降り月
「景さん!!」
「茉莉さん!!」
二人が鳴り響く地下稽古場。
駆け付けた天睛班はこの空間を見て絶句した。
綺麗な床、術者達の成長が刻まれる壁、稽古に相応しい整った環境なはずのこの部屋は、見るも無残に崩壊していた。
我に返った復旧部隊はすぐさま作業に取り掛かる。
数名は身を寄り添う術者に駆け寄り声をかけ続けた。
「こちら地下稽古場。
術者二名、呼びかけに反応ありません」
叫ぶようにそう伝えた時、仲間の一人が声を上げる。
「回復術者様到着されました!!」
仲間に案内されるように走ってきた四十代くらいの男性は、明らかに重症の景の体勢を変え、すぐに処置を始めた。
周りの仲間も作業をしながらこちらを気にしている様子がわかる。
それでも誰も声をかけることなく、現実逃避するかのように黙々と手を動かし続けた。
どれほど時間が経っただろう。
途中から来た三十代位の男性術者が景を運び出し、この場に残されたのは茉莉だけとなった。
我々復旧部隊は両家から作られた特別な器具を使用し作業を行うため、どれほど凄まじく、広範囲の現場だとしても長くて半日もあれば元通りになる。
治せないものはたった一つ、命を持つ体。
地下にある一室という限られた空間のおかげか、早くも七割型作業が終了した隊員は、未だ微動だにしない茉莉に視線を向ける。
気になるのも無理はない。
彼らの知っている鳳莱茉莉は皆のお姉さん的な存在で、個性豊かな術者達をまとめ上げてきた。
彼女が取り乱しているところなんて一度も見たことがないくらい、落ち着いて大人びている女性だった。
復旧部隊は今日のように、戦いが終わる前から結界の近くで待機していることが多々ある。
茉莉がこの世界で戦い始め十六年。
彼女が幼い頃から度々その姿を見てきた大人達は、いつもと違う茉莉に困惑していたのだった。
そんな茉莉に向かって一人の男が歩いてきた。
無精髭を生やし、煙草を咥えながら歩く男はこの場では異様な存在だが、彼は紛れもなく復旧部隊の一員で一番の古株だった。
茉莉が小さい頃――むしろ琴葉が生まれた時からこの世界に身を置く彼にとって、茉莉は孫のような存在で、天睛班で唯一術者に敬語を使わない存在だった。
「茉莉、おい茉莉……!!」
外傷がそこまで酷くないことを確認し、男は体を揺さぶった。
しかし茉莉に何の変化もなく、男はポケットから灰皿を取り出し煙草を消す。
「おい、しっかりしろ」
何度声をかけても微動だにしない茉莉は、景が運ばれた今も何かを支えるようにしっかりとその場に座り込んでいた。
男は深く溜め息をつき、頭を掻きむしった。
「はあああ、本当はこの手は使いたくないけど」
回復術者が一人戻ってきたことに気が付いた男は立ち上がり声を荒げた。
「鳳莱家、鳳莱茉莉」
その声にピクリと体を揺らした茉莉は顔を上げ、光のない目を男に向けた。
男はその瞳に怯むことなく吐き捨てるように言った。
「”戦いは終わった”」
その言葉に目を見開いた茉莉は立ち上がり、凛とした姿勢で歩き出す。
「……念のため見てやってくれないか?」
回復術者が頷き茉莉を追いかけたのを確認し、男は再び煙草を咥えた。
「また吸うんですか?いい加減やめたらどうですか?
体に悪いですよ」
この冬成人式に参加した二十歳なりたての青年が男に声をかける。
「まーた説教かよ」
自分よりも四周り近く下の若者に口を挟まれ鬱陶しそうに顔を顰める。
「俺、煙草に興味持ったことないからわからないんですよね。
うまいんですか?それ。
体に悪いなら吸わないに越したことないじゃないですか」
「喫煙者にその言葉は何の意味も持たねぇよ」
「そうですか?
