憧れの背中
目を開け、真っ先に目に入ったのは真っ白な天井だった。
久しぶりに視界に入る眩しい光に目を細める。
――あれ、どうしてたんだっけ。
そう思い周囲を見渡そうと体を起こすと、全身に激しい痛みが走った。
「いった……」
あまりの痛みに顔を潜めていると、ガチャンと音を立て何かが落ちた。
痛みに耐えその方向に視線を動かすと、そこには手にしていたスマホを落としこちらを見つめる兄の姿があった。
「お兄ちゃ、」
そう呟くと同時に温かい温もりに包まれた。
「良かった」
心の底から安堵したような声に思わず涙腺が緩む。
けれど、気づいてしまった。
声を出した時、顔中に痛みを伴ったのだ。
羽花は恐る恐る自分の腕に視線を向ける。
そこにはいつもと変わらない自分の腕が映し出され、ホッと溜め息をつく。
「大丈夫、跡は残らないよ」
優しく微笑みながらそう伝える朝陽が今にも泣きそうな表情に見えて、羽花はジッとその目を見つめる。
「ん?」
「お兄ちゃん、何かあった?」
その問いかけに笑顔を見せ
「何もないよ」
朝陽はそう返した。
羽花は気づいてた。
兄が無理して笑っていること、そして嘘をついていること。
それでもそこに踏み込むことは出来なかった。
いくら兄とは言え、線を引かれたその先へ自ら踏み込むことなど羽花には出来ないのだから。
せめてもの気持ちを表すべく、羽花は大きな体にすっぽり埋もれ、心臓の音に耳を傾ける。
「羽花ちゃん!?ご褒美!?これ、え、良いの!?」
きゃあきゃあ声をあげ歓喜する兄を、羽花は静かに感じていた。
ひときしり騒いだ朝陽は、そっと自分の腕に収まる小さな体を抱きしめ、質問した。
「羽花ちゃん、術者続けたい?」
「え?」
「怖い思い、痛い思い、たくさんしただろ?
……辞めたいと思わなかった?」
羽花はこの質問に隠された兄の言葉に気が付いてしまった。
『もうこんな思いをさせたくない、辞めさせるなら今だ』
そう兄が思っていることに。
――敵わない相手、支配される恐怖、毒に侵される苦しみ、痛み。
術者でなければ、こんな思いをすることはない。
それに、私よりも強い人はたくさんいる。
この世界を守るのは強い人に任せた方が皆も安心するだろう。
私なんかがいても邪魔になるだけ、足を引っ張るだけだ。
「辞める」
毒を受けた腕を見つめながらポツリと呟く羽花を朝陽は静かに見守っていた。
「わかっ」
「でも!!!」
朝陽の言葉を遮り、顔を上げ宣言する。
「でも今は思わない!!
強くなって、どんな相手でも勝てるようになって――お兄ちゃんと茉莉姉、景兄とお姉ちゃんみたいに私も翔と戦っていきたい。
皆のために!!」
「羽花、」
「羽花、目が覚めたの?」
扉から顔を覗かせた茉莉は艶のある髪の毛を揺らし、ベッドに座る羽花の元へ歩いてくる。
「茉莉姉!」
笑顔を見せる羽花に微笑み返し、茉莉は隣で険しい顔をしている男に声をかけた。
「何事も決めるのは本人でしょ。
周りはあくまでもアドバイスくらいなのよ」
「わかってる、わかってるけど」
「じゃあ大人になりなさい、朝陽。
心配なのはわかるし、私も同じ気持ち。
それでも本人が決めたことなら、私達は先輩として見守ることしかできないよ」
「もし、もしも今回誰かが死んでいたらどうするんだよ!!取り返しがつかないことになっていたら」
いつも温厚な朝陽が取り乱したことに二人は目を見張る。
声を荒げ、呼吸を乱した朝陽はその様子に気が付くことなく、乱暴に腰かけた。
羽花にとっては初めて見る兄の姿だった。
静寂が訪れ、重苦しい空気が流れた時その声は聞こえた。
「朝陽が取り乱すなんて珍しいわね」
この言葉に返答はなく、茉莉は不機嫌オーラ全開の男を見て深い溜め息をついた。
「あなたは術者よ」
「何が言いたいんだよ」
「あなたのソレは、”蓮水朝陽”としての意見でしょ?」
「だからなんだよ」
「仕事に私情を持ち込むんじゃないわよ!!
