絆の映鏡
「な、んで……?」
目の前の少女はにこやかに微笑みかけながら跪く俺を見つめている。
なんでだ、どうしたら――そんな感情が俺の体を縛り付け身動きがとれない。。
何が正解かわからない。
あぁ、どうしてこんな時。
翔は顔を顰め、唇を噛む。
口の中に鉄の味が広がろうと今はどうだってよかった。
いつもの俺は自信たっぷりで、周りのことすら見えないくらいひたすら前だけを向いている馬鹿な奴だ。
たとえ進む方向が間違えていたとしても気が付かずそのまま突き進んでしまう馬鹿なのに。
馬鹿だけが取り柄なのにどうして、どうしてこういう時だけこんなに弱いんだ。
自分が唯一誇れることだというのに、重要な場面でそれは効力を発しないらしい。
これじゃあただの馬鹿じゃん。
考えろ、考えろ、考えろ。
馬鹿でも出来る、この道の光!!!
『ちょ、何やってるの。まだ相手がどんな、』
『現状把握』
頭の中で聞き慣れた声が木霊し、翔は苦笑した。
なんだよ、俺のせいじゃん。
俺が突っ走って招いた結果がこれじゃんか。
本当馬鹿だ、自分が嫌になる。
けれどそれなら俺に出来ることはやはり一つしかない。
翔は改めて心を奮い立たせ、目付き鋭く前を見据えた。
絶対に羽花を助けて敵を倒す。
そしてその後に謝るんだ。
土下座なり、俺の分のお菓子を一週間分全部あげたり、なんだってするから。
羽花はきっと「次からはちゃんと意思疎通しようね」なんて笑ってくれると思うけれど、俺は自分を許すつもりは微塵もない。
何が――――だ。
守りたいものがあって、そのために強くなりたくて。
「負けないよ、俺は」必ず。
「いいね、翔」
魔物と遭遇した時に行う手順。
【一】現状把握
翔は目の前に立つ見慣れた少女を見つめた。
どこをどうみても目の前にいるのは羽花そのものでだ、もうそこに疑う余地はなかった。
それなら何故突然別人のようになってしまったのか。
考えられる可能性はただ一つ。
背後を取られた時以外に羽花は敵と接触していない。
そこで翔はある会話を思い出す。
『目には目を、歯には歯を――毒には毒を』
「毒か!!」
あの毒を受けた直後羽花はまだいつもの様子だった。
時間差で効き始めた?
いや、それよりも確率が高いのは羽花の術式で生成される毒が反応した故に起きた変化。
もしそうならば合致する。
羽花が術を発動してすぐにこの違和感が現れた。
そして術の精度が上がったのもその頃だったはず。
毒が二重に働くことによって予想外の変化をもたらし、羽花の体を蝕んでいるのだとしたら。
「解毒……解毒するにはどうしたら」
俺に何かを解除する術式はまだない。
使えるのは水と氷の結晶を操る攻撃術のみ。
今この状況で【混水模魚】を使ってもきっと何も変えられない。
かといって【氷消瓦解】を使ってしまえば羽花の体を粉々に砕いてしまう。
俺に残されたのは発動しているこの領域でどうにかするという方法だけ。
「…鏡?」
ふと何かに気が付いた翔は辺りを見渡し、少女の目で視線を止めた。
先程から変わらずこちらを見つめ微笑む彼女に攻撃の意は感じられない。
