7.奇妙な来訪者ー5
ひび割れたドーロを車輪が走る。度々振動に見舞われて馬車はガタゴトを音を立てた。その騒音の中、何故か老婆の声は乾いた布に染み込むようにノジマの耳に届いた。
「あんなこと訊かなきゃよかったよ。風呂場を初めて見たんだろうに、とても嬉しそうにしていたのに、それを訊いてからは変に背中を意識しちゃってね。悪いことをしたよ。浴衣を着てからはすっかり元の様子に戻ったけどね」
前を睨みながら馬を走らせる。出来るだけ早くこの国から出ないと。そればかり考えていたはずなのに、老婆の声が耳に滑り込んでくる。
「わたしゃ、この子の、この背中が不憫でねぇ」
老婆の優しい声色がエミの頭を撫でているように思えた。「こんなに可愛いのに、どうしてこんなに酷いことが出来るのかねぇ」
その言葉でノジマの胸に痛みが走る。治りきらない瘡蓋が不意に抉れて血が溢れ出す。そう言う感覚だった。けれどその痛みの意味を思い出す事ができない。そのもどかしさがいつまでも残っている。
「─リュウがね」その声に、現在に引き戻される。エミが自分の手の中に目を落としていた。そこには真新しい、可愛いらしい下駄があった。所々に汚れが目立つ。
「これ返してくれたんだけど、何か変だったんだ」
「変?」リュウが変なのはいつものことでは、という言葉は飲み込む。
「返してくれる時に落としちゃうし、目も合わせてくれないし…あたし、またリュウを怒らせちゃったのかな」
「また?」
エミは肩を落として目も上げない。「リュウがくれたのに、持っててって渡しちゃったから」
「そんなことで怒んないだろ」ノジマは溜め息を吐いた。それには安堵の色が混じっている。
「そうなの?でもマスターは…」
その単語に心が抉られる。ノジマはけれど、平静を装ってエミに笑いかけた。
「リュウはそんな奴じゃないさ。エミがキタノクニでどんな生活を送っていたかは、俺には分からないけど、そんなことで怒る奴は…少なくともここにはいないよ」
「でも…」
「リュウがどこか変なのはきっと─」
どっちだろう。ノジマは一瞬迷った。そして逃げるように選んだ。こうであればいいなと、希望を込めて。
「─それはきっと、エミのことが好きだからさ」




