道標
あれ以来、二人の間には気まずい空気が流れ、会話が無くなった。
それでも任務は必ずあり、嫌でも顔を合わせなければならなかった。
喧嘩をしたわけではない。
けれど言ってはいけない感情を共有してしまい、どこか気まずかった。
一度口を利かなければ、時間が経つにつれてそれは増すばかりで、三日経つ頃にはお互いが話しかけるタイミングを失っていた。
「こら!!羽花」
羽花は咄嗟に顔を上げた。
そこには予想通り、担任が腰に手を当てこちらを見据えている。
「何回言ったらわかるの!!!起きなさい」
「……ごめんなさい、でもこれには理由が」
「授業中に寝ていい理由なんてないのよ?」
たしかにその通りだった。
羽花もそのことは痛いほど理解していた。
突然黙り込んだ羽花に担任は追い打ちをかける。
「じゃあ理由を言ってごらん?一緒に考えましょう」
担任は羽花の隣にしゃがみ込み視線を合わせる。羽花はその視線を真っ直ぐ見られず、俯いた。
「それは――」
「それは?」
羽花は唇を噛みしめ、拳を固く握り閉める。
爪が手のひらに食い込もうが関係なかった。
――悔しい、悔しい、悔しい。
ちゃんとした理由があるのに、口に出来ないことが腹立たしい。
先生は諦めたように溜め息をつき、
「次から気をつけるのよ」
そう言って立ち上がった。
「……はい。ごめんなさい」
羽花は小さな声で返事をするのが精一杯だった。
教室中の視線を感じる、酷く居心地の悪い空間だった。
「そして、」
教壇に向けていた足をぴたりと止め、再び口を開く。
「翔も起きなさい」
その声に、ゆっくりと上体を起こした翔は、
「あ、先生すみません。気をつけます」
軽く頭を下げ、急いで黒板に書かれた内容をノートに写し始めた。
担任はこれ以上注意することなく、授業を再開した。
今行われているのは、明日から始まる宿泊研修の説明だった。
出発時間、体験学習、炊事。
数日間行われる宿泊研修を、羽花は随分と前から心待ちにしていた。
なぜなら毎日の稽古・任務から少しだけ離れられるからだった。
通常、正統後継者がいる場合すべての任務を担当するが、何らかの理由で参加できない場合代役を立てることが可能だった。
しかし、その代役は上限七日間までとし、その期限を超えると契約違反として咎められる。
今回、その代役を務めるのは蓮水朝陽と鳳莱茉莉。
十七歳になった高校生コンビが久しぶりに夜の任務に復活する。
二人は任務を外れたからと言って、普通の生活に戻ったわけではない。
この家に生まれた以上、力を持っている限りたとえ任務がなくとも、突然訪れる交戦の為に変わらず修行に励んでいるのであった。
――そしてその日はやってきた。
「羽花ちゃん、忘れ物ない?」
「うん、何回も確認したから大丈夫」
「寂しくなったらいつでも帰って来ていいからな」
「もう、大丈夫だってば!!行ってきます」
羽花は朝からしつこく絡んでくる兄をあしらい、靴紐を結び直す。
その後ろで母親が、息子の妹への溺愛っぷりに苦笑いしながら娘を送り出す。
「朝陽、遅刻しちゃうからそのくらいにしておきなさい。
羽花、楽しんできてね」
母の笑顔を見た羽花は、満面の笑みで手を振り、玄関を扉を閉めた。
直後、羽花の母:千美は目にもとまらぬ速さで扉を開け、外に駆け出した学ラン姿の少年を目撃した。
彼は大声で
「あとは俺に任せろ!!」
と言いながら親指を立て、宙に上げていた。
「お兄ちゃん、恥ずかしいからやめて」
どうやら最愛の妹には、相手にされなかったようだ。
何度も妹を振り返り、家の中に戻ってきた彼は真剣な顔つきで言った。
「羽花と翔に、何があった」
母はその二重人格ぶりに笑みを漏らし答えた。
「わからないけど、きっと大丈夫よ――あの子達なら」
※ ※ ※ ※
「羽花ちゃん、そっちお願い」
「わかった」
宿泊研修が始まって早2日。
たくさんの貴重な体験をした生徒達は、それぞれの班に分かれ夕飯の調理に取り掛かっていた。
最後の夜となる今日のメニューはカレーライス。
羽花は、クラスメイトに頼まれたジャガイモを手に取り、皮を剥く。
皮を剥き終え包丁を手に取った時、隣で玉ねぎを切っているクラスメイトの視線を感じ、羽花は顔を上げた。
