11-2
時間にして一時間も経っていなかったと思う。
先ほどまで絶えることがなかった振動が、ようやく止んだ。
もう化物の声も聞こえてこない。
(終わったのか……?)
俺は踵を返し、リストリア広場へと戻る。
すでに広場の周囲には人が集まっており、戦いが終わったことを示していた。
「もう! 手こずらせてっ! 結局図体がでかかっただけじゃない!」
人をかき分けて広場の中心へ視線を向ければ、そこには崩れ落ちた化物を足で踏みつけているカノンの姿があった。
どうやら化物は完全に絶命しているようで、広場に濃い血の臭いが充満している。
ここから見ると、戦いの中心になったであろう五人は無事に立っているように見えるが――。
「レイ……!」
俺は彼女の名前を呼びながら走り寄る。
レイは近づいてきた俺を少しだけ寂しそうな目で見つめてきた。
「テオ、ごめん。この衣装、もっと近くでちゃんと見せたかった」
「あ……」
そう言われて、俺は気づく。
レイの服装はかなり乱れていた。
動く際に引っかかったのか、端の方はほつれまみれで所々穴が開いている。
さらに化物の返り血を避けるほどの余裕がなかったのか、特に前面に決して少なくはない赤色が付着していた。
「……気にするなって言っても無理な話か。だけど、俺はあんたや他のみんなが無事であっただけでよかったと思うよ。……ありがとう」
「――ん」
あまりこんな風に心配をされたことがなかったのか、レイは一瞬きょとんとした後に頷いた。
確かにレイは強く、魔王と戦っている間に自分の服装の心配ができるほどの存在なのかもしれない。
それでも、俺は彼女を心配せずにはいられなかった。
レイには――レイだけにはいなくなってほしくない。
「他のみんなで一括りだなんて随分じゃない? ねぇ、テオ。ま、あんたはそれでいいけどね」
「カノン……あんたも怪我一つないみたいだな。安心したよ」
「もちろん! あたしらを誰だと思ってるのよ! ……さすがに全員は守れなかったけどね」
初めは皮肉交じりの言葉だったが、カノンの声は次第に尻すぼみしていく。
その視線の先には、うめき声をあげる騎士団の連中がいた。
第一騎士団の隊長たちの顔には疲労の色が見えるが、負傷自体はなさそうだ。
問題はそのさらに部下たちだろう。
すでに騎士団お抱えの治療魔術師たちが駆け付け、そこら中で治療が始まっていた。
見たところ何人か重傷者がいるようで、魔術師たちが慌ただしく駆け回っている。
「テオ様、そんな不安そうな顔をしないでくださいませ」
「……顔に出てましたか」
「ええ、はっきりと。……死者が出たわけではありません。皆一命はすでに取り留めてます。彼らがそれだけで済んだのは、こちらの二人が支援に回ってくださったからですわ」
そうして、ユイ騎士団長は後ろの二人を視線で示す。
アルビンとメリアさん、両者とも疲労の色が見える顔をしているが、負傷はしていないようだ。
これで少なくとも身内全員の無事が確認できた。
俺はここに来てようやく胸を撫で下ろす。
「さて、この巨体を放置すれば街全体に病が広がってしまいそうですわ。後始末は騎士団に任せてくださいませ」
「そんなこと言って、手柄を騎士団で独り占めする気じゃないの? 一緒に戦ったとは言え、あたしはあんたのこと信用してないんだから!」
「いやですわカノン様……そんなひどいことを言われると、私泣いてしまいます」
「分かりやすい演技やめなさいよ! つくづくやりづらいわねっ!」
露骨に目頭を押さえていたユイ騎士団長だったが、カノンに指摘され潔く顔を晒す。
もちろん泣いてなどいない彼女は、ため息を吐きながら俺たちに背を向けた。
「別にいいじゃないですか、多少騎士団の功績を上げたって。ならば後片付けは冒険者様方の方でやりますか? それならばこちらも文句は言いませんが」
「ぐぬぬ……っ!」
カノンは完全に言い負かされてしまっている。
