5-2
「……どうしてあなたがここにいるのですか」
フェリスは腰に差した剣に手を添えながら、俺を睨みつける。
剣に手を添えるという行為は、俺を警戒している証拠だ。
死んだと思われていた人間が目の前に現れれば、こうして警戒するのも当然だろう。
対する俺の方はと言うと、急速に喉が渇き、まったく言葉を出せずにいた。
直属の上司であるブラムの次に会いたくない人間が、目の前に現れてしまったのだ。
動悸が激しくなり、呼吸がしづらくなる。
それほどまでに、彼女とは顔を合わせたくなかった。
「あなたはブラム隊長より戦死したと聞いています。皆を囮にして逃げようとしたということも」
――やはり、ブラムが俺のことを正しく伝えてくれるわけがなかったか。
だけど、それはもういい。
一番の問題は、俺が生きているということが騎士団に発覚したということだ。
「……なるほど、ドラゴン自体はレイ・シルバーホーンが討伐したと聞きました。その彼女の家にあなたがいるということは、彼女に救われたわけですね。なぜそのまま家に居座っているのかは疑問でしかないですが」
「べ、別に……答える必要はないと思います」
「まあ、その辺りの経緯はどうでもいいのです。問題なのは、性犯罪者であるあなたが女性の家にいるという点です。レイ・シルバーホーンはそのことを知らないのでしょうか?」
「俺は……あんたを襲ってなんか――」
「――聞き飽きましたよ、その弁明は」
突然、フェリスから膝が震え出しそうなほどの威圧感が放たれる。
崩れ落ちそうになる体をなんとか支えながら、俺はさらに浅くなる呼吸でかろうじて酸素を脳に取り入れていた。
フェリスは、最年少にて第一騎士団長より隊長の立場を与えられた人間である。
彼女は強姦未遂の件以来、誰にも不覚を取ることがないように相当な訓練を重ねていた。
結果として驚異的な速度で実力を身につけ、今ではブラムに匹敵するBランクほどの実力を身につけている。
俺がレイたちと付き合っていなければ、この威圧だけで完全に戦意を喪失していただろう。
「犯罪者の潔白を訴える声を一々相手にしていたら、そもそも法など意味をなさなくなります」
「だ、だから……っ、全部ブラムが」
「挙げ句の果てに尊敬すべき上司へ罪をなすりつけようとするなんて……あなたという人間が同期であるという事実が恥ずかしいです」
そこまで告げた後、フェリスは怒りの中にやるせない哀れみの感情が混ざった顔で俺を見た。
「……どうして、なんですか。私は騎士学園時代のあなたを尊敬していたのに」
「っ……違うって、言ってるじゃないか」
もう、俺の言葉は聞き入れてはもらえないようだ。
フェリスは雑念を振り払うかのように頭を振ると、再び俺へと視線を戻す。
「あなたが生きていると分かった以上、このまま放っておくことはできません」
「何を……する気ですか」
「私からは何も。私はこの事実をブラム隊長へと知らせるだけです。あなたの処遇は彼に任せていますから。レイ・シルバーホーンへの依頼は、また後日取り付けに来ます」
そう言って、フェリスは俺の目の前で踵を返す。
その手を、俺は思わず掴んでいた。
「ま、待ってください! あの人に伝えることだけはどうか――」
「っ! 離してください!」
俺の手は、彼女の力によって軽々と振り払われる。
フェリスは俺から距離を取り、掴まれた腕を胸に抱きこんだ。
そして、俺に対し恐怖に染まった視線を送ってくる。
男性に襲われたという経験から来るトラウマ――まさか、フェリスはそれを抱えているのだろうか。
「と、とにかく! ブラム隊長への報告は決定事項です! 私のことはともかく、仲間を囮にしたという罪の償い方だけは考えておいてください! 以上です!」
そう言い残し、フェリスは屋敷の敷地から去っていく。
緊張感が去ったことで、俺は扉の前で膝から崩れ落ちた。
背中に流れる冷や汗が、妙に気持ち悪い。
しかしそれをどうにかしようと思えるほど、俺の体力は残っていなかった。
この先、俺は一体どうすればいいのだろうか――――。
♦︎
「うん、この野菜肉炒めも美味しいわね! だいぶ食欲をそそられる匂いがするんだけど、何を使ったの?」
「……」
「ちょ、ちょっとテオ!? あたしを無視しないで! あたし泣くわよ!? すぐ泣くわよ!?」
「え? あ、悪い……ぼーっとしてた」
時刻は、すでに19時頃を回っていた。
レイ、カノン、アルビンの三人は依頼を終え、現在は食事の真っ最中である。
その中で、どうやら俺は意識を飛ばしていたらしい。
視線を落とせば、全く手付かずの自分の分の料理が並んでいる。
――結局、豚の角煮へ挑戦することは叶わなかった。
フェリスの訪問以来、何も家事が手につかず、夕食すらも間に合わせのものしか作れていない。
「料理に使ったものだっけ? 香り付けというか、豆を発酵させて作ったソース――ショウユって言うんだけど、それと生姜を合わせただけだ。あとは砂糖かな。それで疲れた体にはちょうどいい濃い味の炒め物ができる」
「へぇ。確かに手が止まらないわね」
カノンはそう言いながら、肉とともにライスを口へと放り込む。
レイもアルビンも、同様に食べ進めてくれていた。
正直、ありがたい。
手抜きとまではいかないが、普段よりも確実に作業量が少ない料理だ。
「いつもよりまずい」と言われて突き返されても、今の俺では文句を言い返すことすらできなかっただろう。
「……テオ」
「ん?」
「何か、あった?」
食事の手を止めたレイが、俺の顔を覗き込むようにして問いかけてきた。
思わず、息を飲む。
何かあったことを隠すことすらできない態度であったことは承知しているが、いざ問いかけを受けてみると言葉に詰まる。
どう答えるべきだろうか?
そもそも俺の境遇を知らない人間が、この場には二人もいる。
彼らを信頼していないわけではない――が、何気なく話すことができる内容ではない。
ここはレイにだけ理解してもらえる言葉を口にすべきか。
「……昔の知り合いが訪ねてきてな。ちょっとノスタルジックな気持ちになっているだけだ。そいつはレイに用事があったみたいだけどな。確か依頼を持ってきたとか言ってた気がする」
「――――そう」
レイは目を細め、それ以上は何も言葉を吐かなかった。
おそらく、彼女には伝わっただろう。
昔の知り合いとは、騎士団のことだと。
「また訪ねてくるそうだ。そのときはタイミングが合うといいな」
「ん」
一言返事をこぼし、レイは食事へと意識を戻す。
俺は、迷っていた。
賢い選択肢として、このままレイに助けを求めるという手段がある。
そうすれば、レイは俺に力を貸してくれるだろう。
騎士団が俺を連行しに来たときも、撃退してくれるかもしれない。
しかし、そうなればレイと騎士団の対立は防げない。
元々彼らの仲は最悪と聞いている。
一度のきっかけで、抗争状態へと発展する可能性もあるのだ。
いくらSランク冒険者だろうと、騎士団の第一から第五までいる団長たち、そしてそれぞれその配下にいる五人の隊長たちを相手にすることは至難の技だと思う。
レイに甘えて、彼女を危険に晒したいかと聞かれれば、その答えはNOだ。
では迷惑をかけずに解決する方法は? と問われれば、それに対しては答えを出すことすらできない。
結局、俺はこれ以上のことをレイたちに相談することはできなかった。




