7-4
「っ! リストリア国王、ディアード・デ・リストリア様。お待ちしておりました」
先ほどまでべそをかいていた様子はどこへやら。
ティルル様はその表情を引き締めると、滑らかな動作で立ち上がり頭を下げる。
その切り替えっぷりに反応が遅れてしまったが、俺も慌てて頭を下げた。
この部屋で彼に対し頭を下げないのは、レイとカノンだけだ。
「……頭下げなくて、いいのか?」
「いいのよ。あたしらにこの国から出て行ってほしくないからか、国の上の方は結構低姿勢なの。騎士団はともかくね」
まあ――二人からすれば、この国に執着する理由もない。
移住しようと思えばどこの国からもお呼びがかかるだろう。
性格上二人は口に出さないが、もはや住んでやっていると言ってもいい状況であるはずだ。
「ふむ、君たちが城に来ているとはね……シルバーホーン、ポートリフ。急ぎの用事かな?」
「用事は、ない。私たちはテオの護衛」
「テオ……ああ、君か。ユイ騎士団長から話は聞いているよ。今回ティルル嬢の世話役を買ってでたそうだね」
突如国王から話しかけられ、俺の肩は跳ねる。
カリスマ性のある声というのはこういうものを指すのだろう。
聞いているだけで妙に委縮してしまう。
というか、買ってでた?
話が違うと思い、俺は横目でユイ騎士団長へ視線を送る。
彼女は王の背後に控えているのをいいことに、俺へ向け舌を出して見せた。
いつか彼女に対して何かしら反撃を試みたいものである。
「さて、改めましてティルル嬢。お待たせして申し訳なかったね。いつも通り、挨拶と近況報告を始めようか」
「ええ、よろしくお願いいたしますわ」
ここで俺は一旦休憩となる。
王族同士の会話は、王族でないものが聞いてはならぬ――。
よその国の決まりは分からないが、これが友好関係を結んでいるリストリア国とアストラス国の取り決めだ。
このときだけは王族というしがらみを逃れ、腹を割って話すことが目的らしい。
決まった当初は危険性が騒がれたらしいが、かれこれ十代ほど続いている伝統であるため、今更文句を言う人間もいない。
と、言う訳で。
続々と退室していく使用人たちに混ざり、俺は応接間を出ようとした――――そのとき。
「ああ、テオと言ったね。君、私にも紅茶を淹れてくれないかい?」
「へっ!?」
突然ディアード様に呼び止められ、素っ頓狂な声が出る。
紅茶、今紅茶を淹れろと言われたのか。
「お生憎。テオの仕事にあんたのもてなしは入ってないわよ」
「いいじゃないか。そのポットにまだ入っているだろう? それを注いでくれるだけでいいんだ」
「……だ、そうだけど?」
ディアード様の視線は、俺が押していたカートへと向けられていた。
確かに紅茶は残っているが、まさか国王にまで振舞うことになるなんて……。
ただ、ここで断る理由も特にない。
「い、淹れさせていただきます……」
俺はカップに紅茶を注ぎ、ディアード様の下へと持っていく。
城の厨房にあった高級な茶葉で淹れた方だ。
いつも飲んでいるだろうし、特に文句はつけられないはず――。
「どうぞ……」
「ああ、ありがとう」
ディアード様は笑顔でカップを持つ。
そうして一口紅茶に口をつければ、「ほう」と小さく声をもらした。
「ふむ。美味い」
「こ、光栄です……しかし特別な淹れ方とかはしていな――」
「ああ、勘違いさせてしまったね。美味いとは言ったが、実際に褒めているのは味ではないんだ」
カップを口元から離して一度テーブルに置いたディアード様は、一息置いて再び口を開く。
「感じたのは、君からの気遣いだよ。まず、多く口に含んでも火傷せず、なおかつ温いとは感じない温度で保たれている。それでいて風味が損なわれないように、濃さも絶妙だ。これならきっと冷めても美味しいだろうね」
「……」
「おや、外れてしまったかな?」
「い、いえ……自分のできる最大限の工夫をすべて言い当てられてしまって……驚いているだけです」
「ならばよかった」
別に隠していたわけではないが、ここまで言い当てられると少々恥ずかしい。
嫌ではないが――同時に悔しくもある。
やはり俺の技術は一流でもなんでもない。
人としての格が違う者には、俺程度の小細工はまったく通じないのだ。
ここまで完成された人間を喜ばせることは、きっと今の俺では不可能なのだろう。
「引き留めてすまなかったね」
「……いえ、失礼いたします」
俺は踵を返し、再びカートを押して部屋から出る。
王族である二人だけが部屋に残り、他の者が全員退室した段階で、部屋の扉はぱたりと閉じた。
これでしばらくは中の様子が分からない。
「テオ。王を唸らせるなんて、すごい」
「ああ……ありがとう」
「ん、何か浮かない顔。気分悪い?」
「別にそういうわけじゃないんだ。大した事でもない」
「……そう」
レイは心配そうに顔をのぞき込んでくれたが、俺が思いのほか深刻な顔をしていなかったからか、安心した様子で廊下の壁に寄りかかる。
そう、決して深刻な問題なんかじゃない。
俺の自己満足の話だ。
ティルル様に喜んでもらえた段階で、俺は満足して安心しきっていた。
王族ですら喜ばすことができると、小さな優越感すらあったかもしれない。
しかしそれでは彼へは届かなかった。
俺の精一杯の工夫がすべて言い当てられたということは、どれも簡単に真似できるということ。
誰にでもできる、それ自体は否定しない――が、果たしてそれでいいのだろうか?
今の俺なら、もっと上を……レイの隣にいるのに相応しい唯一無二の存在を目指せるのではないだろうか?
きっともっと、人を喜ばせることができるはずなんだ。
「――テオ殿で、合っておりますかな?」
「へ? あ、はい」
突然、隣から声をかけられる。
思わず顔を上げれば、そこにはティルル様のお付きであるアルバさんが立っていた。
「あなたにお礼を言わせていただきたい」
「お礼って……何のことです?」
「テオ殿はティルル様を喜ばせ、わがままを許してくれた。私ですら、久しく彼女が喜んでいる様子は見ておりませんでしたので……」
「あ、ああ……そういうことですか。いえ、俺も必死だったので……正直ホッとしてるんですけど」
俺がそう伝えると、アルバさんはやんわりと笑みを浮かべる。
「確かにティルル様は傍若無人で恐ろしいですからな」
「……それ言って大丈夫なんですか?」
「ここにはティルル様も、それ以外の国の者もいないので問題はありません。――だから、今からする話もここだけのものにしておいてください」
「え?」
彼はしばし間を置くと、ぽつぽつと話しだした。




