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◇◇◇
私はすごく運が良かったんだと思う。
あの日も私はいつも通りに仕事をしてた。終電間際の退社はザラで、あの日も深夜近くまでオフィスで一人パソコンを叩いてた。
部下のミホちゃんからもらったチョコレートバーがあったもんだから、いつもより調子よくキーを打ち鳴らしてた。
で、瞬きした次の瞬間には一面ギザギザの葉っぱに囲まれてたってわけ。しかもよ、その葉っぱには朱色に色づいた実だけじゃない、うにょっとした芋虫(?)も確認できるんだから、そりゃぁもう涙がちょちょぎれそうだった。
コンクリートジャングルに身を置く私の天敵、虫とかほんと無理だから!
で、この時点でなんとなく嫌な予感はあったのよ。
あぁ、私越えちゃいけない何かを越えちゃったかなって。特別予感があったわけじゃない。だけど、明らかな緊急事態を前にしても動揺はなかった。
澄みきった空気に、見上げれば葉っぱ越しに燦々と注ぐ陽光。お天道様に当たるのだって何日振りだろ。
でもな、このままじゃ埒が明かない。誰か第一村人(?)を見つけに行かなきゃダメだよね。
チラリ。
はぁ。虫だらけのこの中、移動したくないなぁ。うぅ、ほんと泣くし。
そんな葛藤に揺れていた。
「おいっ、この場所で何をしている?」
そんな時に声を掛けてきたのがダルジャン。
ダルジャンを一目見て私はその美しさに見惚れた。ダルジャンは目深にフードを被っていたけど、その彫刻みたいな美貌は疑いようがなかった。
彼はアルビノ?
いや、世界が違うとすれば、単に民族的な特徴かもしれない。
色素に乏しく、血の色を映す朱色の瞳。
朱? ううん、ダルジャンの瞳は少し紫がかっていて、もっと深みのある色だ。肌は日焼けをしらない透ける白さで、白銀の髪と相まってその神々しさは言葉にできない。
眼福眼福ってなもんでうっとり見惚れていたら、ここで予期せぬハプニングに見舞われた。まさかの天敵が首に落ちてきやがった!
もうこの時ばかりは恥も外聞もなく半泣きでダルジャンに縋っちゃたわよ。
その時、ローブ越しにも感じる鍛え抜かれた体に感嘆した。凄すぎる! こんなイケメンリアルマッチョにいきなり出会えちゃう異世界事情ってどんな美男美女のお国なのって慄いた。
だけど、その心配は杞憂だった。
ダルジャンの愛馬に乗せられて移動する時に見かけた人々の容姿はこぞって普通。
と言うよりも、彼らにダルジャンとの共通点を見出すことは出来なかった。
民族的な違いからアジア人よりも掘りの深い顔立ちに日焼けした浅黒い肌。瞳は青や茶、グレーだったりと様々だが髪は暗褐色が多い。
けれど別段整っている印象はなかった。
チラリと私の背後で手綱を握るダルジャンを盗み見た。
そう、ダルジャンだけが別格の美しさなのだ。
「フミィ、貴方さえよければここで暮らさないか?」
ダルジャンの自宅だろう豪邸でもたらされた提案には一も二もなく頷いた。
もちろん打算だらけ。通された屋敷は一人暮らしなのにどんな金持ちよ、と呆れる瀟洒な一軒家。ダルジャンは医者か? 弁護士か?
見知らぬ地で私が生きていくために誰がしかの庇護は必要だ。ただし、誰でもいいって訳じゃない。
私はダルジャンが良かった。
不思議とダルジャンにフミィと呼ばれれば胸が熱くなる。今まで芙美って名前は好きじゃなかった。それが、ダルジャンが「フミィ」って呼ぶたびに、まるで自分の名前が宝物みたいに愛おしく感じた。
「ここの家事一切を引き受けてくれないか。その代り、衣食住の保証と手当も出そう」
次いでもたらされたこの一言には内心凍り付いた。
バリキャリのアラサー女に家事スキルを期待されても困る。食事は専ら外食かコンビニ、掃除はル○バが勝手にやってるし、洗濯だって乾燥までの全自動。
ヒヤヒヤしながらダルジャンに付いて屋敷内を見て回る。前時代的な薪で火おこし、井戸で水汲みだったら終わったと思ったらこの世界、どうやら便利な世界のようだ。
少々勝手は違うが、電気ガスと同レベルの動力は確保できている。これなら努力次第でなんとか出来る!
こちとら海千山千、魑魅魍魎が跋扈する現代社会の荒波を一人漕ぎ渡ってやってきたのよ! 負けないわよ!
「ダルジャンの好物、いっぱい作りますね!」
私は鼻息荒く宣言かました。有言実行、言ったらやらねば!
こんな良い人に拾われといてただ飯食らいなんてありえない。それで、ちょっとばかりでも良い拾い物したなって思って貰えたら嬉しい!
「部屋の掃除は不要だ」
でも、私の意気込みはダルジャンの一言で小さく萎んだ。
掃除を断られたくらいで、と思うかもしれない。
けれど、最もプライベートな空間への入室拒否はまるで一線を引かれたみたいだ。
あるいは、ダルジャンには誰か良い人がいるのかもしれない。だってダルジャンは、こんなにも良い男なのだ。
いやいや、それこそ私の望むところ! 色恋沙汰は二度とごめん。ただ私はダルジャンの恩にしっかり報いるだけなんだから!