それをいいことに翔は、相手から意識は逸らさず今の善道を探し始めた。
俺が現在使用してる術は【明鏡止水】、そして羽花が使用してるのは【水月鏡花】。
二重鏡――術名はその漢字の意味をそのまま受けているものが多い。
漢字には一つ一つ意味があり、それらはお互いに多大な影響をもたらすというのにぴったりだろう。
もしもこの鏡がその時映っている者の心境を映しだしているのならば、この領域で俺の勝ち目はない。
俺のこの術はあくまでも領域内で自分が一番の強者であった時のみ有効。
俺が強者であった場合、澄み切った空間で邪念のない心境を引っ張り出せるが、もしその領域内にこの二重鏡が作用しているのであれば。
初めに術式を発動したのは、羽花。
そして悔しくも、この場で一番悍ましい雰囲気を醸し出しているのも羽花。
羽花の鏡はもう一方の術者である俺に向いている。
そして今現在、同じ鏡の術式を発動した俺の鏡の行き先は羽花。
つまり今この領域を支配しているのは羽花であって俺ではない
もう一度自分自身がこの場を動かすためには、この領域を俺の物にする以外の方法はない。
つまり鏡の矛先を自分に向けること。
俺はまだまだ未熟で、術式発動もまだ出来ないことだらけ。
今の羽花に術式を解除してもらうことはまず不可能。
限られた手札で、その状況または近しい構図を作るには。
『水属性 従三位 明鏡止水』
同じ領域を二重に発動させること。
そうすれば鏡は実質三重。
矛先は、俺に戻ってくる。
これが駄目でも俺はこの術式を重ね続ける。
鏡の矛先が彼女に向くように、そして重ねまくって俺が有利にたてるように。
領域内で、更に領域を発動させようとしている――しかも全く同じ領域を。
出来るだろうか、こんなこと修行でやったことないし、そもそも二重に発動するなんて出来るのかもわからない。
もし出来たとしても何か問題が起きてしまったら、今度こそ羽花の身が危ないかもしれない。
でもどっちみちこのままじゃ――
サアアアアァァァァ
「え?」
先程発動した領域と似ているが、それよりも更に澄み渡ったこの空間。
「なん……で」
違う、俺じゃない。
俺はまだ術を発動させるか迷っていた。
それに術名を開示していない。
それなのにどうして――
「あれ?なんだろう、この感じ」
少女は目をぱちくりさせ、翔を見つめる。
その視線と交わった時、翔は激しい目眩を起こし尻もちをついた。
「不思議だ。翔の力が流れてくる」
目を細めた少女は嬉しそうに口を開いた。
「じゃあ戦おっか、翔」
終わった、駄目だった。
自分の意に反して領域を発動したせいで、体内の天力残量が僅かなのが自分でもわかる。
きっともう術を放つ分は残っていない。
それと引替え、あいつは楽しそうに笑っているんだ。
俺の大切な子の体で。
「やめてくれ、本当に。
もう……やめてくれよっ、羽花はそんなんじゃないんだよ」
「私は羽花だよ、翔」
「羽花だけど違うんだ」
「なら、仕留めたらいいじゃない」
「…っ、やろうと思ったさ!!けど俺の心が、体が!!それを拒絶するんだよ!!!
