11-3
勇者祭からしばらくの日数が過ぎた。
幸い魔王による被害はそこまで多くなく、リストリア広場周辺の建物の修復だけで事は済んだ。
さらには騎士団が警戒していたことが幸いし、怪我人はいても死亡者はいなかったらしい。
「それで勇者祭をやり直そうって言うんだから、人間ってたくましいよな……」
俺は片手間でクレープを作りながら、そう呟く。
勇者祭のやり直しと言っても、国が計画を立てたと言うわけではない。
これはあくまで商店街の自主企画でありイベントなどは行われないが、皆が皆各々飲んで騒いでこの時間を楽しんでいる。
「ぐっふっふ……テオのおかげであたしらもだいぶ儲けさせてもらったよ。どうだい? 今後もうちでクレープ作らないかい?」
「……悪い顔してますよ、リーンさん。でもそうですね、たまにまたお手伝いさせてください」
「もちろん! 大歓迎さ!」
快活に笑いながら、リーンさんは持っていた酒を呷る。
しばらくすると彼女の周りには何人もの人が集まって来て、小さな宴会のような状態になった。
これもリーンさんの気の良さが招いた人脈だろう。
「なーにぼさっとしてるのよ。まだ待ってるやついるわよ?」
「あ、悪い。今渡す」
屋台越しに話しかけて来たのは、カノンだった。
俺はまとめて作ったいくつかのクレープを彼女に渡す。
この屋台の周りには、レイファミリーの連中が目立っていた。
それもこれも、レイがクレープを食べたいと言い出したからである。
もちろんまとめてお代はもらっているが、すでに十分すぎる儲けが出ていたため、リーンさんや旦那さんも格安での食材の使用を許可してくれた。
故にこうして彼らにクレープを振舞っているのである。
「あんがと。悪いわね、こうしてわざわざ作ってもらってるのに」
「いいって。どのみち食べてもらうつもりだったし、おかげで作るのもだいぶ速くなった」
「そ。まああんたがいいならそれでいいわ」
素直な言い方ではないが、カノンは俺を心配してくれているらしい。
それが分かると、気持ちが楽になる。
疲れたらやめていいという状況は、余裕へと繋がるのだ。
「テオ」
「ん?」
カノンが去った後、交代するような形でレイが近づいて来た。
その両手にはクレープが握られており、どちらにも彼女の歯型がついている。
二刀喰いをしていたのか……。
「そっち座ってもいい?」
「ああ、いいぞ」
俺は休憩用の椅子を座りやすい位置へと持ってくる。
レイは屋台の俺がいる側へと回り込んでくると、その椅子へと腰掛けた。
「クレープ、とても美味しい。また家でも作れる?」
「ああ。特別な形の鉄板は必要だけど、作ること自体はいつでもできるぞ」
「私はこれを気に入った。是非また頼みたい」
「分かったよ。いつでも作れるようにしておく」
そう言いつつ、俺は次の注文に備えて鉄板の掃除を始める。
俺の横ではレイが再びクレープに口をつけ始め、少し長い沈黙が俺たちの間に流れた。
「……レイ」
「ん、なに?」
鉄板の掃除を終えた俺は、タオルで手を拭きつつレイへと視線を向ける。
おそらく俺の顔には若干の緊張の色が見えていたはずだ。
それを感じ取ったのか、レイは首を傾げる。
「余計なお世話かと思ったんだけど、どうしても何かしたくて」
俺は屋台の下に作った収納スペースから、一着の衣装を取り出した。
これを見て、レイは目を見開く。
そう、彼女はこれをよく知っているはずだ。
ミスコンの時に、自分で着ていた衣装なのだから。
「これ……破けたはずじゃ」
「家に持ち帰った後、こそこそ直したんだ。正直血の跡を消す方が難しかったけど、多分ほとんど元の状態に戻せたと思う」
この衣装自体は、あの戦いの後レイが着たまま帰宅したために成り行きで手に入れてしまった。
レイとしては捨ててしまうつもりだったのだろうが、とても残念そうな顔の彼女を思い出してしまい、特に伝えもせず勝手に俺が直すことにしたのである。
裁縫技術は新しい服を買う予定もなかった騎士団時代に自然と身についていたため、そこまで時間をかけることもなかった。
問題なのは口でも言った通り、血のシミだ。
