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1-3

「……静かだな」


 一人で森の少し深い場所まで足を踏み入れてみれば、徐々に周りの音が消えていることに気づいた。

 具体的に言えば、虫や鳥の声がまったく聞こえない。

 魔物どころか動物の気配すらせず、ただただ俺が落ち葉を踏みしめる音だけが響いている。


「……」


 俺はそっと剣の柄に手を添える。

 田舎出身の俺は、森の中へ冒険と称して飛び込むことも多かった。

 当時そんな俺を心配した今は亡き両親が、俺にある教えを施す。

 

 周囲から生き物の声がしなくなったとき、ゆっくりとその場を離れること――。


 動物たちは人間よりも感覚が鋭い。

 危険な存在(・・・・・)が近づいてきたとき、もっとも早くその場から逃げ出すのは彼らだ。

 つまり音がしなくなったこの辺りには、絶対的な捕食者がどこかにいるということになる。


(大丈夫、周囲に足跡がない。つまりここには魔物は来ていない)


 俺はそっとしゃがみ込み、周囲の地面を確認する。

 例の魔物がよく現れる場所があるとすれば、その場所には間違いなく足跡があるはずだ。

 

「――――そもそも、何で足跡は一つだったんだ?」

 

 ふと頭によぎった疑問が、つい口から零れる。

 足跡の大きさに気を引かれ、こんな素朴な疑問へとたどり着かなかった。

 地面を歩く魔物の足跡がたった一つなわけがない。

 ならば答えは――――。


「っ!」


 その瞬間、俺の頭上を影が通り過ぎた。

 思わず顔を上げれば、木々の隙間から何やら巨大な飛行する物体が目に映る。

 

「この地域にどうしてあんな奴が……⁉」


 俺はその物体を追って走り出す。

 物体が向かう先は、足跡があった場所……つまりはブラムたちがいるところだ。

 

『うわぁぁぁぁああ!?』


 進行方向から悲鳴が上がる。

 足跡が続いているわけでなく、たった一つだけついている。

 地面を歩く必要がないからだ。

 あのサイズの足跡を持ち、空を飛ぶことができる魔物は一種類しかいない。


「こんなの……どうしろって言うんだ」


 俺は元の場所まで戻ってきて、足を止めた。

 

『グルオォォォォォォォオオオ!』


 空から舞い降りた目の前の魔物の名は、『竜』。

 ドラゴンとも呼ばれ、最低ランク(・・・・・)がAという馬鹿げた危険度を持っている。

 目の前の竜は、この場にあった足跡と同じサイズの足を持ち、背には巨大な翼、そして人間を容易く握りつぶせそうな腕には丸太のようなかぎ爪がついていた。


「りゅ、竜だと⁉ 聞いてねぇ! ふざけんじゃねぇぞ!」


 ブラムが何やら叫んでいる。

 やつが指示を出さないせいで部下たちは混乱し、攻めもしなければ逃げもできない状況へと陥っているように見えた。

 そうして動けずにいる騎士たちに対し、竜は怒り狂った様子でかぎ爪を振るう。

 

 あっという間のことだった。

 

 頑丈な鎧に覆われていたはずの彼らの上半身は、そのかぎ爪によって吹き飛ぶ。

 残った下半身から血しぶきが上がり、その後ゆっくりと地面へと倒れた。

 上半身がどこまで飛んでいったのか、あるいは消し飛んだのか、それは現状分からない。

 はっきりしていることは、このわずかな間で五名ほどの騎士の命が失われたということ。


「た、隊長! ご指示を!」


「クソッ! こんなもん退却だ! 全員退却! 馬車に戻れ!」


 我先にと馬車へと駆けていくブラムに続き、騎士たちも退却していく。

 騎士としては失格だろうけど、正直俺だって死にたくはない。

 竜が同じ場所で暴れ狂っている間に、俺も馬車の方へと駆ける。

 

 ……それにしてもあの竜、どこかおかしい気がする。


 何か、焦っているような。それか――――怯えてる?

 いや、あり得ない話だ。 

 竜というのはそれこそ最強種。彼らが怯える相手などこの世界に存在しない。

 俺も恐怖でどうかしてしまったようだ。


『グオォォォォォ!』


 馬車に乗り込もうとした瞬間、再び竜の咆哮が響く。

 まずい、やつは俺たちを追ってくるつもりだ。

 

「チクショォォ! こんなところで俺が死ねるかってんだ!」


 ブラムが目を見開き、叫ぶ。

 そのとき、俺の体に強い衝撃が加わった。

 まさに馬車に乗り込もうとしたときだったせいで、俺は呆気なくバランスを崩して地面に尻もちをつく。

 

