。
あの傀儡もこの戦いでたくさんの傷を負ったが、その多くは彼の持つ類まれなる回復速度で跡形もなく消えていた。
しかし雪はまるで人間のように一度傷ついた箇所はそのまま変化することなく、むしろ悪化の一途を辿っていた。
その答えは彼自身の答えた、そして耳にタコができるほど傀儡な口にした『忌み子』が関係していた。
雪の体内を流れる雪女の血が、その命を永らえることに賛成していなかった。
そのせいで雪は与えられた力を使うことは許されても、有り余るほど体内に流れる膨大な力を回復に使うことは一切出来なかったのである。
それでも今まで生きてきたのは唯一許された攻撃という手段で自分の身を守っていたからである。
『攻撃は最大の防御なり』
昔からそう言われていた通り、雪は攻撃することで自分の身を守っていたーーーー回復術が使えなくても。
しかし傀儡相手にそれは通用しなかった。
いくら最上位に近い雪女の力を受け継いでいるとはいえ、相手も上級の魔物。
当然交戦したら無傷なずがない。
同等のレベルもしくは少し相手の方が上という条件で、回復術の有無は勝敗に大きく関係する。
今回雪の勝利で収めたこの戦いの代償は、彼の命なのである。
これは彼が生きている限り付きまとう最大で最強で最悪の餞別なのかもしれない。
心が悲鳴を上げる。
泣きたいほど苦しく、悲しいはずなのに、あの日から忘れてしまった涙の流し方。
「な、かないでよ。おね、ちゃ」
そのことに気がついた雪は顔をこちらに向け、困ったように笑った。
涙が流れていなくても、心が泣いている羽花に気が付いたのだった。
「これ、」
痙攣する手を伸ばし羽花の元へ置いたのは、先ほど宙を待っていた見慣れた色の集まりだった。
どうやら姿が見えなかったのはこの小さな欠片を集めていたかららしい。
「せ……めて、最後は、みんなに、」
見送って欲しくて、そう嬉しそうに笑う雪から視線を背ける羽花の目からはとめどなく溢れる涙があった。
「さ、いごじゃ」
「あ、とこれ」
その言葉と同時に雪の服から顔を出し現れたのは、いつぞや見た姿ーーーー「……リス?」
そうある日帰宅した際に玄関先に落ちていたものと全く同じ。
あの時と唯一違うのは、リスが自由自在に動き回っている事だった。
ひょっこりと顔を出したリスはそのまま雪の上に小さく可愛らしい足跡をつけ羽花の真横に来る。
それを確認し、雪はただ一言「頼んだよ」そう口にした。
その言葉に振り返ったリスは再び前を向き、小さな前足で羽花の左手に触れた。
その瞬間辺りには漆黒の光に包まれ、あまりの眩しさに各々目を細めた。
一瞬光を放った左手はそのまま何事も無かったかのように静まり、先程までの光景が戻ってきた。
「…あ、れ?」




