7-3
レイと執事がにらみ合う。
この二人を取り巻くように、部屋には重苦しい空気が満ちていた。
「ふーん……あのおじいさん、結構やるわね」
「分かるのか?」
俺は近くで感心したように頷いているカノンに疑問を投げかける。
いつの間にか自然と俺の横に立ったのは、きっと彼女なりに俺を庇おうとしてくれたのだろう。
「上手ーく隠してるけどね。多分護衛専門……誰かを守ることに関してのスペシャリストって感じかしら。要は殺意? みたいなものがないから、脅威が測りにくいのよ」
「……そういうこともあるのか」
「とは言え相手はレイだからねぇ。あの子がその気になればどうしようもないと思うけど」
「その気になられたら困るんだよ……」
「ですよねー。まあいざとなったらあたしが止めに入ってあげるから」
「……頼んだ」
俺は視線をレイに戻す。
カノンはこう言ってくれているが、事の中心にいるのは何だかんだ俺だ。
ここは俺が止めに入るのがまず筋だと思うのだが――。
「……私はその子がテオを諦めてくれればそれでいい。言葉を撤回して」
「ひっ」
レイが一歩近づくと、ティルル様はまた小さく悲鳴を上げる。
そんな彼女を庇うように、また執事がレイを制すのだ。
「言い分はご理解いたしました――が、もう一度申させていただきます。それ以上、この方に近づかぬようお願いいたします」
「だったら撤回して」
レイの対応は正直嬉しいとも思うが、さすがにムキになりすぎだ。
俺は事が起きる前に彼女に近づき、その肩を掴む。
「レイ、きっとティルル様だって冗談で言ったんだ。この辺りで落ち着いて――」
「冗談!? 何を言っているの! わたしは欲しいものは絶対手に入れるの! わたしが欲しいと言ったらわたしのモノになりなさいよ!」
――ああ、眩暈がする。
レイの髪の毛が一瞬ふわりと浮く……そんな錯覚を覚えた。
部屋に残っている使用人たちの膝ががくがくと震えだす。
なんて冷静に観察しているふりをしている俺も、取り繕うので精一杯だ。
口を開けば歯がガチガチと鳴って喋るどころではないだろう。
レイとレベルの同じ位置にいるカノンですら、頬に冷や汗を伝わせているのだ。
それが益々この状況の深刻さを物語っている。
カノン曰く護衛を極めているらしい執事に守られていることで、ティルル様にはそれが分からないのかもしれない。
これがもう少し年齢を重ねていたら、こんなことにはなっていなかっただろう。
そもそもレイ・シルバーホーンという人物を知っている年齢になっていれば――。
「大体あなた! 見たところ騎士じゃないし、雇われの冒険者ってところね! そんな身分も高くないくせに王族のわたしに逆らっていいと思っているの!? 二度と太陽の下を歩けないように奴隷にだってできるんだから!」
「――やってみて」
「……へ?」
レイが詰める。
それに反応し、執事がティルル様ごと後ろへ下がる。
「やれるものなら、やってみて。私は誰にも縛られない。あなたが国を上げて襲ってきても、私は負けない自信がある。国を取られるかもしれない――そんな覚悟が、あなたにはある?」
「な、何で……! 今までこう言ったらみんな諦めてくれたのに……っ!」
ティルル様の顔から色が抜ける。
ようやく、とんでもない人間を敵に回したと理解したらしい。
膝から力が抜けて、彼女は執事の足元にへたり込む。
「……ティルル様、ここまででございます」
「あ、アルバ!? あなたまで……」
ティルル様は縋るような目で執事を見上げる。
どうやらこの老執事の名はアルバというようだ。
彼はたしなめるようにティルル様に告げたが、おそらく彼女自身も理解はしているはず。
もはや事の発端――つまり俺のことなどどうでもいい。
自分の要望が通らなかったこと、それだけが我慢できなかっただけだ。
だから、育ちだした小さなプライドに邪魔されて退けなくなった。
いつもなら、ここでごねて要望を貫いたんだろう。
