空
「以上のことから二名の登録を抹消する」
二月二十二日。
あの日から三日が経ち、急遽開かれた緊急会議で若匡がそう宣言した。
各々が様々な感情を持つ中開かれたこの会議はあっという間に終わり、アネモネと繋がっていたスクリーンは電源が切れら、部屋の状況を映しだす。
「解散じゃ」
若匡の言葉に返事をするが、誰一人として立ち上がる者はいなかった。
立ち上がり部屋を去った若匡を目で追い、修は口を開く。
「これはお前達を責めるわけでは無いし、実力を疑っているわけでもない。
けれど――痛いな」
「景と朝陽は若手世代で一、二を争う術者だ。
今までどれだけ二人の実力に救われてきたか」
修の言葉に頷いたのは、普段おちゃらけている徹だった。
徹はその性格のせいで隠されているが、彼だって立派な鳳莱家の術者なのだ。
放心状態の二人に挟まれ座る羽花は父親達の話に入る。
「私がまだ小学生の頃に祓い逃した美蚊という魔物。
彼女は私達にトドメをさせる状況だったのにも関わらず、朝陽さんや茉莉さんに恐れ逃げ出したという事例があります。
今までもそう思っている魔物が数多くいました。
お二人がこの世界を離脱したら、今まで抑えられていた魔物の発生が爆発的に増えるのではないかと」
「魔物が増える上に戦力低下、か」
三人が深刻な話を繰り広げる中、突如聞こえた苦しげな声。
「茉莉!?」
徹がすぐに駆け寄り、羽花にとって憧れの背中を擦る。
「ゆっくり息しよう、吸って吐いて吸って」
過呼吸を起こした茉莉は父親に支えられながらこの部屋を後にした。
会議中はいつもの堂々とした佇まいで、あの日の出来事を的確に語っていた彼女は、会議終了と同時に一切の動きを封じ覇気を見せなかった。
羽花はそのプロ意識の高さに改めて偉大な先輩だと感じた。
「お姉ちゃん……」
羽花は隣で存在を消すように黙り込んでいる優美に声をかけた。
あの日、羽花の帰宅から数時間後に帰ってきた優美はそのまま自室に引きこもってしまった。
学校への距離の違いから朝の時間も異なるため、土曜日の今日――会議が始まるまで顔を合わせることは無かった。
二人はあの車の中以来、久しぶりに互いの顔を見たのだった。
「ごめんなさい。失礼します」
頭を下げ部屋を出て行った優美に向けていた視線を、自分の手元に移す。
改めて、この世界は地獄だと痛感した。
日々の苦しさ、辛さ、怖さ。
そこまでして毎日を繋いでいるというのに待ち受けているのは幸せなんかでは無く、仲間の死あるいは自分の死。
幸せを手にするのは何も知らない一般市民。
けれど今更それを嘆くことは無い。
とうの昔にそれを乗り越えた羽花は、父の呼び掛けに顔を上げた。
「例の件だが――」
「はい」
すぐに話の内容を理解した羽花は姿勢を正し向き合った。
「諦めるのも一つの手だと、俺は思う」
「……え?」
思いもよらぬ言葉に羽花は目を丸くし、声を漏らした。
「もし魔物が侵入してきても祓えば問題ない」
「……」
「祓えれば封印なんかしなくても問題ないんだ」
念を押すように繰り返した言葉を心の中に仕舞い込み、羽花は口を開く。
「条件が揃わず何百年もの間執行出来なかった封印の儀。
そして今ようやく巡ってきた貴重なチャンス。
そのチャンスを捨てる、ということですか?」
「そう若匡さんはおっしゃっている」
扉を見つめていた修は、真っ直ぐに見つめる羽花に視線を戻す。
「それに今の状況じゃ封印の儀は行えない」
「必ず二人でなければいけないのですか?」
「いや、封印自体は後継者一人でも可能だ。それでも――」
「儂が蓮水朝陽を任務に同行させようとした理由。
それは”封印に失敗”した時のための備えじゃ」
「失敗……」
「端から失敗するとは思っておらん。
しかし明らかに失敗する可能性の方が高い。
封印の失敗――つまりその直後大量に魔物が侵入してくる恐れがある。
一般人に被害を及ばせないために実力者は必要不可欠」
扉から顔を覗かせはっきりと言い放った若匡の言葉。
