追う背中
「こんにちは」
声をかけてきた顔馴染みの女性に言葉を返し、目的の場所まで急ぐ。
大きな音を立て開けた扉に反応することなく眠る、昔からよく知る人物の横に持っていたお花を飾り声をかけた。
「景兄」
そう呼びかけ触れようと手を伸ばした時、不意に後ろから声がかかり咄嗟に手を引っ込めた。
「羽花様、この椅子を使ってください」
「あ、ありがとうございます」
飛び跳ねた心臓を宥めながら椅子に腰をかけ、もう一度手を伸ばす。
ごつごつとした自分よりも大きな男性の手。
ずっと怖かった。
何を考えているのかわからず、心のどこかで会うのを避けていた。
しかしその印象が変わったきっかけがある。
記憶に新しい、景と二人きりの三日間の特別稽古。
未だに何故他人に関心がない景が、自ら稽古を申し出てくれたのかはわからない。
彼のおかげで明らかに身のこなしが変わり、交戦中の余裕に繋がっていた。
「景兄、ごめ――」
その時脳裏に浮かんだ朝陽の声。
『誰も悪くない』
言いかけた言葉を飲み込み、再び口を開いた。
「景兄、私勝ったよ」
大きな手を握り締めながら、羽花は話しかけた。
「皆に助けて貰いながらだったけど、倒せたよ。
景兄のおかげで周りが良く見えるようになったから、術式も少しずつ安定して放てるようになったの。
だから元気になったらまた稽古してね。
景兄のリハビリも手伝うからね」
ゆっくり言葉の一つ一つを丁寧に紡いだ羽花は時間を確認し立ち上がった。
「景兄、また来るね」
名残惜しそうに手を放し布団を整えた羽花はドアに手をかけ振り返った。
「茉莉姉がおかしいの。
だから景兄、助けてあげて」
――茉莉姉が待っているのは私じゃないから。
「あら、羽花様もう帰られるの?」
「はい。これからやらなきゃいけないことがあるので」
「無理するなって言ってもしなきゃいけないと思うけど、たまには気分転換してくださいね」
「ありがとうございます」
勤務中の女性と言葉を交え別れた羽花は、ピタリと足を止め床を見つめる。
【回復室2】
ここに来たのは数日前。
朝陽が目を覚ましたと連絡を受けた日のことだった。
朝陽は明日の午後、右腕を切断する手術を受けるらしい。
今日まで回復術者による治療で悪化は防げていたが、目を覚ましてからはその効力が弱まり、いよいよ決行することになったそうだ。
父から報告を受け一緒にここまで来たものの、病室に入ることは出来なかった。
「お父さん、先に入ってて」
「ん?……わかった」
父にはバレバレだったのかもしれない。
兄の姿を見るのが怖いと思っていることを。
結局その日は兄に会うことが出来ず、今日までずっと病院に来ることを避けていた。
学校があり、任務もあったからということも関係しているが、一番は自分の気持ちだった。
せめて今日は、最後だけは――そう思っているのに、自分の体はいうことを聞かず、足は後ろに下がっていく。
意気地なし。
今日も兄の顔を見られなかった羽花は時刻を確認した。
時計の針が示す午前十一時。
任務までまだ時間があり、稽古場に行こうかと思った羽花だが、なんだか気分が晴れず家とは真逆の方角へと足を進めた。
辿り着いた先。
数か月前に、久しぶり訪れた第二異門だった。
羽花は近くのガードレールに体重を預け、ボンヤリと景色を眺めた。
こんなに日常に溶け込んでいるのに、時間が来たら一気に私達に牙をむくんだ。
休日の今日。
午前中だからか人通りは少ないが、年配の方や同い年位の学生がジャージ姿で目の前を横切る。
自分の知っている景色との差を感じながら特に何するわけでもなく時間を潰していた羽花に、ある人物が後ろから声をかけた。
「羽花ちゃん」
振り向かなくたってわかる。
物心がつく前から大事そうに呼ばれ続けた名前、優しさを含むその声を聞き間違えるはずがない。
「……お兄ちゃん」
羽花は後ろを振り返れなかった。
日を追う事に会いずらくなるこの感覚はまるで学校を休み続けた後の登校日のようだった。
振り返らなきゃ。変に思われちゃう。
早く、早く、早く……!!
