手背の謎-1
「翔、私が動きを止める!」
「おうよ」
羽花が放った花びらが相手の視界を遮る。周囲が見えず一瞬動きを止めた魔物は、自らを取り囲む大量の花びらを振り払おうと腕を伸ばした。
その瞬間、肘から下が劇的に熱くなり、痛みを感じた魔物は恐る恐る視線を動かす。
そこにはあるはずの物が姿を消しており、魔物は混乱した。
しかし、この二人に対して油断は禁物である。
一瞬でも別の物に意識を奪われた時、それは『死』を意味する。
翔は花びらが舞う隙間をくぐりぬけ、氷の結晶を放った。
鋭い先端が、勢いよく身体に食い込み、魔物はみるみるうちに崩れ落ちる。
羽花の足元に横たわる魔物は、もう動くことはなかった。
それを確認すると、胸元から一枚の紙切れを取り出した。あの日、若匡が使っていたのと同じもの――これは魔物の存在を人間界、魔界どちらの世界からも消失させることが出来る『術紙』。
その名の通り、予め術が込められている紙切れなのである。
この術紙を対象物の一部に触れさせると、込められた術式が発動し、触れたものは結界の中に閉じ込められる。
そして結界内に霧が発生し、晴れた時には跡形もなく消えてなくなっているのである。
この術紙にはその効果の通り、『雲散霧消』という言葉が刻まれており、任務に携わる蓮水家、蓬莱家のみが使用を許可されている歴史あるものだった。
その紙を取り出した羽花は、術紙を握りしめ、魔物の体の上へ手を伸ばす。
その紙をひったくるように奪い取った翔は、躊躇いもなく手を離しその場を後にした。
「羽花、向こう側見てこよう」
「うん」
歩き始めた翔の後を追うように、羽花は小走りで駆け出した。
追いつき、翔の隣に並んだ羽花は、心のざわつきを感じ後ろを振り返る。
視界に映るはずの景色は見えず、羽花の目元は何かに覆われ真っ暗だった。
「見なくていい」
一言言い放った翔は、羽花が前を向いたのを確認すると、目元を覆っていた手を外し再び歩き出した。
翔は気が付いていた。
魔物が息を引き取った後のこの業務。
羽花の手が微かに震えていることに。
昔から、羽花は優しすぎるほど周りのことを気にする性格だった。
これは十歳になった今も変わらず健在だ。
元々戦うことも好きではない羽花は、魔物と交戦している時もどこか苦しそうな表情をしている。
ましてや相手の存在を完全に消してしまうことは、そんな羽花にとって苦痛でしかないはず――そう感じた翔は、術紙を使うことを羽花にやらせることはなかった。
羽花は強くなった。
戦うことが嫌いなのに、人々を守るために一生懸命で。
辛いはずなのに任務に向かい、自らの手で魔物に痛みと苦しみを与え続ける。
それならば、せめて最後だけは――完全に仕留める瞬間だけは自分がやり遂げよう。
翔は羽花の負担を少しでも減らすために、率先して術紙を使っていた。
「ありがとう」
羽花もまた、翔のその優しさに気が付いていないわけではなかった。
安堵と申し訳なさを感じながら、羽花はいつもこの五文字を口にする。
それに対する翔の返事もまた、いつもと同じものだった。
「俺達は二人で一つだからな。補い合えばいいんだよ」
そう言って笑顔を見せる翔は、右手につけている時計を確認した。
「二十二時か、そろそろ交代だな。
……っと、羽花」
「うん」
公園の入り口に向かっていると突然視界に入り込んできた小さな魔物。
今のところふわふわと飛び回っているだけだが、危惧の念を抱き早急に仕留めた。
羽花の花が浮遊している魔物を切り裂き、翔が術紙を放り投げた。
この流れるような連携は、時を重ねるごとに円滑に進むようになっており、昔のような素人っぽさの欠片はどこにもなく、立派な術者として日々成長を遂げていた。
「あれ?」
魔物の消失を感じ、羽花はあることに気が付いた。
