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「ろ、ろーるきゃべつ……?」
ティルル様は、俺が口にした料理名に対し首を傾げている。
無理もない。俺自身ロールキャベツは一般的に作られているものだと思っていたが、実際料理本などに目を通してみるとどこにも書いていなかったのだ。
郷土料理、そう言ってしまっても差し支えないのだろう。
「先ほども申した通り、この料理はそれなりに手間がかかります。故に一見難しくも見えますが、やってみると意外と簡単だったり」
俺は取り出したキャベツをまな板の上に置き、コンロにかけていた巨大な鍋の蓋を開く。
これは俺が昨日屋敷を出る前に煮込んでいたものだ。
中には黄金色の半透明のスープが満ちている。
「これ……コンソメ?」
「その通りです。自家製ですが、味や風味はそれらしくできていると思います」
コンソメスープというものがある。
この国では高級料理店などで出されるもので、野菜や肉を長時間煮込み旨味や風味を凝縮した料理だ。
高級な由来はもちろんその手間にある。
そもそも一般家庭のコンロでは、長時間の稼働に対し組み込まれた火の魔法の方が耐えられない。
だから最新型のコンロが組み込まれた場所でしか作業自体成り立たないのだ。
なぜ俺がこんなスープの存在を知っているかと言われれば、それは村にあったからとしか答えられない。
俺が生まれた村では黄金水と呼ばれており、特別な行事の日に飲むため村人が交代制で毎日毎日煮込み続けていたのだ。
焦げ付かぬよう、皆手作業で食材を混ぜていたのである。
これをコンソメという名で紹介している料理本を見たときは、正直驚いたものだ。
「一つお聞きしたいんですが……アルバさん、アストラス王国の城の厨房にはコンソメが常備されていますか?」
「ええ、もちろん。コンソメは様々な場面で活躍しますが故、常に切らさぬよう継ぎ足し継ぎ足しで用意しております」
「安心いたしました。ならばコンソメ作りの手順は省かせていただきます」
俺は冷却ボックスから、さらにいくつか食材を取り出す。
豚肉と牛肉、玉ねぎに人参――これにキャベツを加えて、ひとまず使うものはそろった。
「ではまず、この肉たちを細かくしていきます。これは包丁の扱いが難しいので、ある程度までで構いません」
「わ、分かったわ……」
棚から包丁を取り出すと、ティルル様はそわそわした様子でそれを受け取った。
おそらく握ったことすらなかったのだろう、力いっぱい握りしめてしまっている。
「それでは少し危険ですね。……失礼します」
「ひゃ――」
包丁を握る彼女の手を、さらに上から握る。
「剣を握るように……と言っても難しいですね。えっと、上から手のひらを被せるように置いてください。今回はそれほど硬いものを切るわけではないので、主な力は手首で生み出して――――どうかされました?」
「あ、あの……っ! あのっ……」
ティルル様が分かりやすく慌てている。
どうしたことだろうか、彼女ほどの身分であれば接待などで男性と触れる機会はあると思うのだが。
「失礼、テオ殿。ティルル様は歳の近い異性の方と触れ合った機会はほとんどなく……少々気が動転してしまうことをお許しくだされ」
「爺! よ、余計なこと言わないで!」
……これはこちらの配慮が足りなかった。
何事も思い込みで実行してしまうのは良くないな。
「失礼いたしました。では隣で形を見せるので、それを真似して――」
「け、結構よ! このまま続けてちょうだい!」
「……よろしいのですか?」
「ええ! お、おおっ王族であるこのわたしが男に触れられないなどあってはダメですもの!」
そこは王族と関係ないと思うが……。
まあ、このまま続けていいというのであれば助かる。
「ではお言葉に甘えて……ここの指の形はこうして」
「ひゃっ!」
――――先が思いやられそうだ。
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「はぁ……はぁ……こ、これでいいのよね……?」
「はい。これにて下ごしらえは終了です」
あれから十数分。
四苦八苦しながらも、ティルル様はすべての食材を切り終えた。
とはいえミンチにする必要性があるため、最後のもっとも細かくする作業だけは俺が一人で行ったけれど。
さすがにこの作業は手を切る可能性が高いため、初心者の彼女にはさせられなかった。
「ではこれらをすべて混ぜ合わせていきます。この容器の中に移してください」
「……分かったわ」
ティルル様は一つ頷くと、よく洗った手で食材を掴んで移していく。
肉を掴む感触は苦手な人も多いと聞くが、この辺りの迷いなく掴む度胸はさすがだ。
「移したらそのまま偏りが出ないよう混ぜていきます」
「ふむ、テオ殿、一つよろしいでしょうか?」
「何でしょう?」
「繋ぎのようなものは必要ないのでしょうか?」
繋ぎ――主にハンバーグなどにおける卵のことを指す言葉だ。
これがないと、ハンバーグは焼いている途中にバラバラになってしまう。
「今回は必要ありません。ここまではハンバーグの作り方と似ていますが、完成形はかなり異なりますから」
「ほう、なるほど。差し出がましいことをして申し訳ありません」
「いえ、当然の疑問だと思いますので。本当にこの段階まではハンバーグと同じなんですよ」
そう言いつつ、俺はパン粉を取り出す。
乾燥させたパンを砕いた自家製だ。
俺はこれをティルル様が移してくれた容器にパラパラと振りかける。
「ではお願いします」
「う、うん」
ティルル様はおっかなびっくりと言った様子で食材を混ぜ始める。
初めはぎこちなさを感じる混ぜ方であったが、しかしそれも最初だけ。
徐々に楽しさを覚えて来たのか、混ぜるにつれ手際が良くなっていく。
「意外と……っ、楽しいわね」
「お上手です。食材自体の混ざりはいい具合なので、これを足しましょう」
ティルル様のとなりに、小さな器に移した塩と胡椒を置く。
「分量としては、この大きさの器にこの程度の山ができるくらい。これを満遍なくかけたら、また混ぜ合わせてください」
「分かったわ!」
ティルル様は意気揚々と塩と胡椒を振りかけた。
料理には、どうしても面倒くさいという印象が付きまとう。
しかしいざ手を出してみれば想像以上に奥深く、そして己によって形を変えていく食材たちを見るのは楽しいものなのだ。
このまま彼女の新たな趣味となってくれればそれがもっとも嬉しいことなのだが――――まあ、下手に多くは望むまい。
「――うん、このくらいで大丈夫でしょう。これでタネの方は一旦終了です」
「タネ? どういうこと?」
「この料理における重要な核を担っているのが、これらの食材ということです」
俺は肉を切った包丁を流しにかけ、一度丹念に洗う。
そうして野菜を切る用に置いてあるまな板に、ついに初めに見せた食材――キャベツを置いた。
「次にこれを切ります。再び包丁を握っていただけますか?」
「もちろんよ! ここまで来たら文句が一つも出ないほどのろーるきゃべつを完成させるわ!」
「その意気です」
さて、最難関は突破した。
この段階でこれほどのやる気を見せてくれるのであれば、ここからの作業はきっと楽しんでくれるだろう。




