冀求-4
「なあ」
男は正面に立つ羽花を見つめながら口を開いた。
「いい加減、諦めたらどうだ?」
突き刺さる針をどうにかしようと考えていた羽花は男の言葉に反論しよう口を開いた。
しかし男は顔を動かし、後ろを覗き込むように蔑んだ視線を向けた。
「なあ?」
どうやら男が問いかけていたのは羽花ではなく、もう一人の後継者らしい。
翔はその声に答えることなく、小さく息を繰り返していた。
彼はかつて成功した天力による回復をしようとしていた。
しかし、その体の中に回復術を発動させる力は残っていなかった。
「お前もわかってるだろ?」
男は握りしめていた刀を胸の前に掲げ、見つめた。
「これは刀なのか?」
男の手には刀と呼ぶには柔軟性のある塊を握りしめた。
男の加えた力で形を変えていくそれは、まるでスライムのようだった。
形を変えていたそれは、男が与える力に耐えきれなくなり弾け飛ぶ。
それを無表情で見下ろした男は、動きをとめた翔の目の前に立ち手を伸ばした。
羽花は体内に僅かに残る天力を凝縮し、男を貫こうとしたがあと一歩の所で集めた力は分散していく。
「無駄だよ、俺の術に捕まってる時点でお前らの力は放出できない」
男は翔の手を取り目の前に掲げた。
翔は片腕を上げられても抵抗することなく、一切の動きを見せなかった。
ただひたすら呼吸だけを繰り返す。
「お前も気づいているだろ、限界なこと」
男が凝視するその手の甲は、刻まれていた証が見えないほど薄く、証の形も認識できないほど歪んでいた。
「もうお前は技を使えない」
両手を天に掲げた男に、翔の右腕はだらんと下がる。
羽花の目にもその姿は見えていた。
彼の手に、自分と同じ紋様はもうない。
手を伸ばせば、あと数歩歩けば届く距離にいるのに、羽花は何も出来ない自分に嫌気がさす。
地面を見つめ歯を力の限り食い縛った時、ふっと体の拘束が解け重力に従って傾いた。
羽花は身を翻し、空中へ飛び鋭い花びらを放つ。
「こちら蓮水羽花、蓮水羽花。天睛班応答願います」
羽花はダメ元で呼びかけた。しかし案の定返答はない。
「お願い、誰か……」
羽花にもう天力は残っていない。
最後の一撃も男の周囲に広がる空間に吸い込まれ、遠くに送られてしまった。
受け身も取れず地面に叩きつけられた体にはもう力が入らない。
「さて、と。
そろそろ行こうかね、完全に消えてもあれだし」
男は翔の手に視線を落とし、欠伸をしながら首を鳴らす。
男の纏う漆黒の世界が広がり、二人の姿がどんどん飲み込まれていく。
「やめて!!!!!やめてよ!!!」
一つも術を放てない無力さ、そして目の前に広がる残酷さに涙を流しながら叫び続ける。
「翔!!!」
「じゃあな、お嬢ちゃん。
今度は君の命を奪いに来るよ」
まずは早急に排除しなきゃいけないこいつからだ、そう付け加え男は姿を消した。
闇の中に下半分を飲み込まれた翔は、もうずっと動いていない。
荒く繰り返されていた呼吸音も、ほとんど聞こえなかった。
「つ、ばさ」
体を引きずり、腕の力で前に進んだ羽花はあの日からずっと隣で成長してきた手を握った。
「翔ッ、ねえ、一緒に、いっ」
力の限り握った手は、空しくも羽花の手をすり抜けていく。
「たっ、戦お、つばさ」
涙で歪む翔を羽花はずっと呼び続けた。
「嫌だ、嫌だよ、置いて行かないで」
すり抜けていく手をもう一度握り直した羽花は、薄れた正統後継者の証を見ながら叫んだ。
「一緒に最強になろうよッ、翔!!」
その時握りしめた手が一瞬微かに動いた。
その動きに気が付いた羽花は咄嗟に翔の顔を見上げる。
そこには青白い顔で優しく微笑む大好きな顔があった。
「……め、な」
途切れ途切れに聞こえる一つ一つの音を聞き逃さないよう、耳を澄ます。
「ご、めん、な。羽花」
握りしめていた手は少しずつ上へ上がり、濡れる頬を包んだ。
困ったように眉を下げた翔は、目を細めながら涙を拭う。
「やく、そく」
「つば、」
「守れな、くてごめ、んな」
溢れる涙はどんどん翔の手を濡らしていく。
羽花は言いたいことがたくさんあるのに、嗚咽が邪魔をし口にすることが出来なかった。
二人の頭の中にはあの日の光景が蘇る。
※ ※ ※ ※
『私は、強くなりたい。
お兄ちゃん達みたいに、お互いを信じ合って一緒に戦って魔物を祓う。
お互いがお互いを必要としあって、自分のことを任せられる――私は翔とそんな関係になりたい。
そしていつか!!!
皆が笑いあえる世界を作りたい!!!
世界中のみんなが、私達が、全員が幸せになれる世界を!!!