商店街でクリーニングを行なっている店に相談に行ったり、実際ポケットマネーである程度までシミを取ってもらったりして、かなりの時間を消費すると共に消すことができた。
これで少しでもレイが喜んでくれるといいのだが——。
「……嬉しい」
レイは一言、そう呟いた。
衣装を胸に抱きしめた彼女は顔を上げ、いつになく嬉しそう表情を俺へと向ける。
俺の目には、それが今まで見たどの彼女よりも魅力的に映った。
ミスコンのときよりも、初めて彼女に助けられたときよりも。
再び彼女のこの表情を見るためなら、きっと俺は騎士団に戻れと言われても耐えることができてしまう気がする。
——きっとレイがそれを許さないとは思うけれど。
「せっかくテオが直してくれた。この衣装、ずっと大切にする。大事な時にしか着ない。そう決めた」
「いつ着てくれてもいいんだぞ? それはあんたの服なんだから」
「ん……でも、私はこれまで服を大事にしようと思うことすらなかった。だから、またすぐに汚してしまうかもしれない。だから、大切に、特別な日に着たい。それでもいい?」
「レイがそうしたいと思ったなら、俺はそれでいいと思う。どういう形であれ、あんたが持っていてくれるだけで俺は嬉しいんだ」
俺が本心を伝えれば、彼女は感謝を口にして再び衣装を抱きしめる。
とても幸せそうな笑みを浮かべながら。
「……なあ、レイ」
「ん?」
「俺は……多分、あんたのことが——」
このときの俺は、何か決定的なことを口走ろうとしていたと思う。
俺たちの関係が決定付くような、そんな言葉を。
しかし突然聞こえてきた声に、俺の意識は戻された。
「のうお主、これを一つ妾にくれぬか?」
「へ?」
屋台の前から、幼い声が聞こえた。
向こう側を覗くようにして見てみれば、そこには声相応の幼い少女が立っている。
漆黒の髪の少女は俺がサンプルとして置いていたクレープを指差しており、キラキラした目を俺に向けていた。
「いちごホイップか……君、お金は持ってるか? 一応半額の200Gはもらってるんだけど」
「何⁉︎ 金が必要なのか! そうか……すまぬが持っておらん」
歳の割に老けた喋り方をする少女だ。
育った環境も当然関わってくるとは思うが、妙に胸に引っかかる。
ただ今はそれよりも、彼女の残念そうな顔を見ていることが辛い。
「他の人には内緒にできるか?」
「む、何をだ?」
「本当はお金をもらっているんだけど、特別に一つだけ今から作るよ。俺の奢りだ」
「いいのか⁉︎ お主はいいやつよのう!」
一人ぐらいに奢ったところで、周りの人たちは気にもしないだろう。
俺はすぐにいちごホイップを作ると、少女にそれを渡した。
「落とさないようにな」
「うむ! 感謝するぞ!」
少女はクレープを受け取り、上からそれに齧りつく。
口の端にホイップクリームをつけながら、彼女は驚いたようの目を見開いた。
「美味い! これは美味いぞ! とても甘い! 初めて食べた!」
「そっか。ならよかったよ」
「うむ! 妾はお主とこのくれーぷとやらが気に入ったぞ! お主の名はなんという?」
「テオだけど……」
「テオか! なるほどなるほど」
少女はまるで噛みしめるかのように何度も頷く。
「……妾はレヴィアという。テオ、お主の名はしかと覚えたぞ」
自身の名を告げた少女が、どういうわけだか一瞬だけ妖艶な女性に見えた。
そして口の端についたクリームを舐め取るその仕草が、まるで獲物を定めたかのような印象を与えてくる。
嫌な感覚が、背筋を駆け抜けた。
しかしすぐにその感覚は消え、彼女——レヴィアはただの少女にしか見えなくなる。
気のせいだったのだろうか。
「ではの!」
「あ……ああ」
手を振って去っていく彼女を、困惑した顔で見送る。
そんな俺の様子が気にかかったのか、レイがそっと背中に手を添えてきた。
「大丈夫? 何か怖がっているように見えた」
「あ、いや……子供だからって甘く見ない方がいいのかもなって」
「今の子供のこと? ……普通の子にしか見えなかった」
「——だよな」
レイがこう言うのだ、きっと俺の気のせいだろう。
そうしてこの出来事を頭の隅に追いやろうとしたとき、またもや突然声をかけられた。
「なあ、この辺で黒髪の子供を見なかったか?」




