7-2
ざくり、ざくりと包丁で目の前のそれに切り込みを入れていく。
俺はそうして切り分けたうちの一つの下に包丁を滑り込ませ、形が崩れないようにそっと取り皿へと乗せた。
「お待たせしました」
「こ、これは?」
「カスタードクリームとシナモンを使ったアップルパイです。こちらストレートティーと一緒にどうぞ」
ティルル様の生唾を飲み込む音が聞こえてきた。
このアップルパイを切り分けた時点で、部屋の中にふんわりと甘い香りが漂っている。
香りの段階でこの反応をもらえるのであれば、かなり幸先はよさそうだ。
「て、テオ? それは何かしら?」
「だからアップルパイだって――――」
後ろからカノンの声がして振り返り、俺は驚く。
そこにいたのは、みっともなく口から涎を流すカノンとレイだった。
レイは絶世と言っても過言ではないほどの美女で、カノンも美女とはまたベクトルが違うものの可愛らしい女性であることには間違いない。
そんな二人がこんな――言ってしまうと少し下品な――姿を見せるということは、相当良い出来になったようだ。
味見は終えているものの、他人の反応を見ることができるとやはり安心する。
「後でまた作るから、あんたらはそのときで」
「くっ……分かってるわよ! あたしたちは護衛ですもの!」
鬼気迫る顔だ。
さすがにスイーツ作りとなると分量に気を使わないといけなくなるため、手間が増える。
それでも彼女たちのために作るのであれば、そこまで苦も感じない。
「も、もう食べていい!?」
「あ、お待たせしてしまいましたね。どうぞ、お召し上がりください」
俺がそう言うや否や、ティルル様は手にナイフとフォークを握りしめる。
テーブルマナーという点において、彼女の手さばきは見事としか言いようがない。
素人目から見ても、一瞬その美しさに惚れ惚れしてしまうほどだ。
ティルル様がパイにナイフを入れる。
「さくっ」とも、「パリっ」とも似ているようで違う音がして、ナイフはパイを小さく切り取った。
この部分、実は俺なりにこだわっている。
まずリンゴはナイフを邪魔しないよう小さめに切って、規則性を持って並べてある。
コンポート――つまり薄めの砂糖水で煮たリンゴは、ナイフ程度の切れ味で切った際にはみ出てしまったり、下手すれば潰れてしまう。
同時にカスタードクリームもはみ出てしまうことが多いため、皿が汚れて少々食べにくさを感じてしまうものだ。
それをこうして小さく、規則性を持って並べれば、リンゴを避けてナイフを入れることが容易となり、はみ出ることを最小限に抑えられる――と、考えてみたのである。
パイが湿るとこれまた切りにくくなるため、そこも少し気を使った。
それだけ工夫した甲斐あり、かなりいい出来である自信はある。
――ここまでいくつもの試作品が俺の胃袋に納まった結果、正直もうアップルパイを見たくないほどに胃もたれしていることは、まだ誰にも話していない。
「い、いただくわ……」
ティルル様が、一口大に切ったアップルパイを口に運ぶ。
そして数度の咀嚼の後に飲み込み、顔を上げた。
「美味しい……美味しいわ! シナモンの香りも絶妙ね!」
「ありがたきお言葉。シナモンは独特な香りが故に風味付けに留めております。お口に合ったのであれば幸いです」
「これ本当にすべてあなたが作ったの!?」
「はい。未熟ながら精一杯作らせていただきました」
残念なことにほとんどの人間が手伝ってはくれなかったため、材料はともかく、実際に作るところから片付けるところまではすべて俺一人で取り掛かった。
その間何度も本来の給仕の方々が謝りに来たが、誰もが怯えきっておりとてもじゃないが彼らを責めることは誰にもできなかっただろう。
「今までこの国の給仕はろくなものを出さないと思っていたけれど、あなたは違うみたいね! 気に入ったわ!」
「……光栄です」
周りを落として俺を上げるような物言いは気に入らないが、ここは面倒ごとを避けるために頭を下げておく。
