5-3
翌日。
あまりにも考え込みすぎた俺は、結局あの後一睡もできなかった。
その割にはいい解決方法も見つからず、ただただ時間を浪費しただけで終わっている。
「……はぁ」
食堂の椅子に座り、俺はため息をつく。
レイたちは今日もいない。
まだ昨日の依頼が続いているらしい。
(何とかならないものか……)
俺は机の上に置かれた青色の宝石を指でつつく。
『何かどうしても困ったことがあったとき、私のことを思い浮かべながらそれを砕いて。きっと役に立つ』
そう言って、今朝レイに渡されたものだ。
おそらく、これは魔石である。
魔石というのは、魔力や魔法が組み込まれた宝石のことを指す。
砕いたり、はたまた持っているだけで何かしらの効果を及ぼす――らしい。
一流の魔法使いは、魔石を見ただけでどんな効果があるか判断できるんだそうだ。
生憎俺はまったく詳しくないため、これが何なのか見当もつかない。
レイが役に立つと言うのだから、きっと肌身離さず持っていた方がいいのだろう。
(ダメだ、少し仮眠をもらおう)
深く物事を考えようとすると、意識がぼやけるようになってしまった。
このまま考えたところで、もはや意味はない。
俺は立ち上がり、ベッドで寝るために自室へと向かう。
その、途中のことであった。
「え――――」
玄関の前を通ったとき、突然玄関の扉が勢いよく内側へと吹き飛んで来た。
俺はその際に発生した衝撃に晒され、思わず尻餅をついてしまう。
「小汚ねぇ冒険者のくせに、結構いい家に住んでんじゃねぇか。腹たつぜまったく」
……嘘だ。もう来たのか。
扉のなくなった入り口から差し込む光の中から、金属音を響かせながら一人の男が現れる。
リストリア王国第一騎士団隊長、ブラム――。
俺は彼の姿を見た瞬間、全身から汗が湧き上がる感覚を味わった。
薄れていた暴力への恐怖が、無理やり引き上げられる。
俺の体は自分の意思と関係なく、後ろへ後ろへと少しでも距離を取ろうとし始める。
「おっと、本当に生きてやがったなぁ、テオ。あのときよくも見捨ててくれたなぁ、俺たちをよぉ」
ゲラゲラと、ブラム以外の声が聞こえてくる。
次の瞬間、ブラム隊の連中がぞろぞろと屋敷の中へと入ってきた。
一様に剣を抜いており、その剣先を俺へと向ける。
そして、汚らしい笑みを浮かべるのだ。
「み、見捨てたのはあんたの方じゃないか――――っ!?」
「あーあー、人聞きの悪いこと言いやがって。見捨てられたのは俺たちの方だぜ。 だよなぁ? お前ら」
周りの騎士たちは、初めから打ち合わせでもしていたかのようにそうだそうだと声を上げ始める。
もはや完全にグルだ。
彼らの中には、すでにシナリオが出来上がっている。
「テメェの罪状は、敵前逃亡及び同志への反逆行為。それに加えて四年前の強姦未遂だ。一緒に来てもらうぜ? 罪人を裁く場へよォ!」
数名の騎士が、座り込む俺を取り押さえるために迫ってくる。
俺はとっさにレイから渡された魔石を取り出し、床で叩き割ろうと振り上げた。
「おっと、余計なことすんじゃねぇよ!」
刹那、ブラムはそのガタイからは想像もできない速度で俺の眼前へと移動すると、俺の腕を掴み上げた。
掴まれた部分がミシリと嫌な音を立てる。
その瞬間、激痛が走ったことで力が緩み、俺は魔石から手を離してしまった。
ここで床に落ちた魔石が割れてくれれば、どれだけ神に感謝しただろうか。
しかし、現実は非情なもの。
勢いが足りなかったのか、魔石はただただ床を転がるばかり。
ヒビ一つ入っている様子はない。
「こいつは転移の魔石だな? 卑怯者がこんな奥の手を隠してやがって……こりゃ罪が重くなるかもなぁ」
床に転がった魔石を、ブラムが掴み上げる。
俺は空いている方の手を、その魔石へ向かって伸ばした。
「返せ……っ!」
「返せ? 誰に向かってそんな生意気な口聞いてんだ! テメェはよォ!」
「がっ!」
腕から手を離したブラムは、俺の顔面を蹴りつける。
ひどく鈍い衝撃が頭に走り、気づくと俺は廊下を転がっていた。
ボタボタと口から流れ出る血を吐き出しながら、朦朧とする意識のまま顔を上げる。
「あんだけ可愛がってやったのに、もう忘れてんのか? 立場の差ってやつを。……まあいいか、これから思い出させてやれば」
そう言って、ブラムは手に持っていた魔石を握り潰す。
パラパラと床に落ちていくその破片を眺めながら、俺は僅かながらの希望を抱いた。
しかし――何も起こらない。
「はっ、テメェは転移の魔石すら知らねぇのか? こいつは砕いた際に、頭で思い浮かべた人間に呼びかけをすることができるって代物だ。そいつがその呼びかけに応じれば、魔石を砕いた場所へ転移させられるって仕組みよ。つまり何も考えずに砕いちまえば、ただの石ってこった」
ブラムは床に散らばった魔石の破片を、その足で踏みにじる。
悔しい。
なぜこうも俺は愚かなんだ。
もっと俺が賢ければ、ここまで酷い状況にはならなかったはずなのに。
悔しくて、涙が出そうだった。
「しかしよぉ、こいつは立派な公務執行妨害ってやつだよな? 罪人の抵抗を抑えるためには、多少の武力行使も仕方ねぇ……ってな」
ブラムは、突如として剣を抜く。
そして、そのまま近くの壁を斬りつけた。
「な、何をして――――」
「Sランクだかなんだか知らねぇが! 前々から気に入らなかったんだよなぁ! 騎士団の仕事を取りやがるし! 治安を守ってやってる俺たちよりも感謝されやがってよぉ!」
玄関の壁や床が、みるみるうちに破壊されていく。
俺は止めるために立ち上がろうとするが、床に着いた腕が激痛を訴え、再び床に倒れこんでしまった。
「お前らもやっちまえ! どうせこの屋敷の家主もとっ捕まえてやりゃいいんだからな! 罪人を匿っていた罰でよぉ!」
ブラムがそう叫べば、部下たちも次々と屋敷のものを破壊していく。
何がどうなっているのだ。
どうしてこんなことができるんだ?