「翔、何それ」
「え?」
羽花が指をさす先には翔の右手に示されている『水』属性の紋様があった。
「いつもと違くない?」
「本当だ。羽花は?」
翔は羽花の左手を取り、凝視した。
「あ、」
そこには翔同様、いつもと変わらない『花』属性の紋様が刻まれていたが、その片隅に現れた見慣れない模様。
「文字――いや、模様?」
「なんだこれ」
二人は互いの手の甲を見比べ、一体これは何なのか考えたが意味どころか、何を表しているのかさえ理解することが出来なかった。
「おい」
二人は背後から突如聞こえた低い声に心臓が飛び出そうになった。
勢いよく振り返ると、そこには次の時間担当の蓮水 優美と鳳莱 景が立っていた。
「……兄ちゃんかよ」
長い溜め息をついた翔は、兄なら何か知っているのではないかと思い、自らの拳を突き付けて尋ねた。
「兄ちゃん、これ何かわかる?」
景は表情を変えることなく、目の前に差し出された手に視線を移した。
「お姉ちゃん、私も――」
優美は言葉を遮るようにして羽花の左手を掴み覗き込み、目を見開き固まった。
「兄ちゃん?なあ、これ何なの?」
景もまた表情は変わらないが、少しばかり同様の色を見せた。
何も答えてくれない姉兄に疑問を抱いた二人は顔を見合わせた。
「帰れ」
その時、景は冷たく言い放った。
翔はふと思い出した。
初めて羽花と任務に来た時も同じことを言われた、と。
「すぐに」
そう付け加えた景は、あの時と同じように暗闇の中に消えていった。
しかし前回と違うことが一つ。
「景さんの言った通り、すぐに戻った方が良いと思います」
「何か、やばいのか!?」
翔は、焦りからか優美に掴みかかる勢いで近づいた。
優美は視線を上げることなく、前髪で顔を隠しながら言った。
「おそらく、止まっていた歴史が動き出します」
軽く頭を下げ、景を追いかけっていった優美の姿も暗闇の中に消えていった。
「このヘンテコな模様が歴史を動かす?」
翔は訝し気な表情で自らの右手を見つめた。
「とりあえず戻ろう」
一つ上の代に任務を任せた二人はのんびりと歩きながら家路につく。
いつもならば術を使い瞬く間に家に帰るのだが、なんだか今日はゆっくりと歩きたい気分だった。
二人には任務後の門限は定められていない。
だがしかし十歳の子供が大人不在でこんな深夜に外出していることは決して良くないことであり、見つかれば確実に補導されるだろう。
色違いのパーカーを身につけた幼い二人が家についたのは時計の針が二十三時を回った頃だった。
道中、両家に連絡を入れていたため心配されることはなかったが、あまりの遅さに両家の在宅組総出で怒られたのは言うまでもない。
しかし、いつもならばそれぞれの家に戻り床に就いているのだが、今日ばかりはこの総出での説教も好都合であった。
術者――たくさんの大人達にまとめて聞ける。
手間が省けた、と二人は心の中で思っていた。
翔は、母の小言を遮り早速口を開いた。
「ねえ、これ何?」
突き付けられた手の甲を、この部屋にいる全員が覗き込んだ。
そして数秒後彼らの視線は隣に座る羽花の左手に一斉に向いた。
羽花の左手――翔と同じ模様が浮かび上がっていることを確認すると、大人達は一斉に声をあげた。
「おい、本当かよ」
「え、嘘。本当に!?」
「まさか生きているうちに、この模様を見ることになるとは」
「羽花と翔が!?……え!?本当に?」
騒ぎ立てる両親に呆気に取られていると、若匡は小さな手を両手に収めこう言った。
「よく、生まれてきてくれた」
嬉しそうに笑う若匡に二人は、さらに状況がわからなくなった。
そんな二人の耳には届いていない。
「なんで、なんで出たんだ」
「恐れていたことが起きてしまったわね」
そう呟いている声があったことを。




