7-1
「椅子が硬いわ! 早く交換して頂戴!」
リストリア王国の隣国、アストラス王国の姫、ティルル・メル・アストラスの第一声は、そんなわがままから始まった。
「は、はい! ただいまお持ちいたします!」
緊張した面持ちで立っていた一人のメイドが、彼女のわがままを聞く形で応接間から飛び出していく。
聞いていた通り、かなり気難しい人のようだ。
「まったく、わたくしを誰だと思っているのかしら!」
大変ご立腹なようだ。
しかし如何せん――――小さい。
年齢にして十二歳から十四歳。
豪華なドレスと見事に回転の加わったツインテールの金髪のおかげで、シルエットとしては大きく見えないこともないが……問題は身長だ。
見たところ140㎝程。
もちろん応接間にある椅子はすべて大人が座ることを想定して作られているため、足先がまったく床に届いていない。
「小さ――」
「よせ、やめろ」
俺はレイの口を咄嗟に手で塞ぐ。
給仕として呼ばれた俺、そして護衛としてついてきたレイとカノン。
俺たちと姫様の立ち位置的に距離があったため、かろうじて声は届かなかったようだ。
「いいいい椅子! お持ちいたしました!」
「遅いのよ! あまりわたくしを待たせないで! 爺、ここに置いて」
メイドが持ってきた椅子を、姫の側に控えていた老人が受け取る。
物腰の柔らかそうな方だ。
年齢はかなり重ねていそうだが、その腰は一切曲がっておらず、佇まいに気品を感じる。
「ありがとうございます、あとはこちらで」
「は、はい!」
椅子を渡したメイドはいそいそと下がる。
この姫様のような人間と関わるときに大切なことは、極力波風をたてないこと。
何が引き金となって怒りを買ってしまうか分からない。
故に必要なのは、求められたときに求められたことを忠実にこなす心構え。
皮肉なことに、俺はそれを騎士団時代に学んだ。
「ふん、まあまあね」
新しい椅子に腰かけた姫様は、腕を組んで偉そうにふんぞり返る。
実際偉いことは間違いないのだが……その態度のせいで早くもカノンの額に青筋が浮かび始めた。
もしや護衛としてついてきてもらったのは失敗だったのだろうか。
「ねぇ! この国は客にお茶菓子も出さないの!? そっちの王が来るまで時間がかかるなら、さっさとわたくしをもてなしなさいよ!」
どうやら俺の出番がやってきたらしい。
メイドや執事の役目は必要な物を取ってきてもらったり、片づけをしてもらう程度。
その他の仕事は、残念ながら俺の仕事なのだ。
「ご配慮が足りず申し訳ありません、ティルル様。すぐにご用意させていただきます」
「何よあなた。ずいぶん冴えないわね! あなたにわたくしの相手が務まるのかしら!」
ずいぶんな言われようだ。
まあ……燕尾服を着せられて多少は畏まった格好をしているが、自分でも似合っていないことなど分かっているけれど。
「……紅茶で、よろしかったでしょうか?」
「ええ。でもわたくし紅茶にはうるさいわよ!」
はい、聞いておりますとも。
俺は背後にあらかじめ用意しておいた台車を押して、ティルル様の側まで移動する。
この台車には用意した菓子、そして淹れておいた紅茶が乗っていた。
「お口に合うといいのですが」
「……?」
俺はティルル様の前にカップを置く。
見た目はただの紅茶にしか見えないはずだ。
だからこそ、この紅茶の香りに彼女は疑問を覚えたはず。
「ただの紅茶では……なさそうね。これは何の茶葉を使っているのかしら? このフルーティーな香りはさぞかしいい茶葉を使っているんでしょうけど」
「いいえ、そういうわけではございません。この茶葉はどこでも買えるものです。自分も城下町の商店街にて購入してきました」
「は!? ってことは安物じゃないの! そんなものをわたくしに飲ませる気!?」
そう言ってくると思った。
しかし、安物を使ったのにはしっかりとした理由がある。
「一口でもいいので、飲んでみてください。後悔はさせないと思うので」
「……ふ、ふんっ。いいわ、飲んであげる。か、香りは悪くないしね」
よし、来た。
ティルル様は俺の出した紅茶を口に含む。
そして目を見開いた。
「桃の……香り?」
「はい。紅茶に桃の果肉を一晩漬けたものです。アストラス王国では、紅茶に果物の香りをつけるという習慣はないと聞きましたもので」
ユイ騎士団長の案内が終わった後、俺はアストラス王国について入れられるだけの知識を頭に叩き込んだ。
そうして分かったことなのだが、まず紅茶に関してはアストラス王国の方が優れている。
リストリア王国とアストラス王国の間には山脈があり、それによってかなり気候が違うため、あちらの国は茶葉の質が良くなる傾向があるようだ。
そして紅茶の出来に自信があるからこそ、あまり手を加えようとしない。
加えるとしても、ミルクと砂糖程度だそうだ。
故に、フルーツティーを知らない割合の方が多かったりする。
経験の少ない子供であればなおさらだ。
「紅茶に桃の風味を定着させるため、あえて高級な茶葉を使用しておりません。良い紅茶――特にアストラス王国から輸入した茶葉たちは、香りがしっかりしております。しかしそれを使用すると、桃の香りが茶葉とぶつかり合ってしまうんです」
これが一般的な茶葉を使用した理由だ。
少なくとも両国が存在するこの大陸の高級茶は、どれも主張が激しい。
物によっては砂糖を入れずに強い甘みを放つ物もあり、何も足さないでおくことが一番美味しく飲むコツだったりもする。
一方俺が使った茶葉はと言うと、どの大陸でも作られているがゆえに少々風味が薄い。
いわゆる万人受けを狙っているからこその戦略だ。
不味くはないが、手を叩いて褒めるほど美味くもない。
だから皆、これにミルクや砂糖を入れて飲む。
今回はその性質が役立った。
「私は確かに一般向けの茶葉を使用しましたが、それは今口にした理由があったからです。ただ、もっと専門的な人間がこの研究に着手すれば、高級茶葉であってもしっかりとバランスよく風味をつけられるかもしれません。なので今回は一つの経験として捉えていただけると」
「……飲みやすいわ。いつも飲んでいる物より」
「左様ですか……恐縮です」
俺は背中で小さくガッツポーズをした。
これは賭けだったのだが、俺はもう一つ思惑をこのピーチティーに込めている。
それは、子供向けという要素だ。
一般的にこの世界では、紅茶の楽しみが分かるのは十五歳を越えてからと言われている。
いかにそれまで紅茶を飲んできたからって、その部分は変わらない。
さっきも語ったが、特にアストラス王国の茶葉は風味が強い――いや、強すぎるのだ。
個人差はあるが、そのせいで子供の頃はミルクと砂糖を入れなければ飲めなかったという人間が多いことも、すでに調べてある。
(そして――)
十中八九、ティルル様は見栄を張ってストレートで飲んできた人間だ。
紅茶通を名乗る人間全員がストレートで常に飲んでいるわけではないだろうが、少なくともティルル様は己のプライドに従いストレートで飲み続けてきた人間だと思う。
そしてここからが賭け。
彼女がすでに紅茶の楽しみ方を知っているか、そうでないか。
この賭けには、どうやら勝てたようだ。
「ポットにまだ残ってますので、必要とあらばお申しつけください。それと菓子の用意もさせていただきますね」
「……っ」
ティルル様は俺の顔を見て、一つ頷いた。
ひとまずはこちらのペースへ引き込めたらしい。




