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「こちらへどうぞ」
ユイ騎士団長に促されるまま、俺とレイはリストリア城内を進んでいく。
ここに入るのは、五年前の騎士団の入団式以来だ。
城内の景色は変わっていないはずではあるのだが、記憶も薄れてきていたからかどこを見ても新鮮さを感じる。
「この部屋です」
そうして案内された扉には、フリッツ・アイオーンという名前が彫られていた。
まったくもって聞かない名前だ。
「部屋の中にいる方は、国王に何かあった際にすぐさま対応できるよう城内待機を命じられている魔術師です。本来一般人の治療は行なっていないのですが、今回は無理を言って話を通してありますので」
ユイ騎士団長はそう言いながら扉にノックをする。
「フリッツ先生、ユイです。お伝えしていた患者の方を連れてまいりました」
……扉の向こうから返事が返ってくる様子はない。
いないのだろうか?
「ん……部屋の中には気配がある。いないわけじゃない」
「そうなのか?」
警戒している様子はないが、レイがそういうのなら間違いないのだろう。
その言葉を受けて、ユイ騎士団長は一つため息を落とした。
「ふぅ……ご安心を、いつものことですので。――先生、入りますわね」
ユイ騎士団長がドアノブを捻り、扉を開ける。
するとほのかに青臭い薬草のような香りが鼻腔をくすぐった。
苦手なものからすればかなりキツイ香りだろう。
幸いにも俺はハーブ系の料理に触れたことがないわけではないため、この程度なら問題ない。
「行きましょう」
ユイ騎士団長のその言葉に従い、俺たちは部屋の中へと足を踏み入れる。
――広い部屋だ。
ベッドがいくつか並び、周囲の棚には薬草を栽培するための植木鉢が無数に並べられている。
「ここで育ててるのか……」
「ええ。フリッツ先生はご自身で育てた薬草でなければ使用しないので」
なるほど、かなりこだわりがあるようだ。
「ユイ、その肝心な先生って人はどこにいるの?」
「すぐに現れると思いますわ。それまでどこかに座って――――っ!」
突然、ユイ騎士団長の表情がこわばる。
その直後、レイは俺を守るように前に立った。
「おいおい、相変わらずいい乳してるじゃねぇか。また大きくなったか? 第一騎士団長さん」
「……ご無沙汰しておりますわ、フリッツ先生」
その人物は、ユイ騎士団長の背後に立っていた。
いつの間にか彼女の頭に自分の顎を乗せ、後ろから手を回して胸を鷲掴みにしている。
黒いワンピース越しに揉みしだかれるユイ騎士団長の胸は、何度も何度も形を変えてやられたい放題だ。
しかし、そんなことははどうでもいい。
俺が今気を取られているのは、目の前のレイの背中だ。
表情自体は見えないが、どういうわけだか驚いている印象を受ける。
「レイ、どうした」
「……気配があることには気づいていた、けど……近づいてきたことがまったく感知できなかった」
「あ、あんたが……?」
一流――――どころか最強とまで言われているレイですら気付けないなんて、本当にこの人はただの魔術師なのだろうか。
「先生? そろそろ手を離してくれないと、その腕ごと落として差し上げますが」
「おっとぉ、そいつは怖い。商売道具潰されちゃシャレにならねぇな」
ユイ騎士団長の胸から手を離し、ゆらりと背後からその人物は姿を現す。
俺より少し高いであろう背丈、手入れがされていないのか所々が跳ねている紫色の髪。
フリッツ・アイオーン、彼女は纏っていた白衣を正し、懐から葉巻を取り出して咥えた。
そして指を一つ鳴らす。
すると魔法が発動したのか、小さな種火がその葉巻に火をつけた。
「ふー、やっぱり女は乳だよな。この世の宝だぜ」
「同意しかねますが、そんなに好きならば自分のをお揉みになってはいかがでしょう? あなたも大概大きい方であると思いますし」
「わたしの乳なんて十年以上前に揉み飽きたぜ。乳は人のを揉んでなんぼなんだよ」
