新たな扉-3
――相手の注目は集めた。あとは、
茉莉はちらりと魔物に視線を向けた。
そこには幼い少女一人を必死に追いかけまわす醜い姿があった。
茉莉のしなやかで、それでいて俊敏な動きに初めは混乱していた魔物も時間が経つにつれ慣れてきたようで、伸ばされる手は先程から茉莉の体に触れる寸前のところまで来ていた。
「そろそろかな」
まさに静と動の揺さぶり。素早い動きからピタリとぶれることなく急停止した茉莉はそのまま自身の右目に触れた。
思いがけない行動に一歩で遅れた魔物は、それでも大きな体に対しては素早い動きで茉莉から距離を取った。
茉莉のオレンジ色の瞳は淡い水色へと変化していた。
その瞳が映し出す景色。それは――
「ッ!?」
飛びのいた魔物の体に巻き付く強力な風は、大きな体の自由をいとも簡単に奪う。
身動きが全く取れなくなった魔物は何とか自由を手に入れようともがくが、先程まで格下だったはずの男の術式が鉛のように重かった。
「グワアアアアアア」
その時不意に全身に突き刺さる激しい痛みが、魔物の体を支配した。
眩しい程の光を放ちながら、目で追えぬ速さで魔物の体を貫き、一瞬で心臓の音が止まった。
「風属性 正三位」「雷属性 従一位」
「疾風迅雷」
強く早い『風』と激しい『雷』。
まさに二人の術式が混ざり合い、今回の勝利を収めたのだった。
二人は初めて見た”異なる属性の天力の調合”に目を見開いて固まった。
そうなるのも無理はないだろう。
単品でなら、今までに度々使用される術式だった。だからこそ魔物に対しての術式の効果は各々把握している。
それを踏まえて良きタイミング、良き相手を見極めて発動させてた。
各属性には共通する術式がある。
今回の『疾風迅雷』のように『風』と『雷』どちらの属性も持ち合わせている術式は少なくない。
だからこそ両者の術者がいるのならば、調合することが可能なのだった。
そのことは昔、若匡から既に教えられており頭には入っていた。
しかしそれはただ単純に知識として入っていただけであり、実践したことは一度もなかったのである。
初めてそれを目の当たりにし、それに加え身をもって体験した二人は、あまりの威力に驚きを隠せなかった。
日頃、単独で発動している時とは比べ物にならない程の威力・速さ、それに加えぶれることがない正確さ。
二人は決してレベルの低い術者ではない。両家きっての優秀な人材である。
そんな己の高い技術に慣れている二人が驚くほどの術式。
そしてこの場で誰よりもそのことに驚いている者がいた。
「………え?」
魔物の死を悼むような優しい風が、茉莉の艶のある髪の毛を靡かせた。
その心地よさに我に返った茉莉は、魔物の目の前に降り立ち懐から術紙を取り出す。
横たわる魔物の尾に紙を乗せ、静かに呟いた。
「確かにそうは考えていたけれど」
茉莉は霧で覆われる魔物を確認し、未だ宙で固まっている二人に視線を向けた。
茉莉の作戦はこうだった。
天力の保有量、威力に関して言えば圧倒的に朝陽や景の方が勝っている。
しかし身のこなしや相手の視線を感じ取る力は同等若しくは茉莉の方が上だった。
まず茉莉が相手の気を引き”絶対に仕留めなければならない相手”であると魔物に認識させる。
そして何らかの方法で”自分より向こうの方が強いかもしれない”と劣等感を抱かせ、術式を発動する。
正確に言うと『発動するフリ』をする。
相手の方が実力があると認識しているならば、反撃するよりも距離を取るなり避けるなり防御を優先するはずだ。
そこに朝陽の精密さ、景の人間離れしている威力で迎え撃つことが出来たならば。
勝利の女神はこちらを――絶対に勝てるとは言い切れないが、何かしらの流れはこちらに来るはず。
そして実践した結果茉莉の期待をある意味大きく裏切り、驚くほどの快勝を上げたのだった。
「茉莉さん、お疲れ様です」
「ありがとう。優美もお疲れ様」
「いえ」