ティルル様のおやつの時間は、それからしばらく続いた。
甘酸っぱさよりも純粋な甘みが強くなるようにしたアップルパイは大層気に入ってもらえたらしく、ティルル様は結局三切れも胃袋に納めてしまった。
作り手として料理を褒められることは素直に嬉しいが、個人的に何より喜ばしいのは多く食べてもらうこと。
余程腹が減っていない限り、不味い物をたくさん食べようとは思わないだろう。
多く食べてもらえればもらえるほど、その料理が美味しいということの証明だ。
「ふぅ……このストレートティーもちょうどいいわ。あなた、本当に優秀ね」
「何度もお褒めにあずかり光栄です」
俺はティルル様の前に置いてある食器を片付け、頭を下げる。
何とか、第一関門は乗り切ったようだ。
一瞬彼女に背を向け、息を吐く。
この後リストリア国の王がやってきて、ティルル様は彼へ挨拶という名の対談をすることになっているはずだ。
その時間は俺にとっては休憩時間。
午後はティルル様を街へ案内しなければならないため、少なくともそこからは気が抜けない時間が続くだろう。
「んー……どうしようかしら?」
「っ、どうかなさいました?」
俺が体の向きを戻すと、ティルル様は何やら考え込んでいる様子で腕を組んでいた。
何か気に入らないことでもあったのだろうか。
「うん、決めたわ! あなた、名前は?」
「て、テオと申します」
「テオね! あなた、うちの国へ来なさい!」
「……は?」
思わず首を傾げてしまう。
大変失礼な行為だとは分かっていても、彼女の発言の意図が分からな過ぎたが故の反射行為だった。
ティルル様はやれやれと言った様子で肩を竦め、改めて口を開く。
「いいこと? あなたをこの国から引き抜いて、わたし専属の召使として雇ってあげるって言ってるの。わたしの召使になれるなんて、最高の名誉でしょう? 迷う必要なんてないわよね!」
「……」
冷静を、平静を装うんだ。
返答を間違ってはいけない。
何とかつじつまの合う理由をつけて、わだかまりなく断る。これだけに全神経を注げ。
ここまで何とか滞りなくやってきたのだ。
今不機嫌にしてしまえばすべてが台無しになる。
「浮かない顔ね。まさか断るつもり?」
「お、お言葉ですがティルル様……私は――ッ⁉」
絞り出すようにして言葉を紡ごうとした瞬間、背中に寒気が駆け抜ける。
同時に嫌な予感が頭の中を支配してきた。
「聞き捨て、ならない」
「ひっ――」
ティルル様含め、部屋の中にいる給仕たちが軒並み震えあがっていた。
俺は恐る恐る振り返り、息を呑んだ。
普段の無表情をさらに無へと近づけたレイが、ゆっくりとティルルに歩み寄っていく。
――最近気づいたことなのだが、あまりに悪質でない限り彼女は決して嫉妬のあまり殺気を放つような人間ではない。
レイからすれば、ただ忠告したいだけ。
しかし彼女の存在感が大きすぎて、周りからすれば殺気を向けられているような感覚に陥ってしまうのだ。
彼女が本気で戦闘態勢に入れば、俺を含め一般人は立っていることすら難しいだろう。
「な、何よあなた……! 護衛じゃないの!?」
「あなたの護衛ではない。私はテオの護衛。あなたが彼に手を出さないように、私はいる」
相手が一国の姫であっても、まったく物怖じしない態度……あまりにも頼もしすぎて冷や汗が止まらない。
「っ! わたしに逆らうって言うの!? わたしはアストラス王国の姫なのよ!?」
「あなたが何者だろうと関係ない。テオは私のモノ。誰にもあげない」
「~~~~ッ! 生意気! 爺! こいつ追い出して!」
ティルル様がレイに指を向ける。
すると隣に控えていた老執事が、そっと間に割り込んだ。
「それ以上ティルル様にお近づきにならないよう、お願いいたします」
「その女がテオを諦めるなら、許す」
――これがモテ期というやつだろうか。
こんなに嬉しくないとは思っていなかったけれど。