だから一緒に戦おう、翔』
『俺、強くなるよ。
もう絶対羽花を傷つけさせない。俺が羽花を守れるくらい強くなる。
だから一緒に戦おう』
『歴代最強の術者になってやる、羽花と一緒に』
※ ※ ※ ※
首を横に振る羽花を翔は腕を伸ばし抱きしめた。
ずっと近くで感じてきた温もりは驚くほど温く、弱々しいものだった。
「泣、くな、羽花。」
「……う、んッ」
「羽花なら、さい、きょうの、術者にな、れる」
「うん、」
羽花は肩に乗せられた右手を優しく包む。
闇はもう背中まで来ていた。羽花は溢れる涙を堪え、笑顔を見せる。
「あり、がと、う」
「こちらこそ、ありがとう」
「一人、にして、ごめん、な」
最後に涙を拭い、優しく頭を撫でたその手は力を無くし、闇に飲み込まれた。
「ッ、ヒック、ウッ」
口から血を吐きだした翔は最後に、大空のように晴れやかな笑顔を見せた。
「強くなれ、羽花。誰よりも、1番、幸せにな、てほし」
「つば、さ」
伸ばした手は空を切り、そのまま地面に触れる。
目の前にあった姿は、もうどこを探しても見つからない。
「ウッ、ウウ、ヒッ」
頬を伝い落ちた涙は地面の色を黒く染めていく。
忘れていた体の傷が羽花の体を支配する。
心の痛み、術を受けた傷口、全てが今までにないほどの痛みとなり羽花の体に襲い掛かった。
羽花は意識が飛びそうなほどの痛みにのたうち回る。
口からは苦しみ喘ぐ声が漏れ、痛みから逃れるように歯を食いしばった。
その時、地面に額をつける羽花の背後からザワザワとある群れの声が聞こえてきた。
「キエエエエエエエ」
複数の魔物が倒れこむ羽花を目掛けて一斉に駆け出した。
――まだ、いたのか。
羽花は働かない脳でぼんやりと思った。
術を発動しようと手を動かしたが、体内に天力の流れは感じられない。
羽花はせめてもの抵抗で痛む体を引きずり、魔物の攻撃を避ける。
一体がその方向に回り込み、羽花は体に走る衝撃に備え硬く目を瞑った。
何かが焦げるような音が聞こえ恐る恐る目を開けた先には、たった今自分に針を突き刺そうとしていた魔物が横たわっていた。
羽花は目を見開いたが次々と攻撃してくる魔物を避けることに神経を尖らせる。
――まずは一秒でも早く家に帰って報告しなければいけない。
その一心で体に鞭を打ち、溢れかえる魔物を祓い始めた。
しかし羽花にはもう天力は残っていない。つまり防戦一方であった。
ところが羽花の周りでは奇妙なことが起きていた。
羽花には攻撃が出来ないはずであるのに、負傷するのはなぜが技を放つ魔物の方だった。
何回、何十回と繰り返されるその光景に、一か八かの賭けに出る。
羽花は相手の攻撃を避けるのをやめ、目を閉じその衝撃を待った。
バチン、バチバチ、バチッ
それでもやはり羽花には何の変化がない。
そうして魔物達の攻撃を受け続けること数分。
羽花の周りには自滅し、地に転がる大量の魔物の姿があった。
それを確認し、羽花は家に向かい走り始める。
――酸素が入って来ない、体中が痛い、血が止まらない、それでも。
乱れる息を整え、二つ並ぶ建物の中央に立つ。
今から叫ぼうとしていることを思い出し、再び涙が溢れ、嗚咽がこみあげた。
「つば、つばさ、がッ」
震える声を抑え、何度も声を上げ続けた。
「たす、けて。お願い、助けて……!!!」
その声に気が付いた両家の面々は急いで家から出てきた。
「どうした!?」
「何事じゃ、」
「……その傷!!!」
各々口を開くのをよそに、羽花はひたすらこの言葉を繰り返した。
「助けて、助けて」
泣きじゃくる羽花に、朝陽は優しく問いかけた。
「どうした?」
「翔が!!!!魔物に、」
「取り込まれたのじゃな?」
若匡は驚くことなく静かに問いかける。
羽花は嗚咽を漏らしながら大きく頷いた。
悲痛な叫びが聞こえ、羽花は頭を下げ謝罪の言葉を繰り返した。
「ごめんなさい。ご、めんな、さい」
「くそ、間に合わなかったか」
「そうね」
眉間にしわを寄せ呟いた二人は、ふと羽花の体のある変化に気が付いた。
「羽花、それ」
しかしその声は地面に倒れこみ、母親に支えられている羽花には届いていなかった。
「朝陽、茉莉、景。
直ちに公園の確認を頼む。何か見つけ次第連絡を」
「御意」
名を呼ばれた三名は瞬時に姿を消し、手掛かりを探しに動いた。
「俺と徹も周辺を見てくる」
「ああ」
父親二人もそう告げ、急いで走り去っていった。
「万が一に備え、この家には儂が残る。
魔物が狙ってくるかもしれぬからな」
そう言った若匡は術を発動し、二つの家を囲うように結界を張った。
「ほら羽花、お家に入ってけがの手当てをしましょう?」
千美と琴葉は羽花の両脇を抱え家の中へ促した。
その姿を静かに見つめていた優美は一言、
「………無いです」
そう呟き、三人の後ろをついて行った。




