6-3
「絶対だめ」
「……だよな」
ユイ騎士団長が屋敷を訪れてから三日後。
俺は帰宅したレイに事情を説明していた。
そうして帰ってきた答えは、一も二もなく却下。
まあ、大方予想通りである。
「そんな風にテオが利用されるのは、あまり気分のいいものじゃない」
「……そう言ってくれて、ありがとう」
俺はホッと胸を撫で下ろす。
重役のもてなしなんて大役は、正直言って荷が重い。
度胸試しにしたって度が過ぎている。
しかしレイが駄目と言った以上、ユイ騎士団長も文句は言えないはずだ。
これで何とか仕事を免れることができる。
「でもさ、別にそれくらいならいいんじゃないの?」
そんな断るムードを、食堂の椅子に座っていたカノンが突如として一閃する。
彼女も今日は予定が合い、久々に屋敷を訪れていたのだ。
カノンは俺が淹れた紅茶を一口飲み、顔を上げる。
「相手はたかが隣の国の姫なわけでしょ? そんな女を軽くもてなすだけで腕を治してもらえるなら安い物じゃない」
「ん……そうだけど。でもテオは私のモノ。よく知らない人間に利用されるのは、素直に不快」
「気持ちは分かるけどねぇ。でも明日一日だけなのよ? それで腕を治してもらえて、なおかつあのユイって女にも隣の国にも恩を売れるかもしれない。あたしから見れば悪い条件ってわけじゃないと思うの」
「そうかも、しれないけど……」
レイの眉が歪む。
確かに、カノンの言っていることも間違いではない。
上手く行けばユイ騎士団長は何でも言うことを聞いてくれると言っていた。
頼み方によっては、今後頼もしい味方と数えられる日が来るかもしれない。
しかし――それにはリスクが高すぎる。
粗相をすれば、その場で首を刎ねられたっておかしくない状況。
そんな状況で、俺が普段通りのパフォーマンスを保てるだろうか。
カノンはたかが隣の国の姫と言い、レイもそれに同意したが、そんな風に口にできるのは彼女らだけであるはずだ。
「あ、じゃあこういうのはどうかしら?」
「何?」
「あたしらが護衛役に志願するのよ。そうすれば常にテオの側にいられるし、万が一その姫が癇癪を起してもあたしらならすぐ対応できるわ」
これなら首を刎ねられるなんて心配ないでしょ――。
カノンはそう言って笑う。
確かに、と、俺は一つ納得した。
人の枠を超えた二人が側にいてくれるなら、人の枠に収まっている権力者を恐ろしいと思うはずがない。
実際、俺は彼女ら冒険者によって国の権力から救い出された。
この人たちなら、俺は深く深く信頼できる。
ただ、カノンには一つ聞きたいことができた。
「カノン」
「何よ」
「あんた、早く俺の腕を治してただ飯にありつきたいだけじゃないのか?」
「は、はぁ⁉ そそそそんなわけがないじゃない! 言いがかりはよしなさいよ!」
あからさまに動揺するカノンに対し、俺とレイの訝しげな視線が刺さる。
カノンはユイ騎士団長に対してひたすら苦手意識を持っている様子だった。
恩を売れるからといって、本来なら会うことすら嫌がるはずなのだ。
それなのにこうも積極的になっているのを見ると、何か狙いがあるようにしか思えない。
「カノン、正直になっていいよ?」
「うぐっ」
レイがやれやれと言った様子で、カノンの肩に手を置く。
それを受けて、カノンは観念したように口を開いた。
「だ、だって……ここ数日忙しくて適当な食事ばっかりなんだもの……。そろそろテオのご飯が食べたいわよ! いつの間にかあたしの楽しみになってたんだから! ちゃんと責任取ってよぉ!」
――大の大人が地団駄を踏むところを初めて見た。
知らない人間相手ならば放っておけるが、生憎カノンは俺にとっての友人であり、恩人の一人でもある。
もちろん自分でわがままを言っているという自覚もあるだろうけど、それ以上にストレスが溜まっていたようだ。
「……」
俺は自分の腕を見下ろす。
何とかしてやりたい……が、今の俺では難しい。
さて、どうするか――。
