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「これ、とても美味しい」
食堂の椅子に座る彼女、レイは漬物を口に含んでそう言った。
バートルさんに教えてもらった作り方をそのままやってみたのだが、どうやら成功のようだ。
「今までは肉が至高だと思っていたけど、テオと会ってからずいぶん考え方が変わった。他にもたくさん美味しい物はある」
「そう言ってもらえると作り手冥利に尽きるよ。レイに喜んでもらうために作ったわけだからな」
彼女の前に、焼いた魚やミソと呼ばれる調味料で作ったスープを置く。
東の国でよく作られている料理らしく、何とも言えない落ち着く風味が特徴だ。
身体的疲れは見えないレイだが、前にも言っていた通り精神的な疲れは残っているかもしれない。
このスープが回復に少しでも役立てばいいのだが。
「……すごい。このスープ、とてもホッとする」
「少しでも濃かったら言ってくれ。すぐに調節するから」
「ん、ちょうどいいよ? テオはもう私の好みを理解している」
――確かに。
別に理論があるわけでもないけど、レイの好みの味付けはすでに何となく作れる。
味見すれば、それがレイの好みかそうでないかはすぐに分かるだろう。
「……もはや無意識だったなぁ」
「カノンやアルビンの好みも分かる?」
「え? ……ああ、多分」
レイは少々濃いめの味付けが好きだ。
けれど濃ければいいってものでもない。
彼女へ向けて料理を作るときは、レシピ通りの分量に塩をふたつまみほど足す。
ソースなどであれば半回し追加して、味をはっきりさせるんだ。
カノン相手なら辛みを足す。
炎の魔法使いだからか、彼女は辛い物をよく食べたがるのだ。
だから唐辛子などを使って、ピリ辛に仕上げる。
そしてアルビンなのだが、実のところ彼が一番簡単だ。
濃い味よりも薄味が好きなようで、レイのときと同じ言い方をするのであれば、塩をひとつまみ減らせばいい。
――こう思うと、結構分かるものだな。
「そういえば、そのカノンとアルビンはどうしてるんだ? てっきり今日はここへ来るもんだと……」
「二人はまだ仕事の後始末。今日は冒険者ギルドで泊まって、帰ってくるのは明日だと思う。私はファミリーの親の特権でギルドに任せてあるから」
「そうか……本当に大変だったんだな」
後始末だけで泊まることになるなんて、彼女らへの依頼量が今までとは比べ物にならないくらいに多かったという証拠だろう。
騎士団なんて目じゃないほどに働き詰めだったはずだ。
「冒険者業に関してだと俺はまったくもって役に立てないから……少し申し訳なく思うよ」
「ん、気にすることはない。テオのおかげで私は頑張れる。元々こうして家のことをやってくれるだけでいいって、そういう約束。テオはちゃんと守ってくれてる。だから、あなたも立派」
「っ……」
こういうレイの褒め方には、いまだに慣れない。
生きているだけで褒められているような感覚だ。
だけど……強いとはいえ命がけの仕事をしているレイと比べてしまうと、俺ももっと助けになりたいという欲求が生まれてしまう。
何か他に助けになれること――。
「――あ……そうだ、膝枕」
「っ! 覚えててくれたの?」
「あ、ああ。本格的に忙しくなってきた頃に、あんたからお願いされたことだ。忘れるわけがない」
「んっ、嬉しい」
レイの周りに花が舞う――ように見えた。
「今日っ、今日してほしい。私は疲れている。それにみんなもいない。だから今日してほしい」
「分かった! 分かったから! そう距離を詰めないでくれ!」
ぐいぐいと詰め寄ってくるレイを腕で押し戻し、席へと座らせる。
レイは素直に席には戻ってくれたが、目は期待できらきらと輝いていた。
「夕飯が終わったら風呂に入ってくれ。やるにしても、寝る前にしよう」
「ん、それくらいなら我慢する」
レイはそう言うと、再び食事に手をつけ始める。
それにしても、膝枕か。
決して大事ではないのに、こうも緊張してしまうのは俺が意識しすぎているせいなのだろうか?