フリッツさんは宙に向かって煙を吐き捨てると、その視線をレイへと移す。
そして目を輝かせたと思えば、レイの方へ手を差し出してきた。
「美しい嬢ちゃん、今日の患者はあんただね? わたしが完璧に治してやる。そしてあわよくばその豊満な乳を揉ませてもらえないだろうか?」
「いや」
「テキビシー! でもそういう冷たい態度も嫌いじゃないぜ!」
何というか、得体の知れない女性だ。
ユイ騎士団長に負けず劣らず掴み所がない。
「掴み所はあるぜ! この乳とかな!」
やかましいわ。
「はぁ……フリッツ先生? 今回の患者はその方ではなく、後ろにいる殿方です」
「チッ、わーってるよ。男を治すのは好きじゃねーんだけどな」
深々とため息を吐いたフリッツ先生は、レイを回り込むようにして俺の目の前までやってくる。
近くで見ると、だいぶ猫背だ。
しっかりと背筋を伸ばしたら、きっと俺よりも10cmほどは背が高くなるだろう。
「来い」
「へ? うわっ!」
フリッツ先生は俺の折れていない方の腕を掴むと、そのまま引きずっていく。
連れて行かれた先は、いくつか並んでいたベッドのうち一つだ。
「わたしのやり方は企業秘密でな。患者以外には見せらんねぇのよ」
そう言って、フリッツ先生はベッドの周りをカーテンで取り囲む。
そうしてベッドに俺を腰掛けさせ、目の前に膝をついた。
「おら、手出せ」
「あ、はい」
俺は添え木されている腕を肩から外し、先生の前へ突き出す。
先生はその雰囲気から想像もできないほどの丁寧な手つきで包帯を外し、添え木を取り外した。
まだ少し腫れている腕に先生が触れると、鋭い痛みが体を駆け抜ける。
「我慢しろっつーの。すぐ終わるから」
先生の腕に光が灯る。
俺はその光を見て、疑問を覚えた。
「あの……これ」
「黙って受けろ。他所に漏らしたら処刑だぞ」
「は、はい」
腕に灯っていた光は、俺の患部を完全に覆い尽くす。
程なくして、俺の腕の痛みはどこかへと消えていた。
「ほい、終了」
「あ、ありがとうございます」
「治ったんならさっさと帰れ。わたしは男が好きじゃねぇ」
カーテンを開き、フリッツ先生はそこから俺を追い出した。
たたら踏みつつ、俺は折れていたはずの腕をさする。
一体――どういう原理だろうか。
これまでの人生で、治癒魔法が実際に使われたところを目にしたことはある。
そのときに見た光の色と、フリッツ先生が使用した魔法の色は別物だった。
つまり彼女が俺に使った魔法は、治癒魔法ではない。
カノンに聞いてみれば、もう少し何か分かるだろうか……?
とは言え他言無用と言われたばかりだ。詮索はやめておこう。
「ん、治った?」
「ああ、おかげさまで」
育てられている薬草を観察していたレイが、俺の方へ顔を向ける。
そんな彼女の肩越しに、今まで見ていたのであろう薬草が目に映った。
「あれ、それシナモンハーブじゃないか?」
「ん、とてもいい匂いがしたから嗅いでいた。知っているの?」
「まあな。とは言え実物は見たことがなかったけど」
このハーブを知ったのは、腕が不自由な間に新しく購入した料理本を読んでいたときのことだ。
本来、シナモンとは木の樹皮から作る香辛料のことを指す。
料理から菓子作りまで幅広く使われ、どこかの国では『スパイスの王様』とまで呼ばれているらしい。
しかしこの辺りでは土地の相性が悪いのか採取しづらく、他国から仕入れる関係で市場に出回る際はかなり高額で取引されている。
その現状を変えるために、シナモンハーブは開発された。
広がる茶色い葉っぱには、本来のシナモンほどではないが限りなく近い匂いがある。
これは本来のハーブにシナモンの細胞を組み込むことで生まれた物らしい。
室内ですら育てられる利便性から、いずれは一般町民にまで広まると聞いていたが――。
「へぇ、お前……男の割にはよく知ってんじゃねぇか」
そうして簡単に説明をしていた俺の肩を、突如フリッツ先生が掴んだ。




