冀求-3
包帯が取れた彼の姿は全身の皮膚が赤くただれ、痛々しく捲れあがっていた。
羽花と翔はその不憫な容姿に驚くことはなかった。
むしろ驚いたのは、男の方だった。
「驚かないのか?」
「別に。ていうか驚いてほしいのかよ」
「いーや、ただ珍しすぎて驚いただけだ」
男は目を瞑り、首を横に振った。
「そんなことより始めようぜ、続き」
ニタリと不気味な笑みを見せ、男は二人との距離を一気に詰めた。
「お前達を待っていたのは本当だが、俺にも準備が必要だったんだ」
鼻先が触れるほど近くに来た男に羽花は術を発動しようと足を一歩下げた。
それを阻止するかのように羽花の肩に触れた腕は、瞬時に切り落とされる。
「触ってんじゃねぇよ」
その鋭い眼光、それに引き換え――男は笑みを絶やさず、口を開いた。
「ようやく、本当の俺で戦える。感謝するよ」
わざとらしく頭を下げる男は顔だけを上げ言い放った。
「あの時のお前達の正しい道は、空間の境目を見つけ脱出するか、自死するかの二択だった」
「え?」
「あの場にいた包帯男がいただろ?
あれは長年俺に纏わりついていた封印だ」
男は包帯が飛ばされていった方向を振り向きながら言った。
「あれとは長い付き合いだった。
でも俺の力じゃどうすることも出来なかった」
「今まで術者を何人かあの世界に飛ばしたこともあった、お前達みたいにな。
でもあいつも弱い奴じゃない、そこそこ出来る奴だ」
「あの、」
羽花はいつでも術を発動できるように準備しながら口を挟んだ。
「その言いっぷり。
貴方とあの方は別人なんですか?」
羽花は問いかけながら思っていた。
――今、下手に動いたら絶対にやられる。
相手が攻撃しない以上、話から情報を探ることが最優先。
「別人でもあり、俺自身でもある。所謂分身ってやつだな」
「分身、」
「あの俺は封印されたままの状態。
そして今ここにいる俺は封印が解けて本来の力を取り戻した状態」
羽花は翔の腕を掴み、空中へ逃げた。
下を見下ろすと、たった今まで二人が立っていた地面が裂け、男の腕が突き出ていた。
まさに間一髪であった。
「おー、反応早いな。流石自力で戻ってきただけある」
自らの体の脇に作った裂け目と繋がっているようで、男が手を引き抜くと両方の裂け目は姿を消した。
「あの空間術、厄介だな」
「うん。
いつどこから来るかわからないから、常に気を張っていないといけない」
「羽花、今のうちに家に」
「応援要請か?」
二人の真後ろから顔を覗かせ問いかけた。
羽花と翔は瞬時に術を発動し、距離を取る。
相手の顔を掠る予定だった花びらは彼の作る空間の裂け目に吸い込まれ、遠くで地面に散らばっていった。
「大丈夫だ、きっと五時近い。
任務から戻らないことに不審がるはずだ」
「いーや、それはないね」
男はゆっくり歩きながら語り始めた。
「俺がここに来る前にお前らの家に細工してきたからな」
今頃あの辺は日付が変わった頃だ、そう付け加えた男は二人の前で立ち止まり、
「え?」
深々と頭を下げた。
「”俺”を取り戻してくれたことに、感謝を」
男を取り巻く空気が変わり、羽花は瞬時に声を上げた。
「翔!!!!」
震える指で術式発動を開始した。
彼の手は、波を表しており自分優位の空間に相手を引きずり込む作戦だった。
「無理だろ」
口元に笑みを浮かべた男は一気に間を詰め、長い指でいとも簡単に翔を投げ飛ばした。
「花属性 正」
手を合わせ、男の意識をこちらに向けようと天力を放とうとした羽花は体が動かないことに気が付いた。
――なんで。
自分の意志で動かすことが出来ない体、嫌でも視界に入ってしまった。
翔の体が地面に叩きつけられる瞬間、地面から漆黒の無数の針が現れた。
――刺さる、
目を背けたいのに、体が硬直し思うように動かせない。