羽花は左手を強く握りしめた。
「現状から言わせてもらう。
単独で失敗した場合、確実にその場を収められる確率はゼロに等しい」
そう言い切った若匡は来た道をそのまま進み姿を消した。
それを目で追っていた修もまた目を伏せ、苦しそうに告げる。
「異門の封印は難関だ。
それに時間を取られるくらいなら、技術の向上に当てた方がよっぽど賢いと思うよ」
立ち上がった修はそのまま扉を開け、若匡ノ後を追うように部屋を出て行った。
最後は誰の顔も見ることが出来なかった羽花は、ただひたすら紋様が刻まれた手を力強く握りしめ俯いていた。
難しい言葉を並べ、さも合理的に説明しているようで、その言葉に隠されている本当の意味は分かっていた。
「私一人に任せられない」
自分以外誰もいなくなった部屋に、羽花の声がこだまする。
「大勢の命、この世界の未来がかかっている任務を私には任せられない」
寂し気に跳ね返った言葉は持ち主の胸に戻り、ズキズキと痛めつける。
「私は、一人では何も出来ない」
正座したまま身を放り出し、背中に感じた痛みを心地良く感じながら羽花は目を閉じた。
漫画の世界のように沢山の壁を乗り越えて、強くなった気がしていた。
主人公のように諦めずに少しずつ前に進んでいけば、いつか認めてもらえると思っていた。
けれど私の評価は変わっていない。
他の術者に怯え逃げ出す魔物。
吸収するのに真っ先に他を狙う魔物。
翔の才能に目を光らせる大人達。
他の術者の付き添いがないと任せてもらえない私にしか出来ないはずの任務。
「まだまだだってことは分かっている。
けれど歴代最強術者の前に、普通の術者にも慣れていない私がいつかなれる日が来るのかな」
「私は主人公のように諦めずに突き進めるのかな」
ポツリと呟かれた声は廊下に立っていた人物の耳にも届いていた。
「俺だってあんなこと言いたくないさ。
応援して、励まして、相談に乗って――普通の父親やりたいよ」
修も羽花を傷つけたくてキツイ言葉を投げかけているわけではない。
この世界に長年身を置く先輩として、事実を言わなければいけなかった。
例え言いたくないことだとしても言わなければならない。
歳を重ねるごとにしたの世代が増えていき、いつの間にか最残戦で戦う術者でなく、若者をサポートする術者として。
嘗て自分がそう支えられていたように、今度は自分達が正しく後輩たちを導かなければならない。
その責務を果たした結果が悲しそうに俯く娘にを見ることなんて、修は痛む胸を抑えた。
羽花と二人きりという空間に耐えきれなくなり逃げるように去った部屋のドアに背中を預けていると聞こえてきた声。
誰もいないと思っているからこそ素直に気持ちを吐き出す、羽花の本心。
聞いてはいけないとわかっていながらも、修は耳を澄まし体をこの場に張りつけた。
中から聞こえてくる声はまだ終わることを知らず、小さな声でポツリポツリと吐き出されていた。
「やっぱりあの日生き残るべきだったのは翔だったんだなぁ」
その声が聞こえた時、修は思わずドアノブに手をかけていた。
しかし寸前のところで踏みとどまり、やりきれない思いで静まり返った部屋の前から立ち去った。
修の表情は険しく、それでいて怒りの感情が含まれているようだった。
立ち去った修は知らない。
娘は弱音を吐きながらも、絶対に諦めないという強い心を持ったまま成長し続けていることを。
寝息を立て床に転がる羽花は夢を見た。
絶対に無理だと言われた事を、たった一人で成し遂げる夢を。
周りから飽きるほど褒められ満更でもない表情を見せる羽花の目の前には、封印に成功した三つの異門があった。
笑顔を浮かべる羽花の周りには、同じ時を共にした仲間が立ち並び、皆優しい笑みを浮かべている。
静かに開けられた扉から入ってきた一人の男。
湯呑みを手に持ち腰を下ろした男は、目の前で微笑みながら眠る少女を見て、お茶を流し込むのだった。
明日(火曜日)投稿分ですが、明日の更新が難しいため本日アップ致します。




