弱者と嫌悪
「お姉、ちゃん」
力なく繰り返されるその言葉は、宙にぶら下がる人形には届かなかった。
ただ糸の動きに合わせ揺れるその体を、雪はぼんやりと眺める。
「愉快、愉快。
天から認められた貴重な人材がこうもあっけなく消えるなんてーーーー」
「お姉ちゃん、」
「馬鹿馬鹿しい」
笑みを浮かべていた顔を一変させ蔑視する口から出た言葉に、雪は口を真一文字に結んだ。
上を見上げていた顔が徐々に下がっていく様子に気が付きながら、傀儡は再度宙を眺め言葉を吐く。
「そう言えば美蚊が言っていたな。
『厄介なのは正統後継者よりも上の代』だと。
いとほし。
本来ならば最も強く、信頼されなければならないというのに。
一番敵に恐れられる存在でなければならないのに。
証を持たない並みの術者に劣るなんて、いとほ」
「やめてよ」
傀儡の言葉を遮るように声を上げた雪は、俯いたままゆっくりと立ち上がった。
固く握られた拳、手のひらには爪が食い込み流れる赤が地面を汚していく。
先程の吐血に加え、彼の白い肌には鮮やかな赤色が華やかに咲き誇っている。
「ん?なんて言った?」
「もう、やめてよ。これ以上お姉ちゃんを馬鹿にするな」
「俺に命令するな。忌み子の分際で」
あんなにも笑顔の安売りをしていた者とは思えない程冷徹に雪を見下ろす傀儡は、見せつけるかのように握っている棒を動かす。
吐き気を催すほどの不快音が辺り一面に鳴り響く。
その音が背後から聞こえた雪は、頑なにそちら向こうとはしなかった。
見なくても、音だけでどんなに悲惨な光景が広がっているのか検討はつく。
それをわかっていながら、自らを追い込むような馬鹿な真似はしない。
そう自分に言い聞かせた雪は恐怖に支配される目を細め、目の前に立つ傀儡を睨み付けた。
その視線と交わった傀儡は、にやりと怪しげに口角を上げた。
「おいおいおい、まさか俺と戦う気じゃないだろうな?」
緊張からか、はたまた全身を襲う恐怖のせいか。
荒い呼吸を繰り返す雪は、傀儡の問いに口を開かずにいた。
その行動に更に気を悪くした傀儡は、大きく舌打ちし自分よりも遥かに小さい存在を見下ろし睨み付ける。
「ヒーローになって、お姫様を助けるって?
そは美しき夢かな」
夜の公園に、一人の男が手を叩き合わせる音が鳴り響く。
「だが忘れるなよ、忌み子。
今までの、いつ、どこで、お前が俺に勝ったんだ」
「調子乗んじゃねぇぞ」
傀儡は手にしている複数の棒のうち、いくつかを放り投げた。
その瞬間棒と繋がっている糸はぷつんと切れ、支えを失ったそれははらはらと力なく地面へ落ちていった。
どさりと何かが地面に叩きつけられた音がし、雪は恐る恐る振り返る。
”何か”なんてわかりきっていたが、ほぼ反射のように体がそちらに動いてしまったのだ。
雪の目に光はなく、ただ景色の一部としてその光景を受け入れた。
ぐしゃりと叩きつけられたそれは本来の形を保ってはいない。
天と地がひっくり返ったように、頭が下に足が上に、まるで知恵の輪のように絡み合う肢体。
それに驚くことなく確認した雪は、俯きながら再び傀儡に向き合った。
「無駄だ、忌み子は俺に勝てない。
今までも、これからもーーーー世界が変わることなんてありえず…!!!」
「そうだね」
無邪気で純粋な可愛らしい声が、低く憎しみのこもった声へと変わりこの場に響き渡った。
「僕があなたに勝てる日なんて来るわけがない。それでもーーーー」
俯いていた顔を上げ、傀儡を睨み付ける鋭い瞳。
冬の象徴、寒さを表す『青色』の瞳から、憎しみという熱を込めた『赤色』の瞳へ。
瞳も口元も、手のひらも真っ赤に染めた雪は自分の力の全てを出し切る覚悟で、傀儡に挑んだ。