自分の体が、誰かに支配されているようだった。
「なんてな」
その言葉が耳元で聞こえた羽花は、血の気が引くのを感じた。
視線の先では地面に叩きつけられた翔がむくりと体を起こしている。
そのことに一安心した羽花は、目を閉じ天力の流れに集中した。
プツン、プツッ、プツン。
体内に流れる力が途切れる感覚を感じ、そっと目を開けた。
その直後、目の前に現れた鋭い針に触れた羽花の頬に一筋の血が流れた。
「教えてやるよ。
空間術を使っているのは、”あいつ”。
”俺”が使うのは『影』だ」
そこで羽花は気が付いた。
自分からのびる影を踏みつけている男の足に。
そしてその所々に男が作ったであろう空間の切れ目。
その箇所は、羽花の天力が途切れた箇所と一致していた。
「俺は俺、あいつも俺。
つまり俺は『空間』と『影』の二つを使い分けることが出来る」
三人の影、そして遊具や木々の影。この敷地内にある全ての影は彼の味方だった。
「さあ、出番だぞお前ら」
その時、敷地内の至る所から大量の魔物が現れた。
羽花は地面に縫い付けられている二つの足に全神経を集中させ、一か八かの賭けに出た。
「花属性 従三位 水月鏡花」
幸い今この周辺には低級の魔物しか放たれていない。
羽花は全身に当たる攻撃を全て無視し、自身の足を信じた。
耳から入り込む不吉な音。
鋭い刃により切りつけられる肌。
そのは今を塗って刺さる針から注入された怪しげな液体。
一体の魔物が銃を構え羽花の心臓に向かって放った時、上体がバランスを崩し地面に向かって落ちていった。
伸ばした腕が地面に触れる瞬間、突然現れた真っ黒い穴のような空間。
上半身を捩じり、間一髪謎の空間から免れた羽花は、空中に浮かぶ結界に飛び移った。
半径五メートルの球体の結界を張り、毒を撒き散らした羽花はふと向こう側に視線を移した。
そこにはあの男とやり合う翔の姿があった。
――大量に放たれた魔物はまだ祓いきっていない。
けれど優先すべきは、全ての主導権を握っているあの男。
『質より量』の魔物達の攻撃を器用に避け、時折反撃しながら辿り着いた羽花はすぐさま術を放った。
息を切らした翔と目が合う。
両者は頷き合い、呼吸を整えた。
花属性の毒が空気を支配し、魔物の体を弱体させる。
そして舞い散る花びらで視界を遮った羽花は、鋭い茎をもつ花を自ら手にし、男の脳を目掛けて突き刺した。
空気中の毒とは比べ物にならない程の濃度をもったこの花は男の思考を止めるのには充分だった。
「ただの足止めの為に弱い魔物を放ったとでも思ってんのか?」
しかしそれは成功した時の場合。
術を解除した先で見たもの――それは低級の魔物が複数集められ男の背丈と全く同じように固められたものだった。
「こいつらは別に俺の味方じゃない。
ただの駒だ、影を増やすな」
影の使い手である彼にとって、影の数が多いほど有利になっていくものだった。
影は個体があるものから成り立つ。
だからこそ、自らが優位に立つため、空間術により魔物を連れ込み、影を増やした。
そうして自由に行き来できる選択肢が増えたと同時に、いざという時影を媒体に自分の身代わりとして入れ替わることが可能になった。
「駒、」
男を振り返った羽花は目を見開いた。
男の目が再び赤い怪しい光を放っていたからだ。
男の後ろから薙刀を振りかざす翔に気が付いた羽花は、その意図を汲み取り大量の花びらを宙へ放つ。
突き刺さる不快音が聞こえ、ホッと胸を撫でおろした羽花は自身の腕を貫く針に気が付かなかった。
そうして気が付いた時には、もう手遅れだった。
少女の左手はだらんと重力に従い、力が入っていなかった。
そしてその先には、男の背後にある宙に浮いた針で覆われた球体に心臓を貫かれている少年の姿があった。