慣れない家事には悪戦苦闘、ダルジャンの一言一句に浮き沈み、私の異世界での生活はこうして幕を開けた。
☆宰相閣下と仲良しの副将軍の考察☆
俺の士官学校時代の同級生に変わった毛色の男がいる。
そいつはアルバンド国民の一般的な容姿からは逸脱していた。古い言い伝えで魔に魅入られたと、不吉と謂われる赤い目。そして老爺みたいに白い髪をしていた。肌はアルバンド国民にもたまに色の白い奴がいるが、ダルジャンみたいに血管の透ける白さは見たことがない。
その容姿で苦労したんだろうダルジャンは士官学校入学の年には既に不思議なくらいに達観していた。まるで己の欲望というものを持たないみたいに、自身に関してはてんで無頓着。
そのくせ他者への観察眼に優れていて、頭も底抜けにキレた。
ダルジャンは士官学校では神童と謳われた。同期からも先輩後輩からも慕われて、教師陣すらダルジャンには一目置いていた。士官学校は身分問わずの実力社会、ダルジャンの見てくれでああだこうだ言うような奴は所詮実力の伴わない小物。
腕一つ、力一つの士官学校でダルジャンはめきめきとその頭角を表して、士官学校を卒業する頃には既に国王陛下の目に留まり、重用されて相談役になっていた。そして今では押しも押されもせぬアルバンド王国宰相閣下。
アルバンド王国にくすぶる膿を吐き出して、優れた外交手腕で長年小競り合いを繰り返していたテジレーン公国とも停戦合意に漕ぎつけた。
それらを何でもない事みたいにやっちまう。ダルジャンはすげぇよ。
「もう5年も前になるんだから時効かねぇ。あたい、あんたの上官の白獣宰相に一度だけ侍った事があるんだ」
気が緩んでいたんだろう寝物語に馴染の娼にダルジャンの武勇伝を零したら、娼からはまさかの反応が返ってきた。
本音を言えば、ダルジャンと関係があったなど、知りたくはなかったが……。
「若い子がビビっちまって仕事にならんって、女将がわざわざあたいを呼びに来た。何事かと思ったさ」
まぁ、ダルジャンの外見だけ見ればそうなるか。単一民族で成り立つアルバンド王国には排他的な思考が根付いている。赤い目のダルジャンを若い女は特に恐れる。赤目の魔物は年若い女子供を攫って食うと謂われているからだ。
「あたいも噂の白獣宰相の外見には確かに驚かされたさ、けどさぁ、どんなに紳士的な客だって心の奥底ではあたしら娼婦を見下げてる。ところがそんな感情が白獣宰相には全く無いんだ。上も下も無く対等に見て、交接も単なる売買。あたい、白獣宰相が気に入っちまってね。けっこうふっかけたのに、露店でパンを買うのと同じ様に言い値を置いて帰っちまってそれっきりさ」
ふむ、流石ダルジャン。
こういう高級娼館では娼婦もある程度客を選ぶ。それは暗黙の了解で、初見でふっかけた金額を提示されれば、それには次回の頭金みたいなもんを含んでる。娼からの「また来てね」のメッセージだ。
逆に娼館の規定を下回る金額提示は「手切れ金代わりにまけてやっから、もう二度と来んじゃねぇ」これを食らえば事実上の出禁だ。
まぁ、どっちもそうそうある事じゃないから俺自身はそのどちらの経験も無い。
「……こないださぁ、化粧小物屋で5年振りに見かけたんだよ。そしたら白獣宰相は隣に可愛い子を連れててさ」
「あぁ、それはダルジャンが家政婦として世話する事になったという少女だな」
俺もダルジャンから聞かされた時は耳を疑った。
「そりゃぁ愛おしい目を向けてるんだ」
淡々と話すターニャ。しかし、僅かにその声が震えた気がした。
怪訝に思ってターニャを見上げれば、
「ターニャ?」
!!
俺は内心えらく動揺していた。
ターニャはいつだってきっぷが良くて、カラカラっと笑顔ばかりを見せる娼だ。そのターニャが目にうっすらと涙を浮かべていた。
……あぁ、そうか。胸の中、何かがストンと落ちた気がした。
俺は俺の腕の中で他の男を思って涙を零すターニャをそっと抱きしめた。
「バーガン……、娼婦風情が身の程知らずにって呆れちまうだろう?」
「馬鹿な事を言うな」
自嘲気味に零すターニャ、誰にもターニャを貶める権利なんかないさ。
女の涙なんて面倒くさいばかり、後腐れの無さから好んでいたターニャだった。それなのに初めて見たターニャの涙は心の奥底を刺激する。
「……こりゃ、墜ちたかもな」
腕の中のターニャは泣き濡れて、しっかりと施した化粧も目元は流れ落ちている。うっすらと浮かぶ目元の小皺にターニャがもう娼婦としては年嵩である事がしれる。
娼婦に年齢の話題はタブーだが、話の折に俺と同年齢と知った。
「なぁ、ターニャ。ダルジャン程じゃないが、俺もまずまずの優良物件だと思うぞ?」
悪くない。俺だってターニャが望めば身請けして養うくらいの稼ぎはあるさ。
きょとんと俺を見上げたターニャ。
「! っははっ! あぁ、バーガン、あんたはいい男さ」
しかし次の瞬間、ターニャは高らかな笑い声をあげた。
「コッチの方もあんた程の男はそうそういないさ?」
そして一転、蠱惑的に微笑むと、俺の頬をスルリと撫でた。
俺はそのままターニャの手管で官能の波に逆戻り。それ以上この話を続ける事は叶わなかった。
「バーガン、あんたもまた、あたいにゃ眩しい殿上人さ」
夜も明ける頃、寝台に心地よい疲労感で横たわる。寝がけにそんなシルフの囁きを耳にしたけれど、俺は既に夢うつつの状態。
その翌週、娼館を訪ねればターニャは既に辞めたと聞かされた。