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3-1

 ――鳥のさえずりが聞こえる。

 

 意識が覚醒してきて、俺は窓から差し込む日の光に思わず目を細めた。

 

「……朝か」


 部屋に設置された柱時計は八時を指している。

 六時起きだった頃に比べれば、かなり贅沢な睡眠時間だ。

 

 朝食の準備をしよう――。

 

 そう思って体を起こそうとすると、突然俺の体に何かが絡まってきた。

 人の腕だ。

 初めはぎょっとしたものの、すぐに安心する。

 俺以外にこの場にいる人間は、一人しかいないのだから。


「レイ?」


「ん……」


「……まだ寝てるか」


 レイは俺の体を両腕でしっかりと抱きしめており、起き上がれないよう固定していた。

 これではまるで抱き枕だ。

 ともかく、早く彼女から逃れなければならない。

 腕に伝わってくる二つの柔らかい感触に抗うようにして、俺は何とか脱出を試みる。


「――無理かも」


 しかし、すぐに諦める羽目になった。

 Sランク冒険者の力があまりにも強すぎる。

 一見細く見える腕も、押してみればまるで大木を相手にしているかのようにびくともしない。

 力技での脱出は不可能、となれば、体を捻じるようにしてつるりと抜け出すしかないだろう。

 

「よし……」


 俺は彼女を起こしてしまうことを覚悟して、体を動かす。

 徐々にではあるが、確実にレイのホールドから逃れることができ始めた。

 これなら――と思ったその矢先、レイの腕が突然動き、俺の頭を抱えて胸元へと引きずり込む。


「むぐっ!」


「ん……テオのかれー……美味しい」


 そいつは光栄だ、と言葉を返したいところだったのだが、口からは呻き声しか出なかった。

 俺の顔を、柔らかい二つの塊が包んでいる。

 前も思ったが、やはりレイの胸は豊満だ。

 胸当ての上からですらそう思ったのだから、直接だとその破壊力は数倍と言ってもいいだろう。

 

(ま、まずい……)


 このままでは色々とまずい。

 こんなところで事故(・・)を起こしたくない俺は、そろりと彼女の脇腹へと手を伸ばした。

 もはや奥の手。許せ、レイ。


「ん……んっ、あっ」


「っ……」


 最終手段は、くすぐりだ。

 脇の辺りをくすぐれば、そこに力が入って抱きしめる方に力が入らなくなるはず。

 しかし、この悩ましげな声は予想外。

 確かに腕の力は緩んだが、俺は触覚、視覚、聴覚と戦う羽目になってしまった。


「負け……るかっ」


 くすぐりと捻じりを同時に活用し、俺はついにレイの腕から逃れることに成功する。

 そして再び腕に絡み取られる前に、素早くベッドの上から離脱した。


 レイの腕はしばらく何かを探すように虚空を彷徨った後、ぱたりとベッドの上に落ちる。

 少々寂しそうに見えてしまったが、こちらもだいぶ苦しんだのだ。お互い様だろう。


(恐るべし、Sランク冒険者……)


 もう同じベッドで寝ることはないかもしれないが、一応気に留めておこう。

 レイの寝相攻撃は危険――と。


「――よし」


 難は逃れたし、俺もやるべきことを始めなければ。

 今日から本格的に家の仕事に取り組むことになる。

 まずは顔を洗い、朝食の準備をしなければならない。


 その後は屋敷内の掃除。

 最後に余裕があれば、庭の草むしりにも手を出しておきたい。

 

 やるべきことは多く感じる。

 しかし、俺の心は憑き物が取れたかのように晴れやかで、やる気に満ちていた。


「やっぱり、カレーは一日寝かせた方が美味いな」


 昨日作ったカレーを温めながら、俺はそうつぶやいた。

 理屈は知らないが、作り立てのカレーよりも二日目のカレーの方が俺は美味しく感じる。

 ちなみにライスは炊き直しだ。

 昨日の夕食時にレイがぺろりと食べてしまったから、一粒も残らなかったのである。

 手間は増えるが、決して責めるつもりはない。

 むしろたくさん食べてもらえるというのは、作った側からすれば喜ばしいことだ。


「カレーの……香りがした」


 もうじき温め終わるといった頃に、キッチンにふらりとレイが入ってくる。

 頭は寝ぐせだらけで、目はいまだ寝ぼけ眼。

 髪をすくことくらいは俺がやった方がいいのだろうか?


