マモノ
そして数秒後。
いや、全神経を尖らせその時を待っていた羽花にとっては、とてつもなく長いものに感じた。
煙が勢いを失い、徐々に視界が晴れてきた時中からおぞましい声が聞こえてきた。
「今が変幻の時、己の全てを捨て、目の前の人間を狩る」
羽花はその姿を見た瞬間、全身が粟立つのを感じた。
先程まで大量の毛に覆われていたその身は、今や黒い蒸気のようなもので覆われ、ゆらゆらと周囲の景色を歪ませている。
そこに光る五つの目は、全てが異なる方向を凝視しており戦い方を間違えた場合、確実にやられるのはこちらだった。
羽花は術式を付与せずに、自身の天力のみを解放し十枚ほどの花びらを、魔物の周囲に散らせる。
魔物は体を動かすことなく視線のみでそれを捉え、叩き落とした。
これにより、羽花は相手の視野の広さを確信した。
「相当広い……」
羽花の術式は基本相手の目を晦ます攻撃を主としていた。
翼のように自身の天力で武器を生成し直接戦うという道はない。
――まずは一か八か、大量の花吹雪を。
「花属性 従三」
術を遮るように、何かが物凄い勢いで羽花の真横をすり抜けた。
あまりの速さに、風が起こり、靡く髪の毛を払い除けた羽花が見たもの、それは
「今、お姉ちゃんは僕と遊んでいるから」
魔物に向かい不機嫌そうな顔を向けている雪が作り続けていた雪だるまが、変幻を遂げ力をつけた魔物の体を溶かしている光景だった。
「邪魔しないでよ」
冷ややかな声でそう告げると、何事も無かったかのように再び雪を掴み、新しい雪だるまを作り始める。
その顔は楽しそうに緩んでいるが、先程の彼は驚くほど光のない暗黒な表情だった。
そんな雪の後ろでは、次々と雪だるまが魔物を痛めつけていた。
雪だるまに触れた箇所は次第に形を崩し、液状へと変化していく。
魔物は痛みからか叫び声を上げながら形を失い、地面に積もる雪の中へと埋め込まれていった。
一度雪の中に消えた液体は、もう二度と羽花の前に現れることは無かった。
羽花は茫然と立ち尽くし、自身の体温を奪っていく雪吹雪を感じていた。
「お姉ちゃん、雪だるま作ろ!!」
戦いにより失った分を埋めるように、次々と作り続ける雪は羽花に笑顔を見せた。
「あ、うん」
その笑顔と釣り合わない戦闘力に羽花は戸惑いながら雪を丸め続けた。
少し手を止める度に目敏く見つけ
「お姉ちゃん!!」
と声をかけてくる雪にバレないよう、手を動かしながら見つめる。
――この子は人間を取り込む気は微塵もない。
それなのにあれだけの力を持っている。
その上、戦闘力もかなり高い。
今までだって、沢山の上級魔物と交戦してきた。
その中でも群を抜いて強かったのは。
「雪は、魔物なんだよね?」
「うん」
「全身に包帯を巻いた男性と、蚊を使う美蚊って女性……知ってる?」
「……会ったことは無いけど知ってるよ?」
「そっか」
羽花はそれだけ聞くと口を閉ざした。
雪はそんな羽花を不思議そうに見つめ、視線を逸らして言った。
「もしも……二人の弱点を僕が知ってたら、聞きたい?」
雪は現れてから初めて雪の塊から離した。
魔の前に置いた歪な塊は、寂しそうにぽつんと転がっている。
「うーん、そうだなぁ」
羽花もまた、雪の視線の先にあるそれに目を向け考えた。
「そりゃ情報は多いに越したことはないよね。
作戦を練ることが出来る、そのために有効な術を予め強化できる」
羽花は手に握っていた雪を両手の上に置き、雪の視界に潜り込ませる。
「でもそれを、雪から聞き出そうとは思わないよ」
真っ直ぐ雪の目を見つめ、笑顔を見せた。
キョトンと目を丸くした雪は、羽花の手に乗る雪の塊に視線を向けた。
「うさぎ……?」
「そう。雪兎」
雪兎を見つめるその目はキラキラと輝いていて、まるで宝石のようだった。
「うさちゃんだぁ!!!」