「僕だって許せないことがある。
だから勝てなくても、殺せなくても。
せめてあなたがもう二度とその術を使えないように、僕がその指を全部切り落としてやる」
憎悪の念を抱き細められていた目が大きく見開かれた時、突然地震のような大きな揺れが起こった。
「なんだ?」
不意の出来事に傀儡は辺りを見渡しながら呟いた。
「第一陣 沫雪」
地面から現れた大量の雪だるまから雪の結晶が放たれ、穏やかな風に乗り傀儡の元まで飛んでいく。
手のひらサイズの雪だるまは、自身を形作る雪で攻撃を放っているため徐々に体は小さくなり、最後には跡形もなく姿を消していく。
それでも攻撃が止まらないのは、消えてもまた新しい雪だるまが地面から現れ、途切れることなく増え続けているからだった。
風に吹かれ行き先を変化させるほど宙を舞う雪はとても軽い。
傀儡の身を守るように前にそびえ立つ二体の人形は、その雪を体中に浴びるがすぐに溶けてしまい、何の影響もない。
「ふっ、相変わらずの雑魚だ」
その無意味な行動を鼻で笑い、傀儡は一体を雪に向かって動かした。
持ち主の指示に従った人形ーーーマリオと呼ばれた男の子は一直線に雪の心臓を目掛け目にも留まらぬ速さで突き進んでくる。
「第二陣 雪洞」
雪の周囲を囲むように雪の壁が出来上がり、マリオの行く手を阻んだ。
「無駄だ、無駄だ。
そんな壁は無意味だ、忌み子!!!!!」
怯むことなく突き進むマリオと雪壁の距離僅か五メートル。
傀儡は地面に積もる雪を力強く踏みつけ大声で叫んだ。
ギリギリと力を込めた足は、柔らかい雪に飲み込まれ体重を支えていた足と同じ高さまで沈みこんだ。
「雪は俺には勝てず」
「そうだよ、僕は勝てないよ。でも、」
ゴンッ
鈍い音が鳴り響きその姿は柔らかい雪の中に身を埋めた。
その結末に目を見開き、狼狽えた。
「どうして、」
「弱者は弱者なりに足掻かせてもらうよ」
壁に勢いよくぶつかり体を歪ませたマリオを気に止めることなく、雪は壁を壊し飛び出した。
「第三陣 細雪」
雪が手のひらを傀儡に向け狙いを定めると、そこから細かい雪が放たれた。
その雪の粒はまばらに飛んでいき、傀儡の体に触れた。
傀儡の体に触れたことにより解けたその雪は、液体となりそのまま姿を消した。
「……弱すぐ」
黒いマントの隙間から覗く自身の腕を伝う水滴を宙に掲げ眺めた傀儡は、顔を顰め吐き捨てた。
途切れることなく体に触れては形を変えるそれに苛立った傀儡は指先で雑に拭い、再び棒を持ち直す。
「弱い奴が藻掻く姿はいとをかし」
醜いことこの上ない、そう呟いた傀儡の隣に座っていた小さな人形は持ち主の指示でゆらりと立ち上がりスカートの裾を掴みお辞儀をする。
「マリア」
「はい、傀儡様」
下げていた頭を上げ正面に立つ雪を見つめながら、マリアと呼ばれた人形は答える。
「弱者に相応しいのは汚れた地べただ。
あの忌み子を地に這いつくばらせて来い」
「はい、傀儡様」
マリアは傀儡の小刻みで複雑な動きに従順に従い、機敏な動きで雪を翻弄する。
右からの強打、二人を繋ぐ絆によって切れる皮膚、絡まり自由を奪われる右足。
「っ、」
雪はどんどん自分が追い込まれていることに気が付き、悔しそうに顔を顰めた。
ーーーーそうだ僕は弱いんだ。最初からわかっていた、敵わないって。
だって僕は愛情なんて知らない。
あなた達みたいにずっと一緒にいて、苦楽を共にして、強い絆で結ばれている人には絶対にわからない。
忘れもしないあの日。
いつまでも心を締め付けるあの言葉。
僕はこの先もずっと許さない。
自分の体内を流れるこの血の持ち主を、僕を産んだあの女を。
だから僕は『魔物』が嫌いだ。




