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「それじゃ、行ってくる」
「ああ、気をつけて」
「ん」
レイはこくりと頷き、屋敷の玄関から外へと出ていく。
「夕飯の約束忘れないでね!」
「分かってるよ。あんたも気をつけてな」
「一般人に心配されるほど柔じゃないから!」
カノンもレイに続く形で、屋敷を出ていく。
人を送り出すというのは実に新鮮な感覚だ。
今の時刻は朝十時。
いつもならば訓練という名目でブラムに連れ出される時間だが、もう俺はやつらのサンドバッグにならずに済むのだ。
「騎士団、か」
もう聞きたくもない名前であった。
テオという騎士は竜によって殺された――連中はそう思っていることだろう。
実際にブラムが何と上層部に報告したのかは分からない。
口では皆の囮になったと伝えると言っていたが、やつのことだ、皆を見捨てて逃げたと伝えている可能性もある。
正直それはどうだっていい。死んだとさえ伝えてくれていれば。
(死んだやつの捜索なんてしないもんな……)
下手に生き残っている可能性を見出され、捜索隊が編成される方が面倒になる。
昨日街を歩いているときに聞いた話だが、騎士団は竜を討伐するための人員を集めていたところ、レイの報告が間に合ったことでそれも解散になったそうだ。
そして国側から最終的に公表された事実は、Sランク冒険者によって竜が討伐されたこと、そして最終的なリストリア王国側の死傷者は、騎士六名であったこと。
あの場で殺された騎士は五名、つまり報告には俺も含まれている。
――心底安心した。
あとは今後騎士団の連中と鉢合わせないように生活すれば、俺の安寧は保たれる。
買い出しに行くときフードでもかぶり、身を隠すとしよう。
「よし、掃除するか」
いつか、騎士団との関係を清算しなければならなくなるときが来るかもしれない。
しかしそれは今じゃない。
今俺がやるべきことは、この屋敷を隅から隅まで清潔にすることだ。
何度も言うが、この屋敷はあまりにも広い。
一部屋一部屋仕上げていったら、どれだけ時間があっても足りないだろう。それこそ庭の手入れなんて夢のまた夢だ。
必要なのは、需要の高い部屋から掃除していくこと。
そして時間的に余裕が出始めたくらいで、普段は使わない部屋に手を付ける。
このスケジュールなら、俺でもそう苦労せずに掃除を終えることができるだろう。
まず向かう先は、俺が寝る予定の客間だ。
この先もレイと一緒に寝るのは、理性的にも身体の安全的にもまずい。
一式の掃除道具を持ち、貸してもらう客間へ。
扉を開けてみれば、やはりこもった埃臭い空気が鼻腔を痛めつけてくる。
俺は鼻と口を覆うように布を巻き付け、部屋の中へと足を踏み入れた。
部屋の窓を開け、床の埃を集める。
そしてベッドから毛布とシーツを引っぺがし、よく叩いた後に洗濯用魔法箱へとまとめて入れた。
これには水の魔法が組み込まれており、入れた衣類などの汚れを高圧な水で落としてくれる。
水が噴き出る音が聞こえなくなれば、洗濯は終了。
この後取り出して外に天日干しする必要があるのだが、この時間が一番長い。
シーツならともかく、厚みのある毛布などは中々乾かないのだ。
だからってただただこの時間を待っていては勿体ない。
再び客間に戻って、埃のなくなった床を濡れた雑巾で拭く。
それ以外にも、設置された棚や机もしっかりと拭いて、汚れを落としていった。
(……楽だ)
掃除の大変さであれば、騎士団時代とそう変わらない。
しかしここには、床などをわざと汚して俺の仕事を増やしてくる連中がいないのだ。
掃除しても掃除してもきりがないなんてことはもう起きない。
掃除すればしっかりと綺麗になる――これがどれだけ幸せなことか。
これなら毎日でもいいや。
♦
「……やり過ぎたか?」
夢中になって掃除していると、気づけば日が暮れてしまっていた。
やる気が暴走してしまっていたせいか、予定のペースをとうに越している。
使用頻度順に掃除していたはずなのに、掃除が終わっていない部屋が気づけば残り二部屋というところまで進めてしまったのだ。
もちろん完璧というわけではないため、掃除が終わった部屋もそれぞれ仕上げをする必要はあるのだが……それでも過ごしやすい屋敷にはなったと思う。
(結局庭まで手が届かなかったけど……明日には取り掛かれそうだな)
明日の予定まで考えながら、俺の足はキッチンへと向かっていた。
そろそろレイたちが帰ってくる頃だろう。
ライスを炊いてカレーを温め始めれば、ちょうどいい時間になりそうだ。
――それにしても。
温めながら改めて思ったのだが、レイの食欲はどうなっているのだろうか?
