7-5
「ティルル様は王と、その王妃の間に生まれた子ではありません」
アルバさんの話は、そんな入りから始まった。
俺の理解が追いつく前に、彼は言葉を続ける。
「王妃は子が産めぬ体でした。しかし、王も王で王妃以外の者を嫁にするつもりはなかったようで……故に、王は世継ぎを残すため自らの精を提供する形で王族以外に彼女を産ませたのです」
「ま、待ってください……それはティルル様は知っているんですか?」
「ああ、その辺りは彼女も知っております。しかし……ティルル様自身に伝わったのが、かれこれ二年ほど前。多感な時期でしたので、彼女の成長に大きな影響を与えました」
アルバさんは一度目を伏せる。
そしてひとつひとつ思い出していくように、言葉を続けた。
「その頃から王妃様との関係もズレが生じ、お互いどう接するべきか分からない様子です。あのわがままな性格が見えてきたのも、ちょうど周りがそれに気づきだした頃でしたね」
――まあ、だから周りに迷惑をかけていいという話ではないのですが。
そういってアルバさんは小さく笑みを浮かべる。
「テオ殿、折り入ってお願いがあります」
「は、はい?」
「ティルル様のやることなすことすべてを許して欲しい訳ではありません。ただ、あなたの可能な範囲で、どうか彼女を導いてくださいませんか? 老い先短い男の願いです」
目の前で、俺の数倍は生きているであろう人が頭を下げてきた。
――何と言えばいいか分からない。
「な、なぜ俺に……? それに俺が人を導くなんて……」
「ティルル様のあそこまで喜ばれた顔は久しく見ておりませんでした……あなたはきっと、周りの人間に良い影響を与える力を持つ人だ」
「いや……俺にそんな大した力は――」
「ほほっ、まあ、曖昧なものであることは間違いないでしょう。自身じゃ気づけないのも無理はない。私が抱いたこの感想も、的外れである可能性はいなめません」
アルバさんは俺と目を合わせた後、その視線をレイやカノンへと送る。
彼女らも彼女らで話の内容が気になっていたのか、興味深そうにアルバさんの顔を見ていた。
「ただ、あなたが持つ者を惹きつけているのは明白です。あなたであれば、ティルル様のどうしようもない感情を緩和させることすら可能かもしれない。――もちろん、ただとは言いません」
そこまで言って、アルバさんは少しかがんで俺の目をのぞき込んできた。
俺は気まずくなって目をそらそうとするが、その強い視線がそれをさせてはくれない。
「あなたは良い眼をしておられる」
「良い……眼?」
「ええ。初めあなたを見たときは覇気のない若者と思っておりました。しかしそれは勘違いだったようです。今のあなたの目からは、惚れ惚れするほどの向上心を感じます」
アルバさんはそう言いつつ、懐から一枚のハンカチを取り出した。
彼はそれを丁寧にたたむと、そっと俺へと差し出してくる。
「これは……?」
「今後アストラス王国を訪れることがあれば、城の者にこれを見せてください。このハンカチには私の名前が書いてあります。私がティルル様と共に城にいれば、直接取り付いでもらえるでしょう」
そのハンカチを受け取りひっくり返してみれば、確かにそこにはアルバさんの名前があった。
「あなたが今後もティルル様のことを気にかけてくれるのであれば、私からそれなりの礼をさせていただきます」
老いた執事ごときでお礼となるかは定かではありませんが――。
そんな言葉を挟み、アルバさんは再び口を開く。
「ここ数十年で私が身につけた使用人としての技術は、あなたの今後の飛躍に役立つかもしれません。アストラス王国流のもてなし方を教えることができればと思います。――どうでしょう?」
正直、悪くない条件だった。
今後の自分のために、彼から教えを受けるというのは大切な経験となる気がする。
国が変わったところで、人が何をされて喜ぶかということに大きな違いはないはずだ。
「――あくまで、俺はレイのものです。彼女以上に優先すべき人は、例え王族であっても存在しません。それでもよければ、自分なりにティルル様と関われればと思います」
「ええ、もちろん。ティルル様は後に国を率いるお方。あなたが関われば、彼女は後に良き女王として国民からも慕われることでしょう」
「そんな大層なことは……まだできないと思いますけど」
「今は先ほどと同じように接していただくだけで構いません。いつか、あなたがティルル様にとって本音をこぼせる相手になることを願っております」
俺は何も言えなくなり、頬をかいた。
荷が重いものを引き受けてしまっただろうか?
ただ、アストラス王国流のもてなし方は自分の中に取り入れたい。
これでさっきの話のようにティルル様の専属になれという内容だったのなら断っていたが、可能な範囲でいいということであればかなりいい条件だと思う。
「じゃあ、ひとまずティルル様がこの国にいる間で努力してみますね」
「ええ。よろしくお願いいたします」
そうして俺は話を切り上げた。
思わぬ事情を知ってしまった以上、接し方も少しは考えなければならないだろう。
それに何事も起きないまま滞在を終えてもらうことを前提に置いておかなければならない。
また少し、先への不安が俺の中に増えていた。
♦
あれからしばらくして、突然応接間の扉が開け放たれた。
そうして並んで出てきたのは、当然のごとくディアード様とティルル様である。
「やあ、待たせてしまったね。私はこれから国の重役との用があるからここで失礼するよ。では行こうか、ユイ騎士団長」
「はい」
大人しく待っていたユイ騎士団長は、ディアード様の後ろにつく形で廊下を歩いていく。
去り際、彼女が俺に向かってしたウィンクがやけに印象に残った。
誰かさんの依頼のせいで面倒くさい事態になっているのだが、あまり自覚はないのかもしれない。
無事にこの仕事が終われば、そのときは遠慮せず願いを叶えてもらおう。
「お帰りなさいませ、ティルル様」
「ありがと、爺。じゃあさっそく……わたしは街の散策がしたいわ!」
――いきなり来たか。
彼女がこの国にいる間、その世話をするのが俺の役目。
だからティルル様が散策したいといえば、俺はそのエスコートをしなければならない。
「ティルル様、引き続き私があなた様のエスコートを任されているのですが、問題はありませんか?」
「え、ええ? あ、あなたがエスコートまでしてくれるのね? な、なら任せるわ!」
「……?」
さっきの件から少し気まずいのだろうか。
ティルル様は少しどもり、俺から視線をそらす。
任せると言ってもらえている以上問題はないようだが――。
「目的地等は定めておきますか? なければひとまず大きな通りを回ろうかと思っておりますが」
「じゃ、じゃあそれでいいわ!」
「……かしこまりました。では、準備ができ次第出発ということで」
どうしたと言うのだろうか。
子供の感情は分かりづらい。
俺は首を傾げながら、アルバさんと共に離れていくティルル様の背中を見送るのであった。




