誘
羽花はピリカの言葉を静かに聞いていた。
いや静かに見えるが実際は心満タンに湧き上がる怒りの感情を沈めようと必死に冷静さを保っているだけであった。
たった二日間。
それも限られた短い時間。
人生において極めて短いあっという間の時間で、彼の優しさ、温かさは痛いほど感じた。
だからこそ羽花は悔しかった。
あんなにも優しい心を持つ少年が残酷な世界でたった一人――孤独に生きていたことも、そんな環境にいたのにも関わらず真っ直ぐな心を腐らせずにいたことも。
これで雪が捻くれ、荒れに荒れ、邪悪な存在だったのならここまで胸を締め付ける思いはしなかっただろう。
しかしそのような環境下で時を過ごした彼は本当に良い子だった。
恵まれた家庭環境で育ってもあそこまで良い子に育つかわからない程、辛い思いをたくさんしてきたはずの雪は真っ白な心の持ち主だった。
「真っ白……か」
羽花の無意識に噛みしめる唇、そして握り締めている拳に気が付いたピリカは心配の目名指しを向けながらも、戸惑いながら問いかけた。
「何故、貴方がそこまで悔やむのですか?」
ピリカは身を乗り出し、羽花の拳に触れた。
羽花の左隣に座る彼女の手は羽花の左手――つまり紋様が刻まれている方に乗せられているのだった。
そのことに気が付いた羽花は青ざめた。
やはり罠だった、と。
右手に持つ花びらを振りかざそうと力を入れた羽花だが、一向に力を吸収しようとしないピリカにその力を緩める。
その代わり彼女は揺れる瞳で羽花を見つめ、自分の問いに対する答えを今か今かと待ち構えていた。
今日初めて、花びらを手から離した羽花はその視線から目を逸らし、重なる手を見つめながら答えた。
「命は、平等でなければならない」
「え?」
「人間も、魔界の皆も持っている”命”は同じもので。
そこには優劣なんかないと思っています。
人間界にも格差はある。
お金があるから、権力があるから、地位があるから、年上だから。
如何なる理由があったとしても、同じ命を見下し脅かしていい理由にはならない。
それは国籍、人種、種族が違っても同じことだと私は思うんです」
ピリカはぽかんと口を開け固まった。
そして同時に思った。
この人は本当に術者なのかと。
先程も感じた違和感が、再び強くなり蘇る。
人間は私達を目視出来ない、十を過ぎても天力を所持する術者のみが我々の存在をその目に映す。
術者は我々を敵と見なし、顔を合わせれば命を懸けた戦いが始まる。
それが何百、何千年と続いてきた日常であり、この先もずっと続く――どちらかが完全に滅びるその日まで。
「皆が皆、貴方のような心を持っていたなら、きっと平和な世界が存在していたのでしょうね」
「でも時々わからなくなります。
先程ピリカさんが言っていたことを聞いて、命の優劣があることで世界が均衡が保たれ廻っているのなら、私のこれはただの綺麗事に過ぎないと」
「そ、うですね」
「平等であってほしい。
それこそが最も良い形だと思っていても、実際は違うことがあるのだとお話を聞いていて思いました。
それでも私は同じ命は平等であってほしい。
誰一人として辛い思い、悲しい思いをせず、その命を全うできる世界が欲しい。
もしもそれが間違っているのだとしても、私がこの力を持っている限り、その世界を見つけることに尽力を尽くします」
二人は重なる手の下の証を見つめた。
花の紋様と共にある、選ばれし者にしか現れない稀有な存在を。
ピリカはその模様を見つめながら、過去の様々な場面を思いだす。
人間を殺め、力をつけていたあの時代。
得られる力に差があると知り、標的を術者に絞ったあの日。
他の魔物から嘲笑われ、魔界の済みで息を潜めていた仲間の存在を見て見ぬふりをしていたあの頃の自分。
