新たな扉-4
「そんなことがあって、今の私のスタイルが出来たの」
ホッと一息つき、彼女は立ち上がった。
それを見つめていた羽花は彼女の手元に視線を移す。
そこには先程までの真剣な表情をしていた術者:鳳莱茉莉ではなく、隣の家のお姉ちゃんである茉莉姉の姿があった。
彼女は机に山積みに積まれた書類に目を通しながら口を開いた。
「私は人の数だけ道があると思った。
皆同じ道を歩いているようで、それぞれ思っていることも感じていることも違う。
全く同じだなんて早々ないと思うのよね」
「うん」
「だから羽花のその道も間違っていないと思うわ」
「……うん」
羽花は自分の爪先を見つめながら返事をする。
「でも応援は出来かねるわ、少なくとも私は」
二つの山に分けた書類の片方を手に取り、シュレッダーにかける音がこの部屋に響き渡る。
機械に吸い込まれたそれは、細かく刻まれ本来の形には到底戻ることは出来ない。
「けれど」
トントンと机を弾む音が、暫しの騒音の後に聞こえた。
それまで黙々と同じ動作を繰り返していた茉莉は、ようやく新しい作業に取り掛かった。
「そんな世界を見てみたい、そうは思うよ」
パチンッ
バラバラだった一枚一枚が束になり、一つの形に変化を遂げようやく茉莉は振り返った。
絵本の物語を語るようにどこか夢見心地な彼女は、膝を折り姿勢を正し羽花と向き合う。
「自分の信じた道が例え茨の道でも、それでも私は進んで欲しい。
応援できない私が言っていいことじゃないのは分かってる。でも、」
「弟と一緒に頑張るって言ってくれるのすごく嬉しかった。
ありがとう」
細められた彼女の目がキラキラと光を反射していたのは気のせいだろうか。
それでも羽花はそれに対してではなく、最後にどうしても伝えたいことを口にした。
「この夢を叶えて、絶対に最強の術者になります。
翔と一緒に」
口からすんなりと出たのは、以前から宣言していたこの言葉だった。
羽花はどんなに悲しく辛いことがあっても、自分を奮い立たせる嬉しさがあっても、沢山の感情が渦巻いても。
いつだってこの目標が崩れることはなかった。
彼女の目指す道は今始まったことではない。
昔から、本格的にやりたいことが見つかる前から、
まだまだ小さく頼りない子供の時からその根本は変わらないのだった。
羽花の宣言に微笑み立ち上がると茉莉は左手を差し出した。
「私も負けないように頑張るね」
自分より遥かに上にいる先輩が、自分を対等な存在として競い合ってくれることに歓喜し、勢いよくその手を握り返した。
二種類の紋様が交わり合い、二人は笑みを浮かべた。
時刻は既にお昼を回ろうとしている。
数時間前とは別人な顔持ちで帰宅した羽花の姿を見送り、茉莉はスマホを片手に布団に寝転んだ。
「……はい」
数回の呼び出し後、掠れた声が電話口から聞こえる。
「もしもし?今大丈夫?」
「おー」
なんとも気の抜けた返事が聞こえたが、茉莉はたった今自宅に戻っていた少女のことを伝えた。
「そっか、わかった」
「寝てた?」
「まさか」
鼻で笑う声が聞こえ、自分の想像が的中していたことを知った。
何よりも妹が大好きなこの男が、眠れるはずがないのだ。
傍から見たらストーカーだと思われるかもしれない。
けれど、私達には一生背負っていく罪がある。
「ねぇ、朝陽?」
「ん?」
「本当にいいの?」
茉莉は最後の確認のために静かに問いかけた。
「ああ」
間髪入れず帰ってきたその答えに了承し、どちらともなく通話を終了した。
私達が背負っていく罪。
『正統後継者強奪の儀』に失敗したこと。
私達は蓮水羽花・鳳莱翔がもつ正統後継者という肩書きを、本人の了承を得ずに奪おうと躍起になっていた。
別にその名誉ある肩書きを手に入れたかった訳では無い。
大切な妹・弟に少しでもクラスメイトと同じ生活を送らせてあげたかったのだ。
正統後継者はその肩書きがあると言うだけで、責任をもって異門の解放時間中の全ての任務を担当しなければならない。
その時間の拘束に加え、求められる技術は一段と難しくなる。