♦
「……」
レイが風呂から上がったあと、俺も続いて風呂に入り自室へと戻ってきた。
ベッドに腰掛けつつ、俺はそわそわと体を揺する。
勝手に彼女がこのベッドに入り込んでいることはよくあったが、こうして自分から部屋に招き入れるとなると勝手が違うのだ。
だいたいなぜ俺の部屋なのだろう。
――そんなことを考えているうちに、部屋の扉がノックされた。
「ん、入っていい?」
「あ、ああ……どうぞ」
扉が開き、レイが部屋の中に入ってくる。
彼女は薄いネグリジェを身にまとっていた。
太ももの位置や肩から先が透けて見えるため、いかんせん視線に困らされる。
今まであまり意識させられることはなかったのだが、今日に限っては妙に頬が熱くなるのを感じた。
「隣、行く」
「ああ……」
レイの表情はいつも通りだが、心なしか挙動に落ち着きがない。
緊張しているのはお互い様のようだ。
「私こういうの初めて。どうしていいか分からない」
「……俺もだ。女性には極力触れないようにしていたし」
レイと暮らすようになっていくらか経つが、いまだに彼女やカノンと身体的接触があるときは体が縮こまる。
トラウマを払拭するのは決して簡単ではないようだ。
「辛いようなら、別のことでもいいよ?」
「いや、嫌悪感とかを感じるわけじゃないんだ。何というか……どれも後ろ向きに考えてしまうというか」
レイを信用していないわけではない。
俺が感じてしまうのは、こうして触れたときに不快にさせてしまったらどうしようという不安だ。
「テオは……やっぱり怖がっている」
レイの手が、俺の手を包むように重なる。
何事かと思い、俺は彼女の目を見た。
「私はあなたを絶対に拒まない。あなたの望みは全部私が叶える。これを新しい報酬にする。お給料と一緒」
「なっ」
何でそこまで俺に――。
そう言おうとしたが、俺の口は動かない。
これを口にしてしまえば、俺たちの関係性が変わってしまうような気がしたのだ。
理由はまったく分からないし、ただの予感でしかないけれど。
分かっていることとしては、俺がそれを恐れたということだけだ。
「っ――――ありがとう。じゃあ早速だけど……膝に頭を乗せてくれ。レイの望みを叶えることが、今の俺の望みだ」
「んっ、じゃあ遠慮なく」
俺が膝を叩くと同時に、レイの体が倒れてくる。
そして俺の膝に頭を乗せた彼女と、目が合った。
「ど、どうだ?」
「ん……とても安心する」
決して重くはなく、そして軽いわけでもない不思議な感覚が、太ももの辺りを経て伝わってくる。
レイの美しく艶やかな髪が少しくすぐったくて、俺は身じろぎをした。
「ん、重い?」
「いや、まったく。そっちこそ硬くて首が痛くならないか?」
「大丈夫。むしろ……ちょっと眠くなってきた」
ちょっと、とレイは言ったが、その瞼は少しずつ閉じ始めている。
やはり精神的にかなり疲れていたようだ。
「このまま寝るか? 頃合いを見てベッドに運ぶから、あとのことは任せてくれていいぞ」
「ん……いいの? じゃあ……このまま寝てみたい」
「分かった。ゆっくり休んでくれ」
そっと彼女の頭に手を添えて、そのまま撫でる。
しばらくそうしていれば、レイの瞼は完全に落ち切り、安らかな寝息が聞こえてきた。
「……おやすみ、レイ」
気づけば、俺は彼女が深く深く眠るまで頭を撫でていた。
レイは――俺にとって特別な人だ。
それは確実に言えることで、例え今後彼女と離れてしまうことがあっても、死ぬまでそう言い続けるだろう。
ならば逆に……レイにとって俺は何なんだろうか。
騎士団と決別して以来、今まで気にならなかったことが気になるようになってきた。
いつか、今の曖昧な関係がはっきりしたものに変わってしまう日が来るかもしれない。
もしもこじれたものになってしまったそのときは――――。
「……今考えることじゃないよな」
俺は頭を振って、思考を振り払う。
レイはもう起きる気配すらない。
もう部屋へ運んでしまってもいいのかもしれないけれど、まだしばらくは俺の部屋にいてもらおうと思う。
彼女ならきっと、許してくれるだろうから。
独占欲の芽生えを書くのは難しいものですね。




