9-2
「ごきげんよう、ユイ騎士団長」
「ええ、ごきげんよう」
「む、隣の方は?」
「私の客人ですわ」
「なるほど、これは失礼いたしました。私は貴族の――」
目の前の豪華な服を身にまとった男性は、そうして俺に対しうやうやしく頭を下げた。
俺はそんな彼に愛想笑いをすることしかできない。
「では行きましょうか」
「……はい」
彼女はある程度の対応を終えると、俺を連れて廊下を進む。
まだ出口までは距離があるな……。
「俺、何者だと思われてるんでしょうね。もう五度目ですけど」
「私の客人ですよ。そう紹介してるではないですか」
「いや……やっぱり何でもないです」
何を勘違いしたか、声をかけてくる貴族たちからは媚の気配がする。
それが妙に気持ち悪くて、さっきから体力を持っていかれているのだ。
……にしても、ユイ騎士団長のこの人望はかなり恐ろしい。
普段は威張り散らしているような貴族たちが、軒並み下から彼女へ接している。
騎士団長は騎士団の中を率いているだけで、国としての身分はそれほど高いわけではないというのに。
「ん?」
そうして歩いていると、俺は目の前から集団が歩いてくるのが見えた。
俺の表情が少し歪む。
国の紋章が刻まれた鎧――リストリア王国騎士団の騎士たちだ。
俺は彼らに道を開けようと、廊下の端へ移動しようとする。
しかしそれを、ユイ騎士団長に引き留められた。
「退く必要はありませんわ」
ユイ騎士団長はそう言いながら真っ直ぐ進んでいく。
すると騎士団の方が左右の端に移動し、彼女の前に道を開いた。
「お疲れ様です、ユイ騎士団長」
「ええ、お疲れ様。就任おめでとう、カトール隊長」
「何を仰いますか。あなたが任命してくださったというのに」
端正な顔立ちの男は、ユイ騎士団長へ苦笑を見せる。
どうやらこの人がブラムの後釜らしい。
俺が顔を覚えていないということは、おそらく別部隊の人間だろう。
まあ、ブラム隊はすでにブラムの息がかかっていた連中ばかりだ。
そこから隊長を選ぶことは誰も許さないだろう。
「見たところ訓練終わりですね」
「ええ。たまには我々の訓練をつけてはくださいませんか?」
「全員壊れてしまってもいいのなら構いませんわ」
「……やはり遠慮しておきましょう」
そのとき、カトールと呼ばれた彼が俺へと視線を向ける。
すぐに何者か気づいたようで、彼は複雑な表情を浮かべすぐに視線をずらした。
「では、我々はこれで」
「はい、ゆっくり休みなさい」
騎士団の連中は会釈をすると、そのまま通り過ぎていく。
当然のことだが、誰も俺と視線を合わせようとはしない。
そして当然、最後尾についていっている彼女も――。
「……フェリス・イングラスが気になりますか?」
「あ、いや……」
フェリス・イングラス。
俺が騎士団から迫害を受けるようになった切っ掛けの人物。
騎士団との決別以来決して関わらないという約束を交わし、今後の人生で顔を合わせて話すことはないと思われる人物だ。
「関わらないとは言いましたが、少し引っかかりまして……」
「ああしてカトール隊に所属していることが、ですね?」
「……ええ、そうです。隊長を降りたんですね」
「はい。彼女自身部下からの信頼をなくしましたし、任せておくわけにはいかなくなりましたから。――まあ、降格は彼女自身の意思でしたが」
フェリス・イングラスの性格を考えるのであれば、当然の結果と言えるだろう。
正義感の塊である彼女が、隊長の地位を守りたいと思うはずがない。
「いい気味だと、思いますか?」
「……いいえ、何も思いません。反対に哀れみも湧いてこない」
何かが違えば、俺はまだ騎士団にいて彼女と良き同僚として働いていたかもしれない。
しかし、それはもうありえないのだ。
俺たちの結末はここ。
ここでいいんだ。
「次に会うときは見知らぬ人間同士。それでもう何の問題もありません。……行きましょうか」
「……ええ、そうですわね」
ユイ騎士団長の意味ありげな笑みをスルーし、俺は城外へと足を進める。
俺は自分自身に安心を覚えていた。
しっかり決別ができていると、確信することができたのだから。
♦
ユイ騎士団長と別れ、俺は一人で商店街を歩く。
レイが帰ってくるのは明日。
