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この国に住んでいて、レイ・シルバーホーンの名を知らない人間は誰一人としていないだろう。
噂として広がっている伝説は数知れず。もはや歴史に語られる偉人と言っても差し支えない存在。
そんな彼女が今、俺の前に立っていた。
「レイ……」
「ん、迎えに来たよ」
冒険者たちが譲った道を、レイが悠々と歩いてくる。
それを呆然と見ていた騎士たちだったが、いち早く冷静さを取り戻していたブラムが指示を出した。
「っ! 何してやがる! そいつは不法侵入者だぞ! さっさと取り押さえねぇか!」
その指示が飛んだことで、ようやく騎士たちも動き出す。
訓練されている者たち特有の動きで、瞬く間にレイは囲まれてしまった。
「――退いて」
しかし、そんなレイの一言で異変が起きる。
囲んでいた騎士たちの一部が、まるで意識を失ったかのように地面にへたり込んでしまったのだ。
よく見れば、彼らは失禁してしまったようで、顔は恐怖に染まっている。
倒れることを免れた騎士たちも、カタカタと震えまるで動けない。
レイはそうして開いた道を、まるで何事もなかったかのように歩いてくるのだ。
「テンメェ! 何しやがった!」
「退いてもらっただけ」
「ふざけんじゃねぇ! これは立派な不法侵入及び暴行! 加えて公務執行妨害だ! ただで帰れると――」
「大丈夫? テオ」
ブラムの声を遮るようにして、気づくとレイが俺の眼前に立っていた。
彼女は俺の前にしゃがみ込み、目線を合わせてくる。
正真正銘、いつも通りの彼女だ。
「あ、ああ……見た目よりはずっと元気だよ」
「ん……そう。少し安心。ここからはゆっくり休んでて。そんなにかからないで終わると思うから」
「……分かった」
そうして、レイが立ち上がる。
俺はレイをいつも通りと表したが、それは少し違ったかもしれない。
どことなく、目の色が変わっていた気がするのだ。
もちろん色味やそう言った話ではない。
目つきとも言い換えられるだろうか? 要はなんとなくなのだけれど。
「て、テメェ……俺を無視してんじゃ――」
「さっきから、うるさい」
「へ――――」
俺が瞬きをした一瞬。
目を開いたときには、もうブラムの姿はそこにはなかった。
遥か遠くで、崩れ去った倉庫が見える。
あそこまでの距離……おそらく100mは越えている。
「これでしばらく静か」
そう言いながら、レイは蹴り出した足をゆっくりと地面に下ろす。
まさか――あそこまで蹴り飛ばしたとでも言うのだろうか。
「ぶ、ブラム隊長!? くっ……名のある冒険者たちは無理でも、一人でも多く賊を捕らえなさい!」
「「「はっ!」」」
指揮を変わったのは、フェリスだ。
フェリスはいまだ外壁周辺でたむろしている冒険者たちを指し、指示を出す。
するとこの場にいる騎士全員が、彼らに向かって突撃を仕掛けに行った。
「一応……あたしだってSランクなんですけどぉ? 名のある冒険者だって自覚もあるんですけどぉ? 影が薄くてごめんなさいねぇ!」
そんな騎士たちを迎え撃つのは、先頭に立ったカノンだった。
カノンが腕を一振りすると、冒険者たちと騎士を隔てるかのように炎の壁が出現する。
その出現に巻き込まれる形で、数名の騎士が大きく吹き飛んだ。
「この魔法……あなたはまさか、炎魔カノン!?」
「魔法使いっぽくない格好はしてますけどねぇ!? もっと早く気づいてくれても良かったんじゃないかしら!?」
カノンはムキになって叫んでいるが、確かに魔法使いっぽくはないな。
あとその二つ名みたいなのも初めて聞いた。
さては全部レイに評判を持って行かれていたんだろうな。
「くっ……Sランク冒険者が二人も!? すぐさま増援を呼んでください! ここは何とかこの場にいる人間で食い止めます!」
「は、はい!」
フェリスが騎士に連絡係の指示を出している。
敵ながら賢明な判断だ。
この場で彼らを止められる者など、誰一人としていないだろうから。