術紙による結界が消え、遠くにいた優美が茉莉の元へ駆けつけた。
返事を返しながらもどこかぼんやりしていた茉莉は、ハッと我に返り宙へ浮かぶ二人に声をかけた。
「ちょっと!!!いい加減降りてきなさいよ」
何度呼びかけても反応がなく、茉莉は呆れたように結界を張った。
その時黒い何かが驚くほどの速さで地面に直撃した。
「いって、」
無意識に天力を解除してしまったのだろう。
急に足場が無くなった二人は重力に従い、勢いよく落下してきた。
「なあ」
「あ?」
「俺はマットじゃないんだからな?」
打ち合わせたかのように、見事に景の下敷きになった朝陽は頬に擦り傷を作りながら睨み上げた。
「怪我するだろ」
舌打ちをし、地面に腰を下ろす景は興味がなさそうに答え目を閉じた。
どうやら魔物がいない間は本当に眠るらしい。
「俺は怪我してもいいってことか?ん?景?」
魔物が姿を消し、いつもの日常が帰ってきた。
「そう言えば優美、よく景が本気出せていないことに気がついたわね」
ギャアギャアと騒ぎ立てる男子二人に少し怯え気味の隣の少女に声をかける。
「え、その。なんとなく、です」
「きっと私じゃ気がつけなかったわね。助かったわ、ありがとう」
その言葉に少し目を見開いた優美は、下を向き口を開く。
「近くで景さんの術をずっと見てきたので偶々です。
本当に」
「そう?でも助かったことには変わりないわよ」
視線を上げた優美の目に映る茉莉は、凛として真っ直ぐ前を向いており、優美にはその姿がとても眩しかった。
「何か、あったんですか?」
元々しっかり者の茉莉だが、いつもとは違うその雰囲気に思わず問いかける。
「うん。私見つけた」
二人を見つめるその目はキラキラと輝き、オレンジ色の瞳はまるで宝石のようだった。
「私が、二人と対等に渡り合っていく方法を」
大きく息をした茉莉は左手を握り締め、グッと伸びをした。
――あれだけの実力がある二人でも、上手く噛み合わないだけで命を落とす程不利になることもある。
『相性、相手の出方、相手の力、互いのコンディション、タイミング。
すべてが複雑で、使い時によってそれは吉とも凶ともなる』
昔、お爺ちゃんが言っていた言葉。
当時は
「そうだろうな」
なんてぼんやり理解した気になっていたけれど、今ならわかる。
二人は私の敵ではない。
同じ使命の元に生まれた仲間なのだ。
それなら私は仲間の為に、仲間が培ってきた技術の全てを出し切れるように。
私が最善の舞台を作り出すまでのこと。
「敵を撃つのは、何も私じゃなくてもいい」
「え?」
「この世界は個人戦じゃなく、団体戦なんだから」
「団体戦……」
ポツリ呟くその声に気が付いた茉莉は、微笑みこう告げた。
「個々のレベルアップも勿論必要だけどね。
でも苦手なことは他の皆でカバーしあって、誰かが困っていたら手を差し伸べる。
そうやってきっと、この世界は続いて行くのよね。
全部が全部一人で抱え込まなくていいのよ、きっと。
そのために仲間がいるんだもの、一緒に戦うパートナーがいるんだもの」
「茉莉!優美!!
もう三時だ、異門閉まったから帰ろ」
異門の正面に立ち、こちらに手を振る朝陽は優しい笑顔を見せながら声を張り上げた。
その足元では、見慣れた上着を地面に敷き寝転ぶ景の姿があった。
「行こう、優美」
「はい」
二人は今まで、そしてこの先沢山の時間を共に過ごす二人の元へ駆け出した。
「仲間――」
弾む息の中、複雑に呟かれたその声は誰の耳にも届かない程小さなものだった。
「あれ?朝陽、なんで上着脱いでるのよ」
「ちょ、よく見てよ。君の弟に剝ぎ取られたんですけど!?」
任務を離れると、年相応な無邪気な子供。
この四人を見た一般人の中に、夜な夜な彼らがこの平和を守っているのだと知るものは誰一人としていない。
当たり前に訪れる日常は、自分の知らないところで、誰かの犠牲のおかげで成り立っているのである。
「ちょっと?帰るから上着返してくれない?」