「グズ野郎、これはチャンスだぜ。テメェのクソの役にも立たない命、ここでちっとは活かせや」


「なっ⁉」


「とんでもねぇクズ野郎だったが、最後の最後で仲間の逃げる時間を稼ぐため犠牲になった――それくらいは伝えてやるよォ!」


 一瞬、何が起きたか分からなかったが、ほんの数秒もすれば理解する。

 俺はブラムに蹴られる形で馬車から追い出され、囮にされたのだ。

 

「ふざけるな……」


 馬車が遠ざかっていく。 

 反対に竜は迫ってくる。

 もはや逃げるなんて気力は湧かなかった。

 あるのは、俺を見捨てたブラムたちへの恨み、大して強くもない自分への怒り、そして――――自分の送ってきた人生への後悔。


「こんな人生なら――――」


 ――生まれてこなければよかった。


 俺は振り返る。

 そこには俺を羽虫のように吹き飛ばそうとする竜の姿があった。

 まさしく今、五人もの人間を亡き者にしたかぎ爪が俺に迫ってくる。

 

「せめて、誰か一人からでも必要とされる人生だったら……」


 俺は死を悟り、決して抗えぬ暴力の前でそっと目を閉じた。

 

 しかし、待ち受けていた痛みはいつまでたっても訪れない。

 俺は恐る恐る目を開く。

 すると、信じられない光景が目の前に広がっていた。


『グオォォォォォオオ!?』


 竜の腕が、宙を舞い、地面に落ちた。

 綺麗に斬られた腕の切断面からは、絶え間なく赤い血が噴き出している。

 

「……大丈夫?」


 俺が呆気に取られていると、突然隣に何かがふわりと着地する。

 顔を上げれば、俺の眼前を銀色の髪が横切った。

 その髪の持ち主は、整った顔立ちでありつつも無表情の女性。

 足はするりと長く、豊かな胸は鉄の胸当てを魅惑的に押し上げている。

 冷静に彼女を観察している場合ではないことは、俺が一番よく分かっていた。

 しかし、こんな状況ですら目を惹きつけられてしまうほどの魅力を、目の前の女性に感じてしまったのである。


「……下がってて」


「え、は……?」


 彼女は表情が欠落した顔のまま、竜に向かって駆け出す。

 初めは混乱している様子の竜だったが、敵が近づいてきたということに気づき怒りの雄叫びを上げた。

 俺はその声だけで足が震え出したのだが、彼女はまったく気にした様子もなく跳び上がる。


もう逃がさない(・・・・・・・)


『グルォォォ!』


 竜は叫ぶと同時に、残った腕でかぎ爪を振るう。

 それに対し、彼女はたった一度持っていた剣を振った。

 質量からしてどう見ても彼女が竜に吹き飛ばされる未来を描いていた俺は、再び竜の腕が宙を舞う光景を見てあんぐりと口を開ける。


『オォォォォ!』


 竜は苦悶の叫びを上げる。

 斬り飛ばされた腕が重なり合うかのように地面に落ち、両腕を失った竜はバランスを崩して真後ろによろけた。

 そんな竜の鼻っ柱に、彼女は華麗に着地する。


『グ……オォォ』


 俺には分かってしまった。

 あの竜の目は、怯えている目だ。

 自分より圧倒的に強い相手に対する、恐れを抱いている目。

 

 そうか、なぜこんな竜がこの場にいるのか、今理解した。

 やつは別の地域から逃げてきたのだ、この女性から逃れるために。

 逃げるために常に上空を飛び回り、地面へ下りてこないようにしていたのだ。


「これでおしまい」


 彼女はふらりと竜の頭から落ちると、落ちざまに首に向けて剣を振る。

 竜は何一つ抵抗できぬまま、その首に一筋の線を刻み込まれた。

 そうして切り離され、ゆっくりと地面に落ちていく竜の頭。

 彼女はそれの落下と同時に地面に足をつけると、俺へと視線を向けてきた。


「怪我、ない?」


「な……ない、です」


 彼女は剣を納めると、こちらへ向かって歩いてくる。

 その芸術とも言えるような佇まいを眺めながら、俺はとある人物の噂を思い出していた。


 曰く、その武力はたった一人で騎士団全体に匹敵し、Sランクの魔物を赤子のように扱う、と。

 曰く、白にも近い銀髪の女性であり、一度見たら忘れられない美貌である、と。

 

 噂だけが先行し、最終的に様々な人間からその人物はこう呼ばれていた。

『白銀の姫』――――。


「ん、ならいい。私はレイ・シルバーホーン。あなたは?」


 そう言って、レイと名乗った彼女は俺に向け手を差し出してきた。

 自然とその手を取った俺は、力強く引っ張られ半ば無理やり立ち上がる。


「俺は……テオ。ただのテオだ」


「ん。よろしく、テオ」


 レイは俺の手を握る力を少し強めると、無表情の中でほんの小さく、微笑みを浮かべた。

 ――そう言えば、久しぶりに名前を呼ばれた気がする。


 これが、俺と『白銀の姫』こと、レイ・シルバーホーンの出会いだった。

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