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「食材、衣服、洗濯用洗剤、石鹸、歯ブラシ、タオル……まあ思いつく限り必要なものは買えたかな」
「ん。結構大荷物」
そう言って、レイは自分の魔法袋に軽く触れる。
どれだけ買い込んでも、この袋があることによって全くかさばらない。
いつか俺も給料で買おう。
「もうすぐ家」
買い物を終えた俺たちは、ようやくレイの家へと向かっていた。
レイの家は城下町から少し離れた位置にあり、周囲にあまり人が住んでいないためかとても静かなんだそうだ。
商店街からそれなりに距離は感じたものの、これくらいの距離なら体を鈍らせないためにはちょうどいい。
そうしてやがて、塀に囲まれた一軒の屋敷が見えてくる。
「ん、ここ。私も久々に帰ってきた」
「……は?」
立派な家であった。
二階建てで窓も多く、ここから見える範囲で部屋の数は10以上。
敷地に入るための門もしっかりしており、庭は訓練に使っても差し支えがないほどに広い。
――しかし。
広い庭は荒れ放題で雑草が生い茂り、屋敷の壁には植物のツタが広がっている。
もちろん、初めはこんな風ではなかったのだろう。
レイはあまり帰ってこないとは言っていたが、まさかこうなるまで放置しておくとは……正直予想外だ。
そして当の本人である彼女は、特に気にした様子もなく門を開けて中へと入っていく。
「ん、入らない?」
「いや……立派な屋敷だと思って」
「ありがとう。それなりに高かった」
だろうな――。
言いたいことは山ほどあったが、これまでのことをレイに言ったところでどうしようもない。
今後は俺が手入れすればいいだけの話である。
だけど本当に恐ろしいのは――屋敷の中だ。
「入って」
レイは屋敷の玄関の扉を開け、中へ入るよう俺を促す。
……まだ踏み入れていないのに、何だかかび臭い。
長いこと換気すらされていないのだから、これも当然か。
「お……お邪魔します」
「ん、これからはただいま、だよ」
「た、ただいま」
何だろう、本来であればこのレイの言葉は嬉しくなるものであるはずなのに、今はちっとも嬉しくなかった。
とは言え、不潔さに怖気づいて立ち止まっていても仕方ない。
俺は意を決して屋敷へ足を踏み入れる。
一歩、二歩と進んだのちに、振り返ってみた。
――薄く足跡ができている。
埃が積もっていたのだ、まだ玄関なのに。
これは掃除のし甲斐がありそうだ。
「キッチンは……確かこっち」
「そこも曖昧なのか……」
できるだけ埃を吸い込まないようにしつつ、レイについて屋敷の中を歩く。
そしてキッチンへとたどり着き、中へと入った。
(ここも酷いな)
埃が積もっているところは他と同じ。
しかし食材を扱う場所という部屋の用途まで考えるのであれば、比較してここが一番酷いと言ってもいいかもしれない。
さらに、水の魔法が搭載された最新型の水場に信じられない物を発見した。
「……いつのだ?」
「この前忘れて家を出たきりだから……3カ月くらい?」
「いや、多分もっとだと思うけど」
水を流すためのシンクに、使用済みの皿が積まれていた。
汚れがへばりつきすぎて、もはや模様みたいになっている。
ここまで来ると処分した方が早いのではないだろうか?
「何か恥ずかしい」
「まあ……羞恥心があるだけマシだと思う」
とりあえず、食材を置くにしても現状じゃ無理だ。
まずはキッチンだけでも清潔にして、氷の魔法が施された冷却ボックスに食材を移したい。
「じゃあ掃除を始めるから、悪いけどレイはどこかで時間を潰しててくれ。すぐに夕飯の用意はできないからさ」
「なら、手伝いたい」
「え、いいのか?」
「どうせ暇。それに、一人なら何から手を付ければいいか分からないけど、テオがいてくれるならそれも解決」
なるほど、指示を出せば従ってくれるわけか。
男としては恥ずかしい話だが、レイの方が力も体力もある。
掃除を手伝ってくれるのであれば、百人力と言ってもいいだろう。
「分かった、じゃあ頼む」
「ん、任せて」
俺たちは屋敷内の倉庫に埋もれていた掃除道具を引っ張り出し、キッチンの掃除へと挑んだ。
♦
「――ドラゴンを倒すときより疲れた」
「普通逆だと思うんだけど……ともあれ、手伝ってくれて助かったよ」
「ん」
あれから一時間ほど格闘しただろうか。
ゴミが散乱しているなどといったことがなかったために、埃の処理と拭き掃除、そして皿の処分だけで済んだのが救いだった。
レイがあまり帰ってこないおかげで物が少ないという点が、まさかこんなにも長所として輝くとは誰も思わなかっただろう。
「物はないけど……家具とかはしっかり揃ってるんだよな」
俺は埃のなくなった台の上を指でなぞる。
食材の劣化を防ぐ冷却ボックス、魔法によって水を生み出す最新の水場、火の魔法が施されたコンロと呼ばれる物、純粋なかまど。
食堂の方も軽く掃除したが、そこには高級な長テーブルと椅子が置かれていた。
何だかもったいないようにすら感じる。
「家を買うときにまとめてついてきた。どれがいいかとかよく分からなかったから、全部一番いい物にしてもらった」
「あんまり聞くつもりはなかったんだけど、相当高かったんじゃないか?」
「確か屋敷も家具も全部合わせて3億Gくらい。ドラゴンを十匹くらい狩れば手に入る値段」
「……あんたがどれほど規格外か、よーく再認識できたよ」
まるでひと月分の給料とでも思っていそうな口ぶりに、俺は一つため息をこぼす。
いや、多分本当に十匹程度って思っているんだろうな。
ここでの仕事に不安はない。
しかしここまでの規格外とともに暮らすという部分には、若干の不安を感じ始めた。
俺の常識が大きく塗り替えられていくという意味で。
「設備で必要な物があったら言って。また最新型が出たときも、言ってくれれば交換する」
「ありがたいけど、今はここにあるものだけで十分だ。前の職場とはえらい違いだよ」
騎士団では火も自分で熾していたし、水も汲まされていた。
それがここでは魔法によって自動的に火がつくし、水だって湧き出てくる。
誰がどう見ても大きな差だ。
「今日中に済ませたいのは寝床と浴室の掃除かな……そこさえ済めばあとは明日でも困らな――」
――俺の言葉を遮るようにして、くぅ、と何かの鳴る音が聞こえた。
視線をレイの方に向ける。
すると彼女は自分の腹に手を添え、俺に視線を合わせてきた。
「お腹……空いた」
「……分かった。先に夕飯の準備だな」
「……っ! ん!」
俺がそう言えば、レイは嬉しそうに目を輝かせる。
これだけ楽しみにしている様子を見せられては、俺としても不味い物を作るわけにはいかない。
「料理、私も手伝う?」
「いや、こっちは全部俺に任せてくれ。まずは俺なりのやり方で作ったカレーを食べてもらいたいから」
「ん、分かった」
納得してくれたレイは、突然食堂から椅子を一つ持ってくると、部屋の隅にそれを置いて自分で座る。
どうやら俺の料理姿を観察しようとしているらしい。
「……ちょっと気になるんだが」
「ん、できるだけ気にしないで。テオの料理しているところが見たいだけ」
「何も面白くはないと思うぞ?」
「大丈夫。面白みは自分で見つける」
そこまで言うのであれば、俺はもう何も言うまい。
気を取り直して調理を始めよう。
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