三日目-2
「いっ、」
流れる汗を拭い振り返った羽花の頬を掠めた個体は、そのまま壁に当たり方向を変え、再び羽花の体を目掛け飛んできた。
その塊を目で追い、瞬時に距離を取り体制を整えると一度深呼吸する。
「増やす」
景は足元で待機していた塊を片手で掴みあげると、空中に浮かぶ羽花に向かって放り投げた。
これで周りを飛び交う塊は六体になった。
景の足元には、まだ二体残っている。
羽花は素早く身をこなし、全ての塊を避け、叩き落とす。
――昨日より、当たる回数が減った気がする。
読めない動きをされても、きちんと目で追えている。
羽花は自身の成長を感じ、思わず欣喜雀躍するところだった。
しかし、そんな羽花にかけられたのは賛辞の言葉ではなかった。
「避けろ」
景の低く鋭い声が羽花の耳を突き刺す。
「え?」
羽花はその言葉に混乱した。
ここ数十分、羽花は全ての塊を体に当てることなく避けていたのだった。
「避けてる、けど」
小さく呟いた声は誰にも届かず消えていく。
訳も分からないままただひたすら体を動かし続ける。
「違ぇ」
そう吐き捨てた景は、天力を解除し、息を整える羽花の元へ歩いてきた。
「俺が言ってるのは”避けろ”」
見下ろす景を見上げた羽花は、その感情の込められていない声に耳を傾ける。
「お前がやってるのは”避ける”」
それだけ言うと、地べたに座り目を瞑り指示を出した。
「技、だせ」
「え?」
戸惑いの声に反応はなく、羽花は渋々術を発動させた。
「花属性――」
目を瞑る景に大量の花びらが襲いかかる。
景は静かに立ち上がり、軽やかな身のこなしで全ての花びらを躱した。
「雷属性――」
彼の術により煙を上げ、鮮やかな色から漆黒へと変化した花びらは床に散らばった。
その滑らかな動きに魅了された羽花は、地面に散らばる黒い塊から視線をあげる。
「あ、」
そこには先程同様目を瞑る景の姿があった。
景は目を開けることなく動いていた。つまり飛んでくる攻撃を視覚を使わず躱し、術を的中させたのである。
切れ長の目を開けた景は、天力により一つの塊を生成すると、
「避けろ」
そう言って、全力で振りかぶった。
――来る。
身構えた羽花を嘲笑うかのように塊は通り過ぎていく。
「あれ?」
不思議に思い振り返ろうとした羽花に、怒号が飛ぶ。
「向くな」
その声に驚き、前を向き直した羽花の後頭部に勢いよく飛んできた塊が直撃し、頭を押え蹲った。
「いっ、たあ」
躊躇することなく壁に向かって投げ続ける景の術は、自由自在に壁を跳ね、様々な動きで羽花の視界を飛び交う。
四体を投げ終えた景は、ステージに飛び乗り胡坐をかいた。
景の視線を感じながら、いつ・どこに・どのタイミングで来るかわからない塊を羽花は心臓をばくつかせながら考えていた。
しかし今まで目を瞑って敵の攻撃を受けたことのない羽花にとって、景のように躱すのは至難の業で
全ての攻撃を体に受け、床に倒れこんだ。
「わからない」
「考えろ」
上体を起こした羽花は、昨日も言われたその一言の意味を考えた。
――考えろって何を。
自由自在に動く塊の規則性?いやいや、規則性なんてあるもんか。
見たところ自由奔放すぎるじゃないか。
そもそも”避ける”と”避ける”の違いって何?
一向に出口の見えない暗闇に迷い込んだ羽花は、景と自分の違いについて考え始めた。
景兄はいつも冷静で、取り乱しているところなんて一度も見たことがない。
それに私とは違っていつも堂々としている。
周りからどう見られているか、なんて気にせずひたすら我が道を進んでいく人だ。
「気にしない、」
「おーっす」
扉の開く音が聞こえ視線を向けると、定められた上着を着ている朝陽と茉莉が立っていた。
「二人とも、お疲れ様」
茉莉は微笑みながら体育館に足を踏み入れ、ステージで寝転ぶ弟に喝を入れた。
「こら、羽花が頑張ってるんだから景も頑張りなさい。
寝てるんじゃないわよ」
「チッ」
「舌打ちしない」
あの景ですら茉莉には反論できないようで、渋々体を起こすと片足を立て頭を乗せた。
「こうやって見ると、景兄も弟なんだなぁ」
普段あんなにも偉大な先輩で、大きな存在の彼が、
一人の少女の前では、年相応の男の子だった。
「羽花ちゃん、はい差し入れ」
「ありが、」
手を伸ばし振り返ると、朝陽の手に握られていたのはまたしても勝源だった。
「また……」
「羽花ちゃん好きでしょ?」
「いや、好きなんだけどさ」
「だよね、昔っから買い物行くたびに買ってたもんね」
「朝陽!