「起きたか」


「ん、おはよう」


「おはよう。すぐにできるから席に座っててくれ」


「ん……」


 聞いているのか聞いていないのか分かりにくい様子で、レイは食堂の方へと入っていった。

 それを確認して、俺はこっそりカレーに対してひと工夫を加える。

 まさしくこれはベストマッチと言ってもいいだろう。

 ひと手間加えたカレーを持ち、俺も彼女に続いて食堂へ足を踏み入れた。


「――――な、何……それ」

 

 レイは俺の持っているカレーの器を見て、驚きの声を上げる。

 ただ驚いてはいるものの、彼女の目は好奇心に支配されていた。

 

「朝のちょっとした贅沢だ」


 俺はカレーをレイの前に置く。

 この、目玉焼き乗せ(・・・・・・)カレーを。


「すごい、お日様(・・・)が昇ってる」


「そういう表現は初めて聞いたな……。目玉焼きとカレーは合うんだよ。途中まで食べたら、黄身を崩して少し混ぜるとさらにまろやかになるぞ」


「んっ、やってみる」


 食事を出したからか、だいぶ意識がはっきりしてきているようだ。

 レイはまず白身とカレーを一緒に食べ、目を見開く。


「美味しいっ」


「よかった。おかわりが必要なら言ってくれ。目玉焼きをまた乗せるから」


「……二つ」


「ん?」


「二つ……乗せてほしい」


 指を二本立て、レイは俺に詰め寄ってくる。

 この様子は相当気に入ってくれたようだ。

 

「分かった。二つだな」


「んっ、んっ」


 何度も頷いて見せるレイの様子が、なんとも微笑ましかった。

 せっかくだから、二つを通り越して三つ乗せてやろう。

 喜んではくれるだろうし。


「じゃあ俺も食べるか――ん?」


 そうして俺も席に着こうとした瞬間、玄関の方から呼び鈴が鳴る音が聞こえてきた。

 来客のようだ。


「レイ、どうする?」


「私は今カレーを食べることで忙しい」


「……分かった。俺が出ていいんだな?」


「ん」


 相当カレーに夢中なようで、俺の問いには小さく頷くだけだった。

 それでいいのか家主――と思わないでもないが、この自由なスタイルがレイなのである。

 そのうち俺も、意見を聞かずに動けるようになりたいものだ。


 俺は食堂を出て、玄関へと向かう。

 玄関にも埃は積もっていたが、レイが仕事へ行く際不快にならないよう今朝のうちに最低限の掃除は済ませてあった。

 これなら来客にも見せられるだろう。正直な話をすれば、もっと完璧に磨き上げたいところではあるのだけど。


「はい、どちら様――」


 玄関に手をかけ、開ける。

 荒れ放題な庭をバックに立っていたのは、赤い髪を二つにまとめている少女だった。

 見たところは冒険者だろう。

 彼女は俺が出てきたことに大いに驚いている様子だ。


「え――――誰?」


 少女の口から漏れた言葉は、そんな短い問いかけだった。

 こっちのセリフ……と言いたいところだが、この人は雰囲気的にレイの知り合い。

 つまり部外者は俺の方だ。


「えっと……昨日からこの屋敷に住まわせてもらってる者です」


「ま、まさか……レイのか、かかっ、かかか!」


「か?」


「かかかかかかか! か、彼氏!?」


「違います」


 反射的に否定する。

 勘違いはろくな出来事を起こさない。

 早めに否定してしまうに限る。

 

「――ん、カノンだ。相変わらず朝早い」


 気になったのか、レイが玄関に顔を出す。

 ここに来るまでかなり葛藤はあったようで、手にはスプーンが握られっぱなしだ。

 置いてきてほしい気持ちもあるが、彼女が来てくれたおかげでこの少女が知り合いであることが証明されたので、今は良しとする。


「レイ! あんた!」


「ん?」


「このっ――――裏切り者ォォォォォオオオオ!」


 突然、カノンと呼ばれた少女はレイに向かって手を突き出す。

 次の瞬間、その手から小さな火の玉が撃ち出された――。

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