糸の先の決意
「力を貸して」
その強く何かを決意した声とは裏腹に、彼の表情はどこか寂し気だった。
何故そのような顔を見せるのか、私達には到底理解できず一体その言葉に何て返していいのかわからなかった。
彼のその言葉は問いかけではなく、私達に命じられたものだった。
どうしていいのかわからずお互いの顔を見合わせ、また少年を見つめ。
それらを繰り返していると不意にある人物が足を踏み出した。
「はい、ご主人様」
未だ目が泳ぐ一人を置いて先に新たな一歩を踏み出したのは、マリアだった。
マリアは先程自分の身に起きた出来事を思い出し、目を瞑る。
地面に叩きつけられた痛みにさらに激しい痛みが加わったのは、傀儡がマリアを踏みつけたことによるものだった。
しかし自ら意思を主張できないマリアは、ただ静かにその痛みを紛らわせていた。
主人の怒り、憎しみの感情が足を介して伝わってくる。
それらは強い力となりマリアの体を痛めつけた。
自分の意思で動かせない体でぼんやりとそんなことを考えていると、その声は聞こえた。
「足、離してよ」
怒りを含んだその声は、マリアの細い右腕を掴み、自分よりも遥かに大きい体を睨み付けた。
一瞬マリアは自分の身に起こったことが理解できなかった。
気が付くと主人の傍から離れ、足跡一つない真っ白な空間にマリオと共に移動していた。
マリアは雪の片腕に抱かれながら、ぼんやりと傀儡を見つめる。
「あの人が私達のご主人様……」
この力を手に入れてからずっと長い月日を傀儡様のすぐ隣で過ごしてきた。
今日初めて、遠くから彼を見て思う。
ーーーーそうか、あの人が。
嘗ての私は傀儡様のお役に立てることが生きがいで、傀儡様がいなければ自分の命などあってないようなもの。
自分が人形として命を宿したのも全ては傀儡様のおかげ。この体も、力の全ても傀儡様に捧げるためだけにある、マリアはそう信じていた。
マリアと傀儡が出会って数日後。
二人の中に溶け込んだ人形がいた。
その人形は男の子で、とても優しい子だった。
「マリオ!」
「…マリア?」
ある昼下がり。
夜に行動する魔界では、昼間に睡眠をとる者が殆どだった。
傀儡も例外なく夜になれば人間界に侵入したり、行き来した魔物から話を聞いたり、活発に動く夜型だった。
主人不在のこの空間で、マリアは小さな声で隣に座るマリオに声をかけた。
まさかこのタイミングで名前を呼ばれると思っていなかったマリオは、戸惑いながら顔を向けた。
「ご主人様のこと、どう思う?」
「え?」
不意の呼びかけ、思いがけない質問に目を丸くしたマリオは正面を向き考える素振りを見せた。
少しの沈黙が続き、マリオの口が開かれたのはその時だった。
部屋の時計が午後二時を示し、軽快な音楽が鳴り響くのと同時にその声は聞こえた。
「いい人だよ。こんな僕を助けてくれたんだから」
それからマリオは今まで自分の身に起こったことを教えてくれた。
迎えてくれた人間の家、そこの子供に雑に扱われ、時には苛立ちの捌け口にされ何度も殴られ、壁に叩きつけられたと彼は悲し気に笑っていた。
その子が大きくなってからは忘れ去られたように部屋の片隅に転がされ、ずっと独りだったという。
ある日、母親が部屋に来て息子に声をかけた。
「いい加減要らないものは捨てなさい」
「そうして僕は沢山の不要物に囲まれ、袋に押し込まれた」
マリアは綺麗な横顔を見つめながら思い出していた。
自分も同じような境遇だった、と。
「ある雨の日のことだった。
外に出された僕達は誰の視界に入ることもなく、ただ時間が過ぎるのを待つだけだった。
誰も僕たちを迎えに来ない、あの子が戻ってくることもない」
マリオは悲しそうに微笑み言った。