それに正統後継者は魔物にとって、手っ取り早く膨大な力を吸収できる効率の良い存在。まさに恰好の餌食であった。
だからこそ、自分達がその役目を担いたかった。
後から怒られても、攻められてもいいから、せめて二人の幸せだけは守りたかったのに。
あの日ボロボロの姿で泣き叫んで帰ってきた羽花を見て間に合わなかったことを知った時、自分達の非力を恥じた。
それと同時に幼く尊い命が失われたこと、残された者の絶望感と重圧に二人の心は抉られた。
――自分達が間に合わなかったせいでこんな犠牲が。
両家に数十年ぶりに現れた正統後継者。
それだけで周りの大人達の二人への扱いはどこか腫れ物を扱うようなものだった。
貴重な"証"を持つ者を死なせるわけには行かない反面、誰よりもその力を求める魔物に狙われる存在。
大切な妹・弟だからこそ、そんな息苦しい環境に居させたくなかった二人は、どうにかその座を奪おうと藻掻いた。
方法がわからず途方に暮れ、いざその試練に挑んでも一度たりとも合格することはなかったとしても。
そうしている間に起きたあの事件。
二人は優しい心を持った一番上の兄姉だった。
もしかするとこの件で一番悔やんでいるのはこの二人かもしれない。
だからこそ、二人はもう迷わない。
兄弟の中で一番幼いこの少女を、何が何でも守り抜くと。
まだまだ伸び代だらけの羽花を優しく、時に厳しく成長を見守り立派な術者にさせると。
あの日決めたのである。
そのためには――
『なあ、茉莉。
今回の件で頼みがある』
「なによ、変な事じゃないでしょうね?」
『残念ながら至って大真面目だよ』
息を吐く音が聞こえ、言葉が察せられたのはすぐの事だった。
『俺に、今回聞いた内容は言わないで欲しい』
「え?」
『頼むよ』
「しつこく聞いてくるのがいつもの朝陽、でしょう?」
『駄目なんだ』
切なそうに揺れるその声は、普段の彼からは想像もつかないほど頼りないものだった。
『俺は絶対に反対してしまう。
それじゃあ駄目なんだ、羽花の可能性を潰してしまう』
「それでも朝陽の意見も必要じゃ、」
『そりゃあ危ない目には合わせたくないさ。
出来ることなら全部俺がやって、羽花には普通の中学生になって普通の暮らしを送って欲しい』
『でもそれは無理なことだから。
ならせめて、いい加減。
妹離れするよ』
強く決意したその声が茉莉の耳に真っ直ぐ届いた。
ずっしりとした根を張るような堂々とした声なのに、茉莉には何故か泣いているようにも聞こえてしまった。
しかしそのことを口にすることはなく、茉莉はただ一言「わかった」そう答えた。
『後は頼むな』
朝陽のその一言で通話を終えぼんやりしていると、階段下から聞こえてくる母と羽花の声に慌てて体制を整えた。
「茉莉姉、ありがとう」
頬を染め帰ってきた羽花に、私はきちんと笑えていただろうか。
※ ※ ※ ※
「妹離れ、か」
男はスマホを持つ右手を額に当て、ポツリと呟いた。
七つ離れた妹が産まれた時から、可愛くて仕方がなくて溺愛して。
いつも俺が守っていた。
泣き虫で、小さい羽花ちゃんはいつも俺の後を着いてきて、
幼いながらも「俺が守らなきゃ」なんて使命感に燃えていたんだ。
もう一人妹はいるけれど、
「ごめんなさい。流石に辞めて欲しいです」
なんて気まずそうに言われたら出来るはずがない。
勿論羽花ちゃんと同じくらい大切だし、守ってやりたいけど、それを表に出すと優美は嫌がるから――溺愛っぷりは心の内に秘めていた。
羽花ちゃんは昨夜から今朝の任務で、きっと何かを掴んだはずだ。
これは長年彼女の兄をやっている俺の勘だ。
俺は妹に対するその勘昔から恐ろしい程当たってしまう。
だから何となく、今妹が考えている方向性も大方予想がつく。
だからこそそれを本人の口からきいた時、自分が反対するとわかっているんだ。
けれど今までは何も無く無事に過ぎていたこの反対も、
「成長しようとしている羽花を閉じ込めるものなら、」
額に置いていた腕が力なくだらりと下がったことにより、隠されていた目元が顕になった。
「俺はもう、背中を見せるのは辞めるよ」
顕になった目元からは滂沱の涙が流れていた。