しかし、今回は完全に折れた。
国ですら制せない、圧倒的な力の前で。
「アルバ……? まさかとは思ったけど、ここで会えるとはね」
「し、知ってるのか? カノン……」
「声震えてるわよ……」
俺の中ではまだ緊張感は消えていなかったようだ。
鼓動を落ち着けながら、俺はカノンの側へ身を寄せる。
「守護神アルバ。かつてはめちゃくちゃ大きなファミリーの前衛を担当していた男。いまだタンク――――まあ大まかに言えば前衛って意味なんだけど、そのポジションを希望してファミリーに入るやつの大半は彼に憧れているわ」
「そんなに強いのか……?」
「さっきも言ったけど、守るってことに関してはね。あたしらが生まれた頃にはもう冒険者を引退して、どこかの国から直属の護衛として雇われたって聞いていたけど……まさかこんなところで会えるなんて。レイも相手にしなくて正解。時間だけ無駄に取られるわ」
カノンの言葉を聞き、俺は現状に対しさらに安堵を覚えた。
現役Sランクがここまで言うのだ。
レイの国取り発言はかなり現実感がなくなる。
彼女もそれを分かっていて、はったりとして使ったんだ。
本気でやり合おうだなんて思っていない――はず。
「ティルル様、申し訳ありませんが老いた私ではこの方を食い止めることはできません。ここはどうか、退いてくださいませ」
「っ……! う~~~~ッ!」
ティルル様はしばらく唸った後、がくりと頭を下げる。
そして小さく、「分かった」と口にした。
プライドと共に、折れてくれたらしい。
「ならいい」
静寂が訪れた部屋に、レイの声が響く。
その瞬間、重苦しい空気はどこかへと消えた。
使用人たちは一斉に崩れ落ち、胸を押さえている。
息が詰まる感覚は、俺にもよく分かる。
「テオ、これからはあんたも気をつけなさいよ。あの子がここまで感情をむき出しにすることなんて、もう大体はあんた絡みなんだから」
「……ああ。肝に銘じておく」
騎士団の一件のときもそうだったが、人から大切にされるという感覚がどうにも――慣れない。
いまだ自分を過小評価しすぎているのだろうか。
少なくとも……これからは自分の意見を強く言えるようになっていかなければならないだろう。
「座りましょう、ティルル様」
「……うん」
すっかりしょぼくれたティルル様を、アルバさんが席に着かせた。
子供が落ち込んでいる姿というのは何とも心苦しく感じる。
「……この話は、終わりにさせてもらいます」
俺はそう切り出し、彼女の前に砂糖を多めに入れたミルクティーを出す。
普段なら怒られる行為かもしれないが、今なら問題はないと思った。
「すみません、自分はもう彼女のモノなので、ティルル様と共には行けません」
「……」
「……代わりと言ってはなんですけど。今日のこれからと、またこの国に来る機会がありましたら、同じようにもてなしをさせてください。それくらいしかできませんから」
「…………いいの?」
「あなたに欲しいと言われたこと自体は嬉しく思いますし、こんな俺――じゃなかった、私の紅茶やお菓子でよければ、振舞わせてもらいます」
俺がそう伝えれば、ティルル様は小さく頷く。
そして俺の出したミルクティーを一口飲むと、ほっと息を吐き出した。
温かく、そして甘いものは気持ちを落ち着ける。
彼女からは反省の色が見えるし、もう大丈夫だろう。
「――失礼します」
そうして一息ついたときだった。
扉がノックと共に開け放たれ、見知った顔が挨拶と同時に入室してくる。
「ユイ騎士団長……」
「リストリア国王の準備が整いました」
俺の知らない真剣な顔つきで、ユイ騎士団長は一礼する。
その背後からゆっくりと、白く質のいい布を身にまとった長髪の男が入ってきた。
「何やら……面白そうな話をしていたようだね」
リストリア国王――――ディアード・デ・リストリア。
この国に住む者なら知らないわけにはいかない存在が、悠然とその姿を現したのであった。