――まあ俺もゲームなんてやめろって言われても聞く耳持たないし、それと同じか」
青年は茉莉が出て行った扉に視線を向け、男に声をかける。
「さっきの凄かったですね」
「あ?」
「茉莉さん、誰が声かけても反応しなかったのに」
男はその言葉に間延びした声を漏らし、煙草を咥える。
吐き出した煙の中に隠すように答える。
「良くも悪くもあいつは術者の自覚がありすぎる。
どんなに精神が追い込まれていようと、染みついた術者としての立ち振る舞いがなくなることはない」
「条件反射、みたいなもんですか?」
「”鳳莱”って名前はあいつに一生付き纏うだろうな」
男に促され持ち場に戻った青年は、先程のおちゃらけた人物とは別人のように真剣に作業に取り組む。
そう言うところが憎めないと考えながら、男も再び復旧作業に戻った。
「あんだけしっかりしてるからって、頼りにしすぎてたなぁ。
あいつは神でも、仏でもない。
まだ二十二歳の若い女なのにな」
その声は煙と共に、誰にも聞かれることなく消えていった。
※ ※ ※ ※
教えてもらった建物に辿り着き、茉莉は躊躇うことなく足を踏み入れる。
ここはある特別な病院。
先程駆け付けた回復術者達が勤務する術者専門の病院であった。
回復術者と言ってもその体に天力が流れているわけではない。
両家の術者や魔物から採取した力を使い研究を重ね、治療に有益な器具や薬を開発し、処置する。
元々天睛班で様々な部隊に所属していた者が移動して形成されているため、回復術者は天睛班の一部と言っても過言ではない。
術者専用の病院ということもあり、重症患者を診ても驚くことなく適切な処置を行い、他言することは決してない。
これがもし一般の病院だったのなら、大ニュースとなり世間に広まっていただろう。
茉莉も任務で怪我をするたびお世話になっていたこの病院。
正統後継者が現れてからめっきり来る頻度が減ったこの建物の中を久しぶりに歩く。
教えられた番号の部屋に辿り着いた茉莉は流れるように腕を上げ、二度扉を叩いた。
中から聞こえた父の声は、いつものふざけた声ではなく思い詰めたもので、それがより事態の深刻さを物語っていた。
音を立て開いた扉。
先程とは違い、体中に医療器具が付けられた弟を囲むように座る徹、琴葉、若匡。
扉が閉まったことを確認し、茉莉は口を開いた。
「失礼いたします。
任務が終了したことを報告に参りました」
淡々と報告をする娘の姿にから琴葉は視線を逸らす。
徹と若匡はそんな茉莉と真っ直ぐに向き合い、耳を傾けた。
「魔物は新聞紙の力を持つリッチャーという名でした。
本体の他に複数体存在し、危機的状況に陥った際本体を移動し致命傷を避けるという高度な技を使用。
最後に三地点の術者が同時に仕留めることにより祓い終えました。
本体を祓ったのは蓮水羽花。
差があるのかはわかりませんが、地下稽古場にいた分身の階級はこちらです」
茉莉が差し出した術紙を受け取った若匡は、その紙に視線を落とした。
覗き込んだ徹もまた「上級四-下」紙に記された文字を読み上げた。
「詳しくは会議で聞こう。
一先ずよくやった」
若匡の言葉に跪いた茉莉は、視線の上にいる若匡に
「ありがたいお言葉ありがとうございます」
そう告げ、頭を下げた。
「今日はゆっくり休むといい」
「御意。失礼致します」
若匡にもう一度頭を下げた茉莉は、両親に声をかけ病院を去った。
「立派、じゃな」
そんな彼女の後姿を黙って見つめていた若匡は体の向きを変え、ベッドに横たわる景に視線を移した。
「本当に立派に育ってくれた」
笑みを浮かべる若匡を、徹と琴葉も同じ表情で見つめ頷いた。
こうして長時間に渡り行われたリッチャーとの戦いの復旧は僅か三時間で完了した。
天睛班復旧部隊により何事もなかったように元通りになった今回の被害だが、人的被害は両家に大きなダメージを与えた。
蓮水朝陽、右腕切断予定。
鳳莱景、植物状態。
両家が誇る実力者が離脱するという最悪な結末を迎え、今回の戦いは幕を閉じたのだった。