「どうかした?」
彼女は「えーっと、」と口をまごまごさせ、手元に視線を移した。
「その、最近翔君と何かあったのかなって……思って」
「翔と?」
羽花は思いもよらない話題に目を丸くした。
「あ、ごめん!!関係ないのに口出して!!」
そんな羽花の反応に勘違いした彼女は、焦った様子で謝罪してくる。
羽花は咄嗟に否定した。
「違う、違うの!……まさか翔の話されるなんて思わなくて。
嫌とかじゃないよ」
「それならよかった」
彼女は息を吐き出し、笑顔を見せた。
「翔とは――喧嘩はしていないけど、話さないうちにタイミング逃しちゃって」
「あんなに仲が良かったのに、突然話さなくなったからみんな言ってたよ。
『喧嘩したのかな』
『二人が話してないの初めて見た』って」
「仲、良いのかな」
羽花はポツリと言った。
この声は彼女に届いていないかもしれない。
小さい頃から友達の両親や、近所の人、先生やクラスメイトに
「二人はいつも一緒にいて仲良しだね」
と何度も言われてきた。
けれどその度に引っかかっていた。
仲が悪いわけではないけれど、仲が良いという言葉も自分達には合わない気がしていた。
生まれた家が隣で、お互い特殊な家に生まれて――尚且つ同じ年に生まれた二人の行動を共にさせるしきたり。
一緒にいなければならないが故に、常に一緒に行動していた、ただそれだけのことだった。
今までずっと隣で過ごしてきたから、任務以外でも稽古以外でも、なんとなく一緒にいただけ。
だからふと思う時がある。
普通の家に生まれて、天力が十歳で消失して、クラスメイトとして出会っていたら、自分たちの関係はどうなっていたのだろう、と。
私達は性格も違う、趣味も違う。
この家が唯一私達を繋いでくれているのではないだろうか、と。
「仲良しじゃないの?」
彼女は不思議そうに声をあげた。
「ほら、家が隣だったから一緒にいることが多くて、そのままずるずる来たみたいな感じかな」
羽花は眉を下げ、少しだけ感じた寂しさに気が付かないふりをして笑った。
「そうなのかなぁ」
彼女は何かを考える素振りを見せた。
「え?」
「だって――」
はぁ、はあっ、はぁ。
羽花は心臓が激しく痛み、血のような味が口の中を支配しているのを感じた。
頭が燃えているように熱い、けれど。
「翔?」
「翔なら、さっき向こうに行ったよ。仕事がひと段落ついたからって。
何、お前ら喧嘩してんの?」
「最近全然話してないしよ」
「何があったのかわからないけど、早く仲直りしろよ?」
「だな。なんせ――」
クラスメイトに教えてもらった炊事棟からトイレを抜けて見えてくる広場。
そこに一人寝そべる翔の姿があった。
羽花は立ち止まり、息を整えて叫んだ。
「…ッ、翔!!!」
ここには誰もいない。私達二人だけの空間。
遠くからたくさんの笑い声が聞こえるが、今この空間だけは酷く静かだった。
羽花の声に体を起こした翔は、静かに振り返った。
久しぶりに向き合う、幼い頃から一緒にいる男の子。
一緒にいるのは『共通の使命』があるからだと思っていた。でも――
「だって、授業中羽花ちゃんが寝ちゃって先生に怒られるときあるでしょ?
あの時翔君、寝たふりしてるんだよ」
「寝たふり?」
「うん、私翔君の隣の席だからわかるんだ。
いつも眠そうにしているけど、翔君が寝始めたことは一回もなかったよ。
羽花ちゃんが寝ちゃったの確認してからいつも寝たふりしてるの」
「な、んで」
「寝ているのが羽花ちゃん一人だとずっと怒られちゃうじゃない?
だから自分も怒られて、羽花ちゃんに向いてる時間を短くしようとしてるんだと思うよ。
大切な存在なら尚更早く仲直りしないと!
『大切なものほど突然いなくなっちゃうから後悔しないように』って、お母さんがよく言ってるの」
「だな。なんせ一緒にいる俺達が気まずいもんな」
「それな。いつも羽花のこと気にしてよ。
『気になるなら話しかけて来いよ』って言っても『いや、いい』の一点張り」
「そのくせずっと目で追ってるから、俺達もどうしていいのかわからなくなるよな」
「喧嘩してても、翔はいつも羽花のこと見てるよ」
「翔、話をしよう」
羽花は真っ直ぐ翔の目を見つめながらはっきりと言い放った。




