11-4
「フリッツ先生?」
「おお、よくわたしの名前を覚えてたな」
「俺の腕を治してくれた人ですから、忘れるわけがないですよ」
「ほーん、そうかい。んで、腕の調子はどうだ?」
「すこぶる快調ですよ。本当にありがとうございました」
白衣の女性、フリッツ・アイオーン先生は得意げに鼻を鳴らすと、まるで思い出したかのように真剣な顔つきで屋台に乗り出してきた。
「そんなことよりも、だ! 黒髪の子供だよ! 女! ちっこい女! 見てねぇか⁉︎」
「あ、ああ……それっぽい子はさっき来ましたけど……」
「どっちへ行った⁉︎」
「そっちです」
俺はレヴィアという少女が歩いて行った先を指差した。
「なるほどこっちか! 助かった!」
「あの、もしかして————」
「あ! 別にわたしの娘ってわけじゃねぇぞ⁉︎ そうだなぁ……んーっと、そう! 親戚の子だ! 今預かってんだよ!」
「は、はあ……」
何だろうか、この独特の胡散臭さ。
どうにも取り繕ったようにしか見えず、俺は思わず訝しげな目で見てしまう。
それに気づいたからか、フリッツ先生は一つ咳払いをした。
「んんっ! まあ何にせよ教えてくれて助かった。そんじゃあな! あと白銀の姫! あんたの体も今度触らせろよな!」
「……断る」
おそらくレイの断りの言葉は聞こえていなかっただろう。
それだけ素早く、フリッツ先生は屋台の前を去ってしまった。
嵐のような人だ。
「……あの人、嘘の気配がした」
「え?」
フリッツ先生がもう去った後で、レイがポツリと呟く。
「悪意ある嘘じゃないけど、多分親戚の子っていうのは嘘」
「……まあ、だろうな」
フリッツ先生が何かを誤魔化したのは間違いない。
ただしそれを指摘するほどに、俺たちは彼女と親しくなかった。
そして無理にでも指摘するほどの理由もない。
しかしレイがこうして口に出したということは、彼女の第六感辺りが引っかかったのだろう。
「あの人は国からしても大事な人材だし、おかしな研究とかに手を出していなければいいんだけど……」
「……そうだとしても、それを解決するのはきっと騎士団。今の私は他に聞きたいことがある」
「ん?」
「さっき、私に何を言おうと思ってたの?」
彼女の問いかけを聞き、俺は思わずむせそうになる。
決定的なタイミングでレヴィアに遮られてしまったため、あのときは言葉を伝えられなかったのだ。
しかし——出鼻をくじかれてしまった言葉をもう一度伝えるのは、あまりにも気恥ずかしい。
加えて、今思えば俺たちの関係が決定的に変わってしまうような内容だった。
そう自覚してしまうと、俺の口はもう動かない。
「——また今度ってことで」
「今聞きたいのに……」
「悪いな、機会じゃなかったことだ」
俺が決して言うことはないと気づけば、レイもそれ以上は強請らなかった。
(『あんたが好きだ』なんて重要な言葉、簡単に口にできるわけがないじゃないか……)
結局俺たちはギクシャクした空気の中で、ただただ並んで立っていた。
話し込むと言うこともなく、クレープを振る舞う俺を彼女が見ているだけと言う、少しだけ異様な空間。
それだけでも、俺にとって掛け替えのない時間に思えた。
やがて人気もなくなっていき、商店街全体が解散の空気となる。
こうして、俺たちの勇者祭は終わりを迎えた。
♦︎
「テオ、か。面白い人間もいるものだのう」
路地裏で、一人の少女がクレープに口をつける。
何度口にしても飽きない程よい甘さと、いちごの甘酸っぱい風味が口いっぱいに広がった。
自然と頬が上がってしまう感覚を覚え、少女——レヴィアは小さく笑う。
「まさか妾が人間の食べ物に惚れ込むとはなぁ……やあ、滑稽なり」
小馬鹿にしたような言い分とは裏腹に、レヴィア自身は楽しそうに笑っている。
そんな彼女のいる路地裏に、人間が一人迷い込んできた。
「あー! やっと見つけましたよ!」
「チッ、もう嗅ぎつけてきたか」
その人間、フリッツ・アイオーンは、呆れたような顔でレヴィアに近づいてくる。
彼女はレヴィアの側に立ったと同時に、地べたに腰を下ろした。
まるで自分の方が身分が下であると示すために、頭の位置を下げるかのように——。
「もう、いくら祭り中で目立ちにくいとは言え、気づく奴は気づくんすからね」
「その心配もなかろう。お主が言っていた要注意人物、白銀の姫ですら気づかなかったからな」
「やっぱりあいつらのところに行ってたんすね⁉︎ 本当に危ない橋を渡るんだから……」
フリッツはため息を吐き、頭を搔く。
対するレヴィアは、鬱陶しそうに頬を掻いた。
「お主は心配性すぎるのう。……安心せぇよ。魔王は死んだ。あの場で騎士団やら冒険者やらに討伐された。話はそれで終わりだよ」
「……まあ、ただのカモフラージュですけどね。あんなでかい魔物を召喚したせいでもうわたしもすっからかんなんですから、極力危ない行動は避けてくれっす」
「はぁ……」
ため息が路地裏へと溢れる。
そんなレヴィアの態度に対し、ついに堪忍袋の尾が切れたのかフリッツが立ち上がった。
「もう! それでも魔王っすか! もっと王としての自覚を持ってもらわないと——」
「……おい」
フリッツの言葉を、レヴィアが遮る。
そして指でとある方向を示せば、フリッツの表情が曇った。
「そこの二人、ちょっといいかな」
「げっ」
彼女らに近づいてきたのは、巡回中の騎士団の人間たちだ。
二人の騎士は、少々警戒した様子で彼女らの顔を見る。
すると当然フリッツの顔を見て驚くこととなった。
「フリッツ先生⁉︎ ここで一体何を……それに魔王がうんたらと言う言葉が聞こえてきましたが……」
「……あっちゃー」
フリッツは頭を押さえ、レヴィアは残念なものを見る目で彼女を見た。
明らかなるフリッツのミスである。
もはやレヴィアの態度は、お前が何とかしろと言っているようなものだった。
「はぁ、まあいいけどな。知られたところで」
「フリッツ先生、何か隠していることがあるのであれば報告していただかないと、我らリストリア国への裏切りに——」
「知るかよ」
「っ⁉︎」
突然、フリッツは二人の騎士の頭を鷲掴む。
そしてその手に光を宿らせると、彼らの体の中に流し込み始めた。
「どうせ厄介なもんは全部消しちまうんだから、あんたらが知ったところで関係ねぇ」
路地裏に、か細い悲鳴が二つ響く。
しかしその声は祭りで浮かれた者たちの耳には届かない。
やがてことを終えたフリッツは、額の汗をぬぐった。
「お主、すっからかんとか言ってなかったか?」
「雑魚相手に力もへったくれもないっしょ。ほら、さっさと行きますよ————魔王レヴィア様」
「うむ、そうだな」
レヴィアは座っていた木箱から飛び降りると、薄暗い路地の奥へと歩みを進める。
そんな彼女に付き従う形で、フリッツも歩き出した。
こうして二人が去った路地裏には、もう誰もいない。
そう、誰もいないのだ。