お前は間違いなく、俺の大切なっ……大切、な」
「男なら泣くんじゃないよ」
「ひっ、くぅ、う……あ、」
涙で目の前がぼやけていてもわかる。
羽花の体の毒が驚く早さで進行している。
痛いよな、俺が代わってやれたらいいのに。
俺は自信が有り余るほどあって、いつも周りに怒られてきた。
でもその自信があっても俺一人じゃ突き進めなかった。
羽花が一緒にいてくれたから、俺は迷うことなく突き進んでこれた。
「………羽花あああああああ!!!!」
翔は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、声が枯れるまで叫び続ける。
彼がむせる姿を見て少女は鼻で笑った。
「いつ戦うつもりなんだか。それなら」
先手必勝――少女が力の放出を始めた瞬間、心臓が強い力で掴まれた。
「グアッ」
突然の出来事に翔は目を離せなかった。
少女は苦しみながら、一歩ずつ翔の元へと歩を進める。
目の前でピタリと動きを止めた少女は翔へ両手を伸ばす。
翔は咄嗟に振り払おうと手を上げ、拒絶するように目を閉じた。
そして感じた――もう駄目だ、と。
鋭い衝撃を覚悟した瞬間、翔は温かい何かに包まれた。
目を開けなくてもわかる、ずっと隣で感じてきた温かさ。
優しすぎるが故に損してしまう、あの子の温もり。
「羽花、」
「うん」
「羽花、羽花…!!!」
「うん、ごめんね」
「羽花ぁぁあああ」
他にも沢山言いたい事があったはずなのに、翔の口から出るのはこの二文字だけだった。
いつも堂々としている彼からは、想像もつかない取り乱しように羽花は驚きのあまり手を止めるが、ふわりと微笑み変色した腕を翔の頭に添えた。
「ごめんね。
本当はもっと早く戻ってくるはずだったんだよ。
でも、力が足りなくて時間がかかっちゃった」
困ったように笑う羽花の体に力いっぱいしがみつき、翔は言った。
「ごめん、ごめん。本当に…!!!俺、」
あまりの力強さに痛みを感じたが、羽花はそれを本人に伝えることはなかった。
代わりに温かい手で、泣き叫ぶ少年の頭を優しく撫でる。
「私もごめんね、たくさん傷付けちゃったね」
「俺は何ともない。
それより羽花こそ、その毒――」
「私も大丈夫。
それより、早く戻ろう。
万が一生き残りがいたら皆が危ない」
「おう」
翔の意図せぬ二回目の領域発動。
それは、体を二重の毒によって支配された羽花が引き出したものだった。
羽花は自分の脳が麻痺し、自分の考えとは全く違う動きをすることに早くから気づいていた。
しかし次々と好き勝手に術を発動され、解毒にまわす天力は枯渇していた。
そこに現れた一度目の翔の領域。
澄み切った心地の良い空間で羽花の体は天力を少しずつ取り戻していった。
それでもまだ、脳が麻痺していることに変わりなかった。
そこで僅かに回復した天力を使い行ったのが、解毒ではなく翔の領域の発動を強制させることだった。
これは術式は関係なく、邪念のない純粋な心で『翔の領域を発動させる』ことを望んだからこそ叶えられたものだった。
その結果、三重鏡により主導権は翔に与えられ、力の差では敵わなくても、領域発動の主という条件が重なり、翔有利の展開へと転ずることが出来たのだった。
羽花も翔有利の状況に変化したおかげで、天力の回復速度が一気に上がり、解毒に成功した。
羽花の体は別人に乗っ取られたわけではなかった。
毒により脳が麻痺した結果の行動であり、紛れもなく羽花本人だった。
そんな彼女を攻撃した場合、それは羽花の命を奪うことにも繋がる。
あの時、攻撃を外した翔は正しかった。
そして、羽花が解毒作業ではなく二重に領域を強制発動させることを優先したことも正しかった。
二人の、お互いを思う気持ちが直感へと化け、このような結果を招いたのである。
「解」
翔は領域を解除し、二人は再び地上に降り立った。
「もう、ヘマなんてしない」
そう睨み付ける翔の横顔を、羽花は優しく見つめていた。
「よし、羽花。今度こそ…!!」
振り返った翔は目を見開く。
そこにはゆっくりと崩れ落ちる大切な女の子の姿があった。
翔は咄嗟に手を伸ばし地面に触れる寸前で抱き留めるが、その瞬間二人は大きな影に飲み込まれる。
「面白い?面白いねぇえええ」
初めに見た時と比べると大分数は少ないが、あの羽花の攻撃を受けて尚これだけの量が生き残り、二人と戦おうとしている。
対して二人は戦う力は殆ど残っていない。
「面白いぃぃぃぃいいいいい」
耳を刺す反響音を上げ、一斉に飛んでくる塊に、羽花を抱き留める手に力が入る。
――クッソ、体が動かねぇ。
少年は少女を庇うように腕の中に閉じ込め、ギュッと目を瞑る。
その光景を街灯がただ静かに照らし出していた。