初めて魔界に足を踏み入れた時の決意と、今の気持ち。
「直接話したことはないけれど、雪くんが初めて人間界に足を踏み入れた日のことはよく覚えています」
※ ※ ※ ※
初めて望遠鏡に触れた、あの日。
他の魔物の動向なんて興味がなく、一度も触れなかったその存在。
他の最上位の魔物達はその日全員出払っていて、部屋には自分しかいなかった。
そのこともあり常日頃仲間たちが盛り上がっているそれがふと気になり、二つのレンズを覗くとそこには緊張した面持ちで異門の前に佇む雪くんの姿があった。
「雪くんは確か、一度も人間界には行っていないはず……」
周囲の魔物達はそんな彼の姿を見ても知らんぷり。
遠く離れたところでは馬鹿にするように指を指し笑っている集団もいた。
それからだった。
雪くんが頻繁に異門を出入りするようになったのは。
毎日異門が解放される時を楽しみにしており、時刻丁度に姿を消す。
そしてギリギリに戻ってきたかと思えば、魔界にいる時とは別人のように笑みを浮かべていた。
時には数日間魔界に戻ってこないことだってあった。
異門の解放には時間制限がある。
一日に解放されるのは九時間で、それを逃せば次の解放までの間命の危険がある人間界に滞在することになる。
魔界では最上位、そして伝説となりつつある雪女の血を受け継ぐ雪くんがそう簡単に術者にやられることはないと確信していたため、特に気に留めることはなかったが、その様子を見ていた私は一つ疑問があった。
「そんなに人間界にいるのに、どうして力を吸収しないのですか?」
魔物は力をつけてなんぼ。
いくら最上位にいるからと言って、現状に満足している者はいない。
より自分が強くなるため、人間を殺め力を手に入れるのが我々の欲望。
それなのに雪くんは楽しそうに帰ってくる割に力に変化はない。
「何をしに人間界に行っているの?」
気になった私は一度だけ、人間界に侵入する彼を尾行したことがある。
そこで知ったのが――
※ ※ ※ ※
「貴方の存在です」
「私?」
「雪くんが人間界に入るのは憎しみを晴らすために人間を殺めることでも、力をつけることでもなく、ただ貴方の姿を見るためでした」
当然と言えば当然。
姿を現すわけでも、話をするわけでもなく、ただ遠くから幸せそうに見つめるあの表情。
「私にはわからなかった。
魔物が、憎き人間様にその様な表情を向ける理由が。
でも今日貴方と過ごしてその意味が分かった気がします」
ピリカは優しく、それでいてしっかりと羽花の左手を握り締めた。
温かなその手――そこには魔物にとって最上級のご馳走で、最大の敵だと証明する証が刻まれている。
「貴方のその、どんな相手にも平等に優しさを向けられる心。
意識してもそう簡単に出来ることではないですよ」
「だとしたら、皆のおかげです」
「皆?」
首を傾げたピリカに羽花は笑顔で答えた。
今の自分を作り上げる過去の経験。
「平等を作りたいのは、私が平等を求めているからです。
誰よりも」
偉大な先輩、優秀な片割れ、認められない自分。
証を持つ者がトップに君臨しなければならないこの世界で、最も期待されていない自分。
クラスメイトの誰よりも辛く、多忙な日々を送っている自分に張られる問題児というレッテル。
そして――
「もしも私が優しいのだとしたら、それは周りの皆がそうあったから。
その優しさを受けたから、私も同じように出来るのではないでしょうか」
真っ直ぐなお方。
純粋で驕ることなく、常に他人を立て敬うことが出来る。
私達の知っている限り、初めて見るお方。
「人間様のことはまだ認められませんが、貴方は人間様とは違う。
私はそんな貴方だから、託したいことがあります」
立ち上がり羽花の手を引いたピリカは、真剣な表情で告げる。
「私の稽古を受けませんか?」