朝陽はそんな妹に気がついてか羽花の後ろを周り、右隣に立った。
羽花はすぐに気がついた。
朝陽は何も言うことはなかったが、明らかに右腕を羽花の視界に入らないように接してくれているのだった。
「頑張ってるって聞いた」
「……」
「嬉しかったよ、俺」
羽花は返す言葉が見つからず、言葉に詰まる。
「約束、覚えているか?」
「…………うん」
「ならいい」
笑顔を見せた朝陽から視線を逸らした羽花の前に、見慣れない緑色に輝く結晶が現れた。
左手を伸ばす朝陽の顔を見上げると、優しく微笑んだままそれを羽花の手に握らせた。
「これは羽花ちゃんに預けておくよ」
「何?これ」
「ある人から貰った特殊な結晶だ。
異門を完全に封印することは出来ないけれど、魔物避けの効果があるらしい」
「どうしてこれを私に……」
朝陽は空を見上げ白い息を吐く。
「羽花ちゃんはもう俺が守らなくても大丈夫なくらい大きくなったからな」
「え?」
「もう自分で進む道を決められるだろ?
だからこれを使うか使わないかは羽花ちゃんが決めるといい」
チャリンと音を立て、手の中で形を変えた結晶はキラキラと何の曇りもなく輝き続けている。
「そんなに凄いものならお兄ちゃんが持ってなきゃ――」
「知ってるか?俺はもう術者じゃないんだってさ」
「ッ、」
「目が覚めて聞いた第一声か若爺からの『離脱じゃ』って、俺の体の心配は?って感じだよな」
言葉の割に楽しそうに笑い声をあげた朝陽は表情を一変させ、真剣な顔で言った。
「そりゃそうだ。
五体満足でも危ないこの世界で、利き手を失えば戦力外は免れない。
それに俺は右手に紋様がある。
切断すれば、何一つ俺を証明するものは残らない」
羽花は初めて朝陽の右腕を視界に入れた。
何があっても反応しないと決めていたのに、あまりの残酷さに息を呑んだ。
「それを聞いても俺は『そうだよな』としか思わなかった。
嬉しいとも悔しいとも思わず、だだ現実を受け入れただけだった。
でもな、どうしても頭にこびりついて離れないものがあった」
朝陽は羽花に顔を向け、微笑んだ。
「自分よりもずっと小さい、妹の背中」
「……!!」
「いつも俺の背中を追いかけていた妹が、いつの間にか自分で考えて進む道を選ぶまで成長してたんだよな。
どんなに辛いことがあっても、先が見えない暗闇の中でも――”諦めない”姿を見てたら俺もそうなりたいって思っちゃったんだ」
寄りかかっていたガードレールから背中を離し、羽花の目の前に立った朝陽の目には庇護欲は一ミリもない。
対等な人間として、自慢の妹だと言う思いが込められた視線の先にいる羽花も真っ直ぐ立ち、朝陽に向き合った。
「だから決めた。
俺も諦めない。
今の結末を受け入れない。
やりたいことのために自分で選んだ道に進むことにした」
突然吹き始めた風が二人の髪の毛を攫う。
顔にかかる髪の毛を抑え見上げた先の兄は、もうすっかり吹っ切れた顔をしていた。
「暫くお別れだ、羽花」
「………え?」
思いもよらぬ朝陽の言葉に目を見開いた羽花は、清々しい笑みを浮かべる兄の顔を凝視した。
「俺は――手術を受けない」