任務の時は甘ったるい飲み物はやめなさいって言ったでしょ」
「だって羽花ちゃん、これ好きなんだもん」
「だからって汗かいて疲れた時に――」
「糖分は大事だろ?」
カツゲンをゴリ押しする朝陽に溜め息をついた茉莉は、手に持っていたスポーツドリンクを差し出した。
「はい。これは後で飲むといいわ」
頭を抱えながら朝陽を見据える。
そんな朝陽は茉莉の視線に気が付かず、難しい顔をする妹のことが気になっていた。
「どうした?羽花ちゃん」
「え?」
「考え込んでるよな?」
「あ、うん」
羽花は思った。
今の疑問を口にしたらきっとすぐに解決できる。
そうしたらすぐに訓練を再開できる。
しかし心のどこかで引っ掛かっていたこと。
「大丈夫、自分で見つける」
人に聞いて答えを知るのは簡単だけれど、自分で考えて行動して失敗して――時間はかかってしまうけれどきっとその方が自分の為になる。
羽花は気合を入れるために膝を叩き、勢いよく立ち上がった。
そんな妹を見て朝陽は心配そうに声を上げた。
「本当に大丈夫か?お兄ちゃんになんでも聞いていいんだからな?
俺はいつだって羽花ちゃ、」
その時凄まじい勢いでペットボトルが飛び、見事朝陽の後頭部に直撃した。
「痛!?え?なんで!?」
悪い子が真似しちゃうでしょうが、景に向かって叫んだ朝陽は涙目で頭を摩る。
「朝陽なら避けれたでしょ?」
「ん?まーね、でも今は大事な妹に意識が奪われてたからね。気配を感じるなんて無理無理」
「おい」
「ほら怒られる前に行くわよ、羽花ちゃん頑張ってね」
「任務は俺達に任せろ」
二人は手を振り、体育館を出て行った。
羽花は二人の背中をただじっと見つめていた。
「やるぞ」
その言葉に羽花のある記憶が引き出しから出された。
※ ※ ※ ※
「むりだよ、できない!!!」
「うーちゃん、だいじょうぶだって。
こわくないよ」
自転車に跨り先に進む翔は、後ろで泣き叫ぶ羽花を振り返り声をかけた。
「だってまた転ぶもん、いたいの嫌だよ」
「つぎはできるかもしれないよ、うーちゃん」
「できない!!!」
大粒の涙を流し立ち止まる羽花の元へ戻ろうと翔は足を踏み出した。
その時――
「うるさい」
「お兄ちゃん!!!」
ランドセルを背負った翔の兄:鳳莱景が二人の間に張り込んだ。
隣の家、翔の兄とは言ってもあまり関わりのない景の言葉に、羽花はますます目を潤ませた。
兄の帰宅に目を輝かせた翔は、自転車を止め駆け寄ろうとした。
「そこにいろ」
景の言葉に足を止めた翔は、静かに自転車に跨った。
「転ぶのは、ここを見てるから」
景が指さしたのは、前輪のすぐ先だった。
「だってなんかあったらこわい」
「何か落ちてたなら、前もって気づく」
「気づかないよ、だって」
「急に障害物が来るのは、ここしか見てないからだ」
前輪すれすれに足を鳴らし踏みつけた景は、羽花の目の前から退き指示を出す。
「少しだけ乗ってみろ」
「こわい」
「いいから。乗るのは出来るだろ」
涙を流しながら足を踏み出した羽花は、ふらふらとゆっくり進みだした。
数メートル進んだその時、視界の端に突然何かが入り込み咄嗟に急ブレーキをかけた。
その衝撃で自転車は倒れ、羽花は地面に横たわる。
手を擦りむいた痛さ、怖さが体を支配し涙が溢れたその時、
「だから転ぶ」
しゃがみ込んだ景が、羽花と同じ視線で話し始めた。
「上手く乗れる奴は、もっと遠くを見てる」
涙を流しながら、真っ直ぐ景の顔を見つめる羽花は疑問をぶつけた。
「あぶなくないの?」
「翔、お前そこから乗ったとしてどこ見てる」
「え?……ん-、でんちゅうのところ?」
翔が指さしたのは立っている地点から数十メートル離れた地点にある電柱だった。
「近くを見てると、視野が狭くなり気づくのが遅れるから逆に危ない。
けれど視野を広く、たくさんの物を見ていると
『人が歩いているから危ないかも』
『あそこに何か落ちてる』
『もうすぐ坂道だ』
『信号が変わりそうだ』
色んな情報が入ってくるから、前もって準備ができる」
「前もって知っていれば、どうしたらいいか考える余裕が生まれ対処できる」
景のアドバイスに丸くした目には、もう涙はなかった。
「わかったけど……できない、よ」
そう弱音を吐く羽花の手を引き、自転車に乗るよう促した。
「やるぞ」
※ ※ ※ ※
「やるぞ」
目の前に立つ景は、再び複数の塊を放り投げた。
羽花は目を見開きながら、その光景を見ていた。
まさか、まさか昔の記憶から答えももらうとは。
『気配を感じるなんて無理無理』
――基本的に力を所持している物から放たれる攻撃は、それ自体にも力が含まれている。
ペットボトルのような日常にあるものよりも、術者にとって認識しやすいはず。
それに、自分の命を狙おうとしている凶悪な存在に気がつけないはずがない。
『気にせずひたすら我が道を進んでいく人』
――気にして合わせる、主導権は攻撃を放っている側にある。
ずっとそう思っていた。
違うんだ。
攻撃は相手にダメージを与えることを目的としている。
私自身がその攻撃を引き出すことが出来たら、引き寄せることが出来たら。
主導権は、守りにいるはずの私にやってくる。
羽花は塊に引き寄せられる視線を一度リセットし、目の前に佇む景に合わせた。
「わかった」
今までで最多の八体が一斉に羽花を目掛けて飛び出した。
もう景の足元で出番を待っている者はいない。
今この瞬間、初めて、羽花の動きが試されることとなった。