「アルビン、みんなに指示を。カノンは――――思いっきり暴れていいよ」
「仰せのままに!」
「大将に言われなくたって! そうさせてもらうわよ!」
カノンが手に炎を灯す。
その間、アルビンは自身の剣を高く振りかざした。
「お前たち! 話は聞いていたな! 俺たちも存分に暴れるぞ!」
『おぉぉぉぉぉぉぉぉおおお!』
待ってましたとばかりに、冒険者は騎士へと飛びかかっていく。
そもそも完全にフォーメーションを崩された騎士たちは、その動揺も相まってまともに構えを取っていない。
あっという間に冒険者になぎ倒されていく彼らを見て、指示を出していたフェリスが苦悶の表情を浮かべた。
「ど、どうすれば――」
「――――うおぉぉぉぉ! クソが!」
そんなとき、崩れ去った倉庫の中から、瓦礫を跳ね除けてブラムが立ち上がる。
彼は怒りに染まった顔で、レイの下へと駆け出した。
見かけに見合ったタフさだ。
「こいつはここで殺す! ぶち殺す! そんでもって死体をめちゃくちゃにぶち犯す! 国に逆らったことを死んでからも後悔しやがれッ!」
「本当に、うるさい」
ブラムが突進とともに振り上げ、そして振り下ろしてきた剣を、レイは瞬時に剣を抜いて受け止める。
体格差はもはや二倍近いと言ってもいいはずなのに、真下で受け止めたレイはビクともしなかった。
「な、なにぃ!?」
「……あなたが、テオを一番傷つけた」
「うおっ!?」
レイが剣を押し返す。
それだけで、ブラムの腕が天高く跳ね上がった。
「あなた、いや……お前だけは、絶対に許さない」
ブラムに対し、レイが数度剣を振る――――ように見えた。
曖昧な表現を使ったのは、そのほとんどが俺の目には見えなかったからだ。
三振りするところまでは見えたのだが、それ以降はまったく捉えられていない。
「あ、が……」
ただ、三振りでは済まなかったことは確かだ。
まずブラムの鎧に切れ込みが入り、バラバラになって地面に落ちる。
続いて、彼の全身から血が吹き出した。
腕、足、そして胴体に数カ所。
様々な部位から血を流すブラムは、そのまま地面へと倒れ込む。
「足や腕の腱を斬った。死にはしない、けど、当分の間はほとんど動けない」
「ふざ、けんじゃ……ねぇ……俺は、ブラムだぞ、第一騎士団隊長の! ブラム様だ! こんなことしてタダで済むと思ってんじゃねぇ! この罪人どもが!」
「……お前こそ、分かってない」
「ひっ」
うつ伏せに倒れ込むブラムの頭すれすれに、レイの剣が突き立つ。
「私たちは、冒険者。私たちは、自由。私たちは、己の心に従って生きる。私たちを縛るのは、国の決めたルールじゃない」
「な、何言ってんだ!?」
「だから、ここであなたを始末することになんの躊躇いもない。私は、そうしたい。でも、お前の生きている場所は私たちとは違うところ。だから――お前の大好きな法って概念で裁いてもらう」
「はぁ!?」
レイが視線をカノンへ向ける。
それに反応し一つ頷いたカノンは、俺たちのいる方へ誰かを連れてやってきた。
「まあなんと浅はかなことかしら。あたしら相手にこんな雑魚を置いていくなんてね」
「グェ!」
カノンは、その誰かを地面へと転がす。
それは騎士の格好をした男だった。
ブラム隊の一員、俺も見覚えがある。
「こいつともう一人がレイの屋敷で待機してたのよ。ほら、あんたがさっきあたしらに説明したことを、ここで大声で説明し直しなさい?」
「うっ」
「早くしろ。あんたの大切なモノ、全部焼き払ってやってもいいんだからね」
「わ、分かった! 分かりました! 全部正直に言います!」
カノンが顔に炎を近づけたことで、彼の心が完全に折れたことを理解した。
そして彼は大きく口を開き、訓練所全体に聞こえるよう叫ぶ。
「四年前! フェリス隊長を襲ったのはテオじゃない! ブラム隊長だ! テオはそれを庇った結果、ブラム隊長に犯罪者に仕立て上げられた! テオは何も! 悪くない!」
そんな一人の騎士の声が、訓練所全体を沈黙へと落とし込んだ。