「……カノンの気持ち、私も少し分かる」
俺が何か手はないかと考えていると、その思考を遮るようにレイが口を開いた。
「外で食べる料理は、別に不味くない。でも、屋敷で食べるテオの料理が一番美味しい。それがないのは、やっぱり悲しい」
精神的に参っていたのは、カノンだけではなかったらしい。
先日レイが帰ってきたときも、確かに疲れている様子だった。
何とかしたい。
何とかするために俺にできることは――。
「テオ様、ここはやはり私に協力するのがよろしいかと」
「――心臓に悪いから、本当にやめてください」
「あら。私はあらかじめこの日に訪ねると伝えておいたはずですわ」
この前と同じだ。
いつの間にか、ユイ騎士団長が食堂の席についていた。
そして俺がポットに用意していた紅茶を注いで、勝手に飲んでいる。
しかし、ここにいる俺以外の二人が気づいていないはずがなかった。
レイは自前の剣をユイ騎士団長の首に突きつけており、カノンはいつでも魔法が撃てるように手を突き出している。
やはり格が違う。
この二人の動きも、俺にはまったく反応できなかった。
「入っていいとは、言ってない」
「嫌ですわ、お姉様。私たちは姉妹なのですよ? 気軽に訪ねたっていいではないですか」
どう見ても窮地に立っているはずなのに、ユイ騎士団長は余裕を崩さない。
二人が自分に害を与えないということが分かっているからだろう。
だとしても、俺が当事者なら失禁ものだが。
「話は聞かせてもらいましたわ。Sランク冒険者であるお二人が姫の護衛についてくださるなんて大変頼もしいと思います。このまま彼を貸していただけるのであれば、私の方から上へ伝えておきましょう」
「待ちなさいよ。あたしたちまだ本当にやるかどうかなんて――」
「では、テオ様の腕が治らなくてもいいのですか? 私が手配すれば、今すぐにでも彼の腕は治りますが」
「うっ……」
今日のカノンは全体的に弱いな。――いや、いつもか。
「……テオは、どうしたい?」
「へ?」
完全に押し負けたカノンをよそに、レイが俺へと顔を向けてくる。
そうして、俺に問いを投げかけるのであった。
「ごめん、私は初めにこれをテオに聞いておかなければならなかった。テオが嫌がるなら、この子を今すぐここから追い出す。でも受けるっていうなら……それも尊重する」
「――俺は」
今でも俺は、ここにいていいのかという風に考えてしまうときがある。
それは自分の中に根付く劣等感から来るもので、おそらく一生消えるものではないだろう。
だけど、もし今回ユイ騎士団長の依頼を受け、上手くこなすことができたのなら……少しは自信がつくんじゃないだろうか?
「俺は……レイがそう言ってくれるなら、挑戦してみてもいいんじゃないかと思う。結果がどうなるかとか、そんなのはまだ分かるはずもないけど……レイとカノンがいてくれるなら、怖いものなんてない」
「……ん、分かった。じゃあ、やってみよう」
レイは小さく笑みを浮かべ、剣を下ろす。
それを見て、カノンも腕を下げた。
「――決まりですわね。では早速ですが、テオ様の腕の治療といきましょう」
ユイ騎士団長は紅茶を飲み干し、席を立つ。
「治療はリストリア城で行います。お姉様方も同行して構いませんわ」
「……じゃあ、私はついていく。カノン、悪いけど明日は依頼を受けられないってファミリーに伝えておいてもらえる?」
レイがそう頼むと、カノンはため息を吐いた後に席から立ち上がった。
「はぁ、分かったわよ。あと騎士団長さん?」
「何でしょう?」
「これを受けたらテオの願いを何でも叶える、忘れてないわよね?」
「あら、当たり前ですわ。私から言い出したんですもの。私の財産でも体でも何でも差し上げますわ」
「カカかかかか体!? テオ!? まさかそんなもの頼まないでしょうね!?」
頼まないって。
ギャーギャーと騒ぎ立てるカノンを前にして、俺は小さくため息を吐くのであった。