羽花の手から兎を受け取った雪は、嬉しそうに頭上に掲げ、あらゆる角度から眺める。
「本当は木の実で目もつけたかったんだけど」
耳として飾られている葉は何とか見つけたものの、この吹雪の中丁度良い小ささの木の実を見つけるのは至難の業だった。
すっかり話が逸れ、雪兎を連れて走り回る雪を見つめながら思う。
――別に、弱点を知りたかったわけではない。
けれど間近で、雪の戦闘能力を見て思ってしまった。
もしかすると彼らと同等、もしくはそれ以上の実力ではないかと。
だからこそ関係を知りたかった。
一言に魔物と言っても、皆が皆顔見知りというわけではないだろう。いや、確証はないが恐らく。
雪に問いかけたのは、それだけだった。
そうこうしているうちに、異門のタイムリミットが近づいていた。
時刻は二時四十三分。
午前三時を回ると魔界と人間界を繋ぐ入り口は完全に閉じられる。
魔物は閉じられる前に侵入を終えていないと、次の解放まで人間界に入り込むことは出来ないのだった。
逆に言えば侵入し身を隠して置き、午前三時を周り油断している術者を仕留めることも可能となる。
しかしその際、魔界へ帰る扉は閉じられているため、自分自身の力で帰界が出来る――または次の解放まで術者に祓われないよう人間界に身を潜めるしかない。
人間界に残るということは本来夕方十八時から朝三時までの九時間の所を、倍以上もの長い時間命を危険にさらすことになるのだった。
羽花は悩んでいた。
今まで会ったことのない、人間を襲う意思のない魔物との出会い。
蓮水羽花に課せられている使命。
それは『人々の平穏を守るため、それを脅かす魔物を祓うこと』である。
だから今日まで長い時間をこの任務地で過ごし、数えきれない程沢山の魔物を祓ってきた。
けれどもし『人間に害を与えない魔物』がいたなら?
それは果たして『祓う対象』となるのだろうか。
時間は刻一刻と迫り、異門は閉門準備を始めた。
それに気がついた四つの目は対照的だった。
二つは動揺で揺れ、もう二つは何かを決意したように強かった。
「お姉ちゃん」
雪は九時間近く作り続け地面に並ぶ大量の雪だるまを、塊から周囲に積もる雪と同じように解放し声をかけた。
「時間だね。僕すっごく楽しかったよ」
「……え?」
まるで最後の別れであるというように今日の感想を述べる雪を、羽花は揺れる目で見つめた。
「初めて、初めて誰かと一緒に遊んだんだ。
一人じゃないって、こんなにも楽しいんだね」
満面の笑みで話す雪を、羽花は直視出来ず視線を彷徨わせる。
「あーぁ。僕も人間だったら、もっと沢山遊べたのになぁ」
公園内の遊具をぐるりと見渡し、困ったように眉を下げる。
「でも僕は”マモノ”だから」
ここにいちゃいけないんだ、そう言って笑った。
「……じゃ、ない」
「え?」
「いても、いいじゃない」
「お姉ちゃん?」
髪の毛で隠れるその顔を確認するように、雪は覗き込んだ。
「お、ねえちゃ」
雪は何かに気が付き、目を見開いた。
「泣い、てるの?」
その声に羽花は驚き、咄嗟に頬に手を当てた。
しかし頬は濡れておらず、涙の形跡はない。
「泣いてないよ」
羽花はあの日から一度も泣いていない。いや、泣けないのだ。
悲しくて、悔しくて、辛くても、何故か体がそれを拒否する。
「泣いているよ」
雪は優しく羽花の手を取り、額をつけた。
「心が泣いてる」
――温かい。
羽花は真っ先に思った。
”雪”という真っ先に冬を連想する単語。
冬の寒さ、冷たさとは似つかわしくない手の温かさ、優しさ。
雪は、そっと羽花の左手に触れた。
「もうお別れだよ、蓮水家正統後継者。
――僕を、殺して?」
初めて現れた時と同じ、無邪気な笑顔で羽花の動きを誘導する。
その声に羽花の伸ばした両手は、マモノの体を寸分の狂いなく握り掴んだ。