相手の意見を反対するなら尚更。
せめて術者として反論してみなさいよ。
心配とか、傷を負わせたくないのは”妹のことが大好きな兄”の感情でしょ!?」
朝陽は勢いよく茉莉に視線を向けた。
「何よ」
まじまじと見られ、少し気まずさを含め反論する。
「昔から茉莉ちゃんには尻叩かれてるな、と思いまして」
苦笑しながら下を向く朝陽に、
「ふざけてばかりいるからでしょ」
と冷たくあしらった茉莉は、羽花の頭を優しく撫でる。
「”私”だって初めは置いてけぼりだった。
沢山焦ったし、悩んで、どうしたらいいのかわからなくなったこともある。
けれど、逃げ出したいと思ったことは一度もない」
「羽花が決めたのなら、私は応援するし協力する。
私に出来ることは少ないのかもしれないけど、悩んだ時は話を聞くし、稽古の練習だって付き合える」
「こうやって羽花の妨げになる奴がいたら私が追い払うから、安心して進みなさい」
頭を撫でる手を阻止しようと茉莉の腕を鷲塚む朝陽の手を豪快に振り払い、そう告げた。
その横で、
「いってぇ!!この怪力!!」
と喚く兄をスルーする茉莉は堂々としていて格好良かった。
「私、二人みたいになりたいってずっと思ってたの」
「私達?」
「強くて、一人でも戦っていけるけど、二人が力を合わせたら無敵なんだって。
信じ合ってるのが、遠くで見てた私でもわかったから」
任務に同行している時、離れた所から見ていた光景。
各々が目の前の敵を次々と祓い、時々フォローしあっていた。
言葉なんてなくてもお互いの動きをわかりあっていて、無駄がなくて綺麗な動き。
自分もいつかそうなりたい、羽花はずっとそう思ってきた。
「だから私も、翔と一緒に戦う。
翔と一緒に頑張りたいの」
そう言い放った羽花は、今まで見たどの場面よりも凛々しく綺麗だった。
「羽花ちゃん、俺やっぱり心配だ。
大切な妹だから。
でも俺も応援するし、もし何かがあった時一番の味方になれるように頑張るよ」
「ありがとう、お兄ちゃん」
久しぶりに笑いあう兄妹の間には優しい時間が流れる。
いつまでも――願わくはこの先もずっと続いてほしいこの瞬間。
人々のこの時間を守るためにここにいる者は体を張って、魔物と向かい合っていくのだ。
「翔は、どこにいるの?」
羽花の問いかけに二人は顔を見合わす。
「あー、部屋だなきっと」
「朝からずっと寝てたわよ」
羽花は痛む体に鞭を打ち、何とか立ち上がる。
「羽花!?」
「翔に会いに行く」
「え?……羽花、まだ歩いちゃだめよ。
完全に回復してないんだから。
翔を呼んでくるからそれまで安静に、」
「私が行かなきゃ駄目なんだ。
あの時、翔が私を迎えに来てくれたから。
今度は私が行きたいの」
あの時、私の名前を呼んでくれた男の子。
先の見えない恐怖に包まれながらも私を迎えに来てくれた男の子。
今度は私が手を差し伸べる番だ。
「わかった。気をつけてな」
朝陽の声に頷いた羽花は、壁に捕まりながら一歩一歩着実に翔の元へと歩み寄っていった。
羽花の姿が消えて数分後。
「羽花はどこまで気が付いているんだろう」
「ッ、きっと何か察してる、んだ。
ずっと……一緒にいたからさ。
何か、感じとって、るんだ……」
「なんで泣いてるのよ」
「羽花ちゃんが俺より翔を取ったことに心を痛めてる」
「そう」
呆れを通り越し関心が無くなった茉莉は、そんな朝陽を視界に映すこともなく心の中で羽花に伝える。
――弟のこと、よろしくね。
「茉莉ちゃん、気張るぞ」
ギラギラと燃える闘志を含んだ眼差しを向ける男の姿を見て、茉莉は目を細める。
「ええ」
まだまだ未熟な後輩が伸び伸びと成長できるように、先輩は今日もまた任務をこなし、温かく陽の当たる土壌を用意すべく稽古に励むのだった。