「わかっていた。だって最後のあの子の顔はもう僕のことなんかどうでもよさそうだった。
スマホという物から視線を上げず、母親に持ち去られる僕達のことなんて眼中にもなかった」
ーーーーあぁ、わかる。
マリアはズキズキと痛む体を抑え、耳を傾けた。
ーーーー私達には本来ないはずの心臓が痛みや悲しみを訴える。
「何度朝が来ても夜が来ても、僕たちを迎えに来るものは誰一人としていなかったんだ。
今思えばゴミの回収日を無視していたんだと思う。
おじさんが『しっかり守ってくれよ』と煩わしそうに僕達を見ていたから」
「でもこんな僕を神様ーーーいや傀儡様は見捨てなかった」
表情を一変させ、キラキラと輝く目で振り返ったマリオは満面の笑みで言った。
「『いとほしく。俺のところに来ると良い』
その声が聞こえてさ、閉じていた目を開けたら袋越しに目が合ったんだ。
優しく微笑みかけてくれた傀儡様はまるで神様のようだった。
きつく閉じられていた袋を開け、僕を拾い上げてくれた時に僕は思ったね。
”絶対この人について行く”って」
「私も、」
マリアはずっと閉じていた口を開き、自分の思いを伝えた。
「私も同じように傀儡様に救われたの。
私の最初のご主人様は中学生の女の子だった。
その子は学校でいじめにあっていて、その苦しさ・辛さは全て私が受け止めた。
時にはハサミで髪の毛を切られることもあったし、カッターで切られることもあった」
マリアは綺麗に切りそろえられた自身の爪を見ながら呟く。
「きっとそれはあの子が他の誰かにされたことだったんだと、ある日気づいたの」
同じ痛みを味わって、あの子の苦しさに少しでも寄り添ってあげられたら良かった。
けれどその役目は私じゃない。
道端に放り投げられ、道行く人の注目を浴びながら何度も自分に言い聞かせる。
あの子が待っているのは寄り添ってくれる人形なんかではなく人間なんだ、と。
所詮人形は娯楽のためのお飾り。誰かの心を支えるなんて出来ないのだと痛感した時、その人は現れた。
「いとほしく。俺のところに来ると良い」
優しく温かい手に抱えられ、私は思った。
「この人に会う為に私は今日まで存在していたんだって。
私はこの人なしじゃ生きられない、絶対にそばを離れることはないんだって」
そう思った、小さな声はしっかりと隣のマリオに届いていた。
マリオは隣の小さな手を握りしめ
「じゃあ僕達は傀儡様の為に生きる。傀儡様を裏切ることなんて一生ない」
そう言ってにっこりと笑った。
その優しい笑顔につられ笑みを見せたマリアもまた
「あたりまえよ」
そう答えた。
もうすぐ傀儡様が姿を現し、私達の仕事がやってくる。
二人はゆっくり目を閉じ、自分を救ってくれた神様の為になるよう体を休めるのだった。
あれからとても長い時が経った。
何度も人間界に侵入し沢山の術者の命を奪ってきた。
全てはあの日の恩返しのため。自分を救ってくれた傀儡様のため。
ーーーーけれどそれももう終わりにしよう。
マリアは対面する少年を見上げ口を開く。
「私マリアは、ご主人様のお力になるべくこの身を捧げる準備は出来ております」
その言葉に誰よりも驚いたのは、一歩後ろにいるマリオだった。
「マリアッ!?」
彼は声を荒げ、彼女の細い肩を強引に掴む。
「どうして!?傀儡様を裏切るつもり!?」
彼の迫力に一瞬口を噤んだマリアは、意を決しその腕を払いのけた。
そんな彼女の行動により目を見開いたマリオはだらりと腕を下ろし、悔しそうに俯いた。
「あの言葉は嘘だったの?」
『じゃあ僕達は傀儡様の為に生きる。傀儡様を裏切ることなんて一生ない』
『あたりまえよ』
震えるその声に息を吐き出したマリアは悲しそうに告げた。
「あなたも気づいているでしょう?マリオ」




