長月想話 2:梅の花を眺めて
梅の花が好きだ。
昔は桜の花が好きだったが、年齢を重ねた影響もあるのか、次第に梅の花の良さも判る様になってきた。
桜が春の訪れを告げる花であれば、梅は春の兆しを告げる花だろう。
2月、まだ冬が強く残っている頃から咲き始め、春の兆しを感じさせる。
赤い花も白い花も、咲いている花も、ほころびかけた蕾も、そして、まだ堅いながらも、ほのかに色づいた蕾も。
それぞれが趣があっていいものだ。
あの色がすばらしい。花や蕾の形もいい。そして、ほのかな香りも良い。
2月も後半に入り、時々寒さが和らぐ日。
そうした日に、梅の花を見に出かけるのが好きだ。
そろそろ春が近い事を感じさせる陽気の中、梅林を眺めながら歩くのは良いものだ。
花粉の時期の始まりと重なるので、タイミング次第では目がザラザラしてしまうが、花見の楽しみを考えると、それも一興というところであろう。
ともあれ梅見は、すっかり、毎年の季節の行事となっている。
人生を充実して過ごす方法は、皆、様々な考え方があり、決まった答えなどは無いと思うけれど。
しかし私は、その答えのひとつが「季節のイベントをしっかりと楽しむこと」だと考えている。
見逃してしまうと、あっという間に過ぎ去ってしまうのが勿体無い。こんなに素敵なのだから、ひとつひとつしっかりと噛みしめる様に楽しみたい。
人生を歩む際に、季節が過ぎ去っていくのを横目で見るのではなく、しっかりと立ち止まり、周りを見回して、その場の景色を楽しむ事で、より充実したものになるのではないだろうか。
梅の後は、桜。その後は新緑、梅雨時の蛍、そして、梅雨明け頃の蓮の花。春から夏に入るまでの間だけでも、こんなにある。季節の行事が、ひとつひとつが楽しみだ。そしてもしかして、自分が見逃している楽しみが、まだまだあるのかもしれない。そうした事に気がついていくのも、また楽しみだ。
花や季節の景色だけでない。旬の食べ物も、旅先の風景やその他、日々の出来事の中でちょっとした特別なものも、同様である。また、特別なものではない日々の出来事であっても、将来振り返ってみれば、その時にしか経験できない、かけがえのないものなのかもしれない。
そうした、様々なその時々の出来事を楽しみながら、これからも過ごしていきたいものである。
それに、こうした日々の彩りは、人生を豊かにしてくれるだけでなく、自身の創作においても、「引き出し」の一つや、文章を描く筆の「色」になっていくものだと考えている。
そんな事を心の片隅で考えつつも、梅の花を眺めていると、何故だか心が躍って、いつしかそんな事は忘れて、純粋に楽しんでいる。
本当に、梅の花は良いものだ。
梅の花が咲けば……春はもうすぐ近くまで来ている。