これが本当に騎士団の人間なのか。
「やめて……ください」
「あ? 何か言ったか?」
「やめて、ください……っ! 大人しくついて行きますから、これ以上この屋敷を傷つけないで……ください」
俺は床に額を擦りつけるようにして、彼に懇願する。
短い期間ではあるが、ここにはレイとの思い出があるのだ。
彼女を見送り、そして出迎えるという、俺にとっての小さな幸せの思い出が、ここには多く詰まっている。
それをこれ以上壊されることが、もう我慢ならなかった。
「チッ……罪人が抵抗をやめちまった。お前ら、手を止めろ。そんでもってあいつを拘束しろ。こうなったらさっさと連れてかねぇとな」
ブラムの指示に従い、数名の騎士が俺の腕を縛り上げる。
そうして身動きが取れなくなった俺に、ブラムは卑しい笑みを浮かべながら近づいてきた。
「テメェみたいなクズでも、いなくなったらそれはそれで不便だったんだわ。他の誰かが雑用をしなくちゃならなくてな、このままじゃ士気に関わるところだったんだよなぁ」
「……」
「ま、そう心配すんな。また俺が裏で手を回して、命までは取られねぇようにしてやる。そんでもって、今度は一生ブラム隊の奴隷として働かせてやるよ。俺の慈悲にこれでもかってくらい感謝しろよな」
ブラムは俺の襟首を掴み上げ、立ち上がらせる。
そしてそのまま、俺を屋敷の外へと蹴り出した。
「おら、連れてけ。っと、仕上げにこいつも置いてかねぇとな」
懐から何かを取り出したブラムは、それを屋敷の中へと放り投げる。
袋に入った白い粉のように見えたが――。
「Sランク冒険者の家から、大量の麻薬を発見……っと。恩を着せた街の連中にこれを買わせて小遣い稼ぎをしていた。こういう筋書きにしておくか」
――この男は、一体何を言っているのだ。
あまりの異常行動に、俺の頭がついて行かない。
ブラムは卑しい笑みを浮かべたまま、俺の下へ再び歩み寄ってくる。
「これでSランク冒険者も終わりだ。ふぅ、良いことした後は気分がいいぜ」
「どうして……そんなことを」
「どうして? 気にいらねぇからに決まってんじゃねぇかよ。この国に冒険者なんて必要ねぇ。奴らは俺たち騎士団から手柄だけを横取りする盗人みてぇな連中だ。実際問題を起こす奴らも多いしなぁ。そんな連中は、さっさと消しちまうのが一番なんだよ」
思わず、俺はブラムへと飛びかかろうとしていた。
しかしすぐさま周りの騎士たちに取り押さえられてしまい、地面へと体を押し付けられる。
「はははっ! テメェはどこまでも惨めだなぁ! いいか? よく聞け」
ブラムは騎士たちを退かし、俺の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「騎士団の後ろには国がある。つまり俺たちの意志は国の意志ってことだ」
「そ、そんなわけが――――」
「実際そうなんだよ。だから俺たちに逆らうってことは、国に逆らうってことだ。俺たちに逆らって、まともに生きていけると思わねぇことだなァ?」
狂ってる――――。
ブラムが俺から手を離す。
ふらりと後ろへバランスを崩しかけた俺の体は、他の騎士によって支えられた。
気づけば両サイドの肩を掴まれており、俺の体は屋敷とは反対方向へ向けられる。
「おら、さっさと進め。テメェの居場所はもう、ここにはねぇんだからよ」
そう言いながら、ブラムは今までで一番の笑みを浮かべた。