かなりの量作ったはずのカレーが、すでに半分以下になっている。
昨日の夜と今日の朝だけで、レイは大人6人分くらいは食べているはずだ。
本当は今日の昼もカレーを出す予定だったから、レイ+カノン+俺で計算上はこの夕食で食べきれる。
腐らせずに済んだことは助かるけど、今後このペースで食料が消えていくと考えると気が重い。
もちろん食材にはレイが金を出すため出費は心配ないのだが、辺境の村育ち特有の貧乏性が染みついているせいだろう。
あまり常識的な考えを持たないレイとともにいれば、今後も精神的苦労はありそうだ。
それすらも少し楽しみだけれど。
ようやく全体が温まり、じきにライスも炊けるだろうと言った頃、玄関の方からベルの鳴る音が聞こえた。
帰ってきたのかと思い、俺は玄関に向かう。
「レイたちか? おかえ……り……」
俺はその光景を見て、言葉を失う。
玄関を開けて入ってきたのは、間違いなくレイとカノンだった。
しかしその全身は赤黒い液体で汚れており、レイに至っては美しい白銀の髪が見る影もないほどに赤く染まっている。
「れ、レイ!? 二人とも何があったんだよ!」
「ん……気にしないで」
「気にしないでって……怪我だったら先に治療魔術師を呼んで――」
慌てる俺の言葉を止めたのは、死んだ魚のような目をしているカノンであった。
彼女は手で俺を制しつつ、口を開く。
「大丈夫、これ全部返り血だから」
「か、返り血……?」
「もう本っっっっ当に最悪なの! 迷宮の新しい層へ下りたらいきなりトラップが作動してモンスターハウスに転移させられて……もうそこから今の今までずっと戦いっぱなしよ」
モンスターハウスという言葉には聞き覚えがある。
罠を踏んだ人間が特定の部屋に引き込まれ、無限と言ってもいい数の魔物に襲われるというトラップだ。
入口がある以上は出口もあり、同じ形のトラップを踏むことで部屋からは脱出できるらしい。
しかし脱出できる確率の方が低く、基本的には即死トラップに近いんだそうだ。
「別に魔物どもは大したことなかったわ。だけど数が多すぎ! ぎゅうぎゅう詰めよ! そのせいで返り血を避けられなくてこのざまなの! あああああ臭いしほんとに最悪ーッ!」
「私もさすがに不快。固まってぱりぱりする。洗い流したい」
確かによく嗅いでみれば、接触していない距離でも生臭さを感じる。
そうじゃなくても、他者の血というのは不衛生だ。
「……そうか、じゃあ先に風呂場だな。お湯はもう張ってあるし、体を洗った後にゆっくり浸かってくれ」
「ん、ありがとう。カノンもこのまま案内する」
「ああ、頼む。風呂から出たら夕食にしよう」
「んっ」
多少元気を取り戻したようで、レイは顔を上げて返事をする。
そうして文句を垂れ流すカノンを連れて、彼女は風呂場へと向かって行く――が、その途中で俺の方へ一度振り返った。
「心配、してくれたの?」
「へ? ……当たり前だろ? 無事で帰ってきてくれたことが何より嬉しいよ」
「……ん。満足」
「……?」
レイは嬉しそうに頷くと、そのまま風呂場へと消えていく。
心配されたことが嬉しい?
よく分からないが、ひとまずやるべきことができた。
――カーペットに垂れた血の処理である。