戦闘ならともかく、やはり口論ではユイ騎士団長が上手のようだ。
「ユイ、片付けよろしく」
「あら、お姉様は素直ですわね」
「功績とかどうでもいい。今日は帰ってゆっくり休む。――その方がいいよね」
レイはそう言いながら、俺へと視線をずらす。
正直なところ、そうしてほしいと思っていた。
今すぐにでも風呂の準備をして、食事も作って、温かいベッドでレイたちを休ませたい。
俺自身、ただただ日常へと戻りたかったのだ。
「――――しい」
突然、ユイ騎士団長の口から震えた声が漏れる。
「ユイ、何か言った?」
「羨ましいと言ったの! 私だって帰ってゆっくりとテオ様のもてなしを受けてみたいのに! お姉様ばっかりずるいわ! ずるい!」
首を傾げた俺たちを目の前にして、彼女は突如として声を上げる。
その姿はまるで駄々をこねる子供のようで、俺は呆気に取られてしまった。
さっきまで騎士団の功績がどうとか言っていたのに、もはや言っていることが二転三転している。
「私にもテオ様を貸してくださいませ!」
「それはダメ。テオは私の」
「ちょっとくらいいいじゃないですの! ずるい! ずるいずるいずるい!」
――こうして見ると、ただの姉妹喧嘩にしか見えないな。
問題は喧嘩の内容がどういうわけだか俺であることなんだが、これがなんとも複雑な気分である。
男冥利には尽きる話なんだろけども。
「テオ様ったら私が体を捧げるって言っても振り向いてくださらないのよ⁉ お姉様と見た目もそんなに変わらないのに!」
「待って、それは聞き捨てならない。テオ、どういうこと?」
まずいな、話の矛先が本格的に俺へと向き始めた。
「この前のティルル様への接待の件で発生した報酬の話だ。ユイ騎士団長も本気で言ったわけじゃ――」
「ひどい! 私はあなたを懐柔できるなら、本気でこの身を差し出してもいいって思ってましたのに!」
「ほんとに止めていただいてもいいですかね⁉」
この人、駄々こねてる振りをして場をかき回したいだけじゃないだろうな?
だとしたら本格的に質が悪いのだが、この人ならやりかねないからこそ恐ろしい。
「……テオ、詳しく話を聞きたい。だから早く帰る」
「わ、分かった。分かったからそう詰め寄らないでくれ」
俺は今、まだ知らないはずの女遊びがバレた旦那の気持ちを味わっていた。
結婚もしていないのに、嫌なことだけ知ってしまったな。
「テオ、あんまりレイを怒らせるんじゃないわよ。あたしだってどうなるか分からないんだから」
「分かってる……気を付けるよ」
「ちゃんと機嫌取りなさいよね! ほら、アルビンも行くわよ――――って、あんたら何してんの?」
カノンの問いかけを聞いて、俺もアルビンの方へと振り返る。
そこには困惑顔の彼が立っていて、そしてその腕に絡むようにしてメリアさんが立っていた。
「……俺が聞きたいのですが」
「アルビン様は戦闘中に私を助けてくれたの! 私、この人についていくと決めましてよ!」
「や、やめろ! 鬱陶しいぞ!」
「そんなこと言わないでくださいアルビン様ぁ! 私を守ってくださったときのあの凛々しい顔をまた見せてください!」
「て、テオ! カノンさん! 助けてくれ!」
メリアさんに抱き着かれたアルビンは、救いを求めて俺たちへと手を伸ばしてきた。
しかしその手はカノン自らの手によって弾かれる。
「カノンさん⁉」
「どいつもこいつも色ボケしやがって! あたしへの当てつけかこのやろぉぉぉぉぉ!」
やけに格好の悪い叫びが、広場へと木霊する。
この後、炎をまき散らして暴走しだしたカノンを皆で取り押さえ、レイの屋敷まで連行するというトラブルがあったが、それ以外は滞りなく帰宅することができた。
しかし、帰宅した途端に俺は再びの違和感に襲われる。
本当にあれが魔王だったのか、そんな疑問だけが、どうしようもなく胸にこびりついていた。