これでランクの高い魔物はあらかた片付けることができるらしく、しばらくは家でゆっくりできるそうだ。
というわけで、明日はとびっきりのごちそうを作りたい。
「――と思って来たんだけど……」
まず俺が訪れたのは、初めにレイに紹介してもらった八百屋だ。
店主のバートルさんが仕入れてくる野菜はどれも新鮮で、外れがない。
だから俺もよく利用させてもらっていたんだけど――。
「おお、テオじゃねぇか! 野菜買ってくか?」
「あ、ああ……そうするつもりなんですけど、これ何ですか?」
俺は店先に置かれた屋台を指さす。
それが半分ほど店の出入り口を塞いでいたため、俺は驚いていたのだ。
「ああ、こいつは勇者祭用の屋台だよ。うちは毎年やってるんだぜ?」
「あぁ、なるほど」
去年までの勇者祭は離れた場所の警備に当たらされていたため、屋台の形状をよく見ていなかった。
こうして店先に並べていくのか。
「うちは漬物にした野菜を串に刺して売るつもりでな。ちっと季節はズレるんだが、キュウリとかはよく売れるんだぜ?」
「へぇ、いいですね。食べやすそうですし」
「だろ? 今や魔法で温度やらを一定に保つ技術もあるからよぉ、旬じゃなくとも手に入るのはありがてぇ話だよ。あ、そうだ。一本食ってみるか?」
「いいんですか?」
ほらよ、と、バートルさんは俺にキュウリの漬物を渡してくる。
口にしてみればカリカリという心地いい音が響き、浅めに漬かった塩味とキュウリの風味がちょうどいい。
風や炎の魔法を駆使して、一定の空間内に同じ季節を保ち続ける技術があるのは知っている。
しかしこうも新鮮さと美味さを保てるものであるとは知らなかった。
レイに頼んで今度庭に導入してもらおうか……。
「どうだ? 美味いだろ」
「ちょっと驚いたくらいです。売れる理由が良く分かりました」
「だろだろ? 家で食うためにまとめ買いする奥さんもいるくらいだ。いい口直しになるんだと」
確かに、濃い味の料理の横にあると嬉しいかもしれない。
ウメなどと合わせてみても口の中がさっぱりするだろうし、塩で揉み込む分保存も効く。
「これ、作り方を教えていただけませんか……? 家でもやってみたいんですけど」
「あー、本来なら秘密にしておきてぇところなんだがな……レイんとこはお得意様だ。……しゃーねぇ! 教えてやる!」
「ありがとうございます!」
バートルさんは俺を店の中へ招き入れてくれた。
そして数本のキュウリを手に取ると、まずはそれを一口大に切り始める。
「こいつは家で摘まむ用の作り方だ。まずはこんなもんに切って、器に入れて塩を振る。このときの塩加減は野菜の重さに対して2パーセントってとこだな」
「結構少ないように感じますね」
「言葉にしてみりゃな。ただこれはメインディッシュは他にあること前提だ。味が濃いとそれはそれでダメなんだよ」
その説明とともに、バートルさんは塩のかかったキュウリを袋に入れてもみこんでいく。
「もちろんこの袋は清潔かつ水を通さない物を使え。そしてこんときにいくつか工夫できる部分がある。例えば出汁とかだな」
「何出汁ですか?」
「割と何でもいいぜ。そこまで多くする必要もねぇからな。俺はよく海藻系の出汁を使うが」
バートルさんが取り出したビンの中身を嗅がせてもらうと、嗅ぎ慣れた出汁のいい香りが漂ってくる。
確かこの香りはコンブだ。
海で採れるもので、たまにこれを背中に生やした魔物がいるらしい。
「こいつも袋に入れて、もっかい揉む! そんでしばらく寝かせりゃ完成だ。時間の話はもう好みの問題だな。これで三日程度は持つぜ」
「すごいですね……これだけ簡単なのに美味しいなんて」
「野菜の力がでかいけどな! 参考になったか?」
「はい! とても! 明日試作してレイに食べてみてもらおうと思います」
「そりゃいいな! 反応が悪くなかったら俺にも教えてくれよ!」
「もちろん。改めてお礼に来ます」
思わぬ収穫だった。
ライスさえあれば漬物をおかずにすることだってできるだろう。
季節によっては、夏バテに対する強い味方にもなってくれるはずだ。
俺は当初の予定通り明日使う野菜をいくつか買うとともに、食べきれるだけのキュウリを購入するのであった。




