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さて、王家の所有畑に押し入っておきながらてんで事の深刻さに思い至りもしないこの少女は何者だ?


俺は居間のソファに腰掛けて所在なさげにキョロキョロと室内を見回す少女を見る。


「ほら、飲むといい。」


俺は手ずから淹れたコーヒーを少女に手渡した。


「あ、ありがとうございます。」


少女は両手でカップを受け取ると、カップを鼻に寄せてくんっとさせた。次いでカップに口を付けると、そっと一口含むように味わって飲み込んだ。


真白い喉が嚥下で僅かに上下する。平静を装うけれど、何故かそんな些細な動作に高揚した。魅せられて、惹きつけられて、食い入るように少女を見つめた。


「わぁ、少しフルーティで匂い立つよう。前に一度飲んだパナマコーヒーの最高品種に似てます。これ、すっごく良い豆ですよね!?」


パッと表情を明るくし、少女は嬉しそうに感想を口にした。俺は一気に現実に引き戻され、そして少女の言葉に驚愕した。


少女を試そうとしたわけではないが、その反応が気になったのは事実。


少女の言う通り、買い置きの中でも一番高価なそれを淹れた。酒も煙草もしない俺の唯一の嗜好だ。


そもそもコーヒーそのものが一般国民には未だ普及しない高級品。コーヒーを初めて飲む人々の感想はだいたい同じような物。


苦いだの不味いだの、その程度だ。


飲み慣れるにつれてその風味や奥深さに感じ入るというものだ。


「貴方は飲み慣れているんだな」


「コーヒーですか? 息詰まるとどうしても欲しくなっちゃうんですよね、ダメだダメだと思いながらも日に五回は淹れちゃいます」


俺も自分のカップを持って少女の向かいに腰掛けた。


「あ、私ってばご挨拶もしないうちから先に一人寛いじゃって、すいません!」


少女は慌ててソファテーブルに飲みかけのカップを置くと、立ち上がって勢いよく頭を下げた。


「私、佐藤芙美と言います。うんっと、ここはもしかすると名前が先かな? 私の名前、芙美と言います。佐藤が家名ですね」


フミィ、不思議な響きだ。立ち上がったフミィを制し、もう一度ソファに促す。


「フミィ、か。俺はダルジャンだ」


正面から俺を見上げるフミィの黒い双対、異国情緒ある響きの名。


「ダルジャン…」


噛みしめるように俺の名を反復するフミィ、フミィの一挙手一投足に愛おしさが募る。


そして驚くべきことにフミィは家名を持っていた。アルバンド王国も、近隣諸国も通常一般国民は名しか持たない。


サトーとはアルバンド王国では聞いた事の無い家名だ。フミィは近隣諸国の何処かで名のある家の娘なのだろうか?


「それで? フミィ、貴方は何処から来たんだ?」


俺の問いかけに、フミィは一気に表情を曇らせた。


「私にも分からないんです。たぶん、ここは私のいた世界と違う、そんな気がします」


何とも的を得ない答え。しかし、不思議と目の前の今にも泣きそうな、不安気な瞳のフミィが嘘を吐いているとは思えなかった。


違う世界から来た少女。俺を恐れない美しい娘。


「……そうか。それならフミィ、貴方さえよければここで暮らさないか?」


俺の地位に釣られ、甘い汁を吸おうと取り入ろうと目論む輩は多い。俺は信用の置けない者を身近に置くほど酔狂じゃない。


俺には分かる、フミィはそんな低俗な存在とは違う。


けれど仮にフミィが俺を計略にかけようとする悪女でも、フミィになら俺の地位も財産も全て明け渡したとて構わない。フミィを見つけた俺がフミィの庇護者。俺がフミィを守ると決めた。


フミィがぱちぱちと瞬きしながら、ぽかんと俺を見上げる。


そんな表情すらも愛おしさが募り、俺の胸を熱くする。


「おっと、もちろんタダでとは言えん。見ての通り、ここには住み込みの使用人の一人もいない。フミィさえよければ、ここの家事一切を引き受けてくれないか。その代わり、衣食住の保証と手当も出そう」


あえて警戒心を与えないように付け加えた。本当は何もしなくていい。フミィ一人くらい俺が養ってやれる。


けれど、どうか断らないでくれ。俺の元に舞い降りたシルフ。俺の目の届かない処になんてやりたくない。


「ありがとうダルジャン! 私、私! 一生懸命やります!!」


フミィが一転、花が綻ぶみたいに笑う。俺はフミィの笑顔にただ、見惚れていた。








こうして俺はフミィを己の懐に引き込むことに成功した。


だが、フミィの箱入りっぷりには正直度肝を抜かれた。俺とて貴族の端くれ、フォークよりも重い物など持てませんとばかりのご令嬢をごまんと見てきた。きたのだが……。


「あの、お湯は出ないんですか?」


これは浴室を案内した際のフミィの第一声だ。


俺の屋敷には水道が引かれている。主だった貴族館や一般国民でも裕福な家は引き始めてはいるが、王都での普及率は未だ二割程度だ。国民の大多数は井戸から水を汲んで賄っている。


それでも衛生対策にいち早く下水道の整備を済ませたアルバンド王国は近隣諸国に類を見ない先進的な国家体制と言える。


それをフミィは水道の下りでも頷くだけ、果てはお湯は出ないのかと言う。


「いや、お湯は出ないだろう。風呂には沸かした湯を溜める、……或いはこの熱晶を張った水に落としてもいいな」


沸かした湯を溜めると言えばフミィがあからさまに驚くから、俺はガラス瓶で保管された熱晶を指し示した。


「へぇ、異世界って面白い! まるで追い焚き機能ですね。毎晩溜めるのも重労働だし、その熱晶は便利ですね」


熱晶はそれ一つで一般国民の三日分の食費になる程の金額だ。そもそも毎日湯に浸かるなど王妃王女くらいではないだろうか。俺の母とて二三日に一度だったと記憶している。貴族も平素は布で体を清めて終いにする事が多い。


高価な熱晶を常時使用するのも、王侯貴族くらいだろう。


「そうか。俺は帰宅時間もまちまちだから、風呂はフミィが好きな時に使うと良い」


使いどころなく散々貯めるばかりの生活だった。宰相としての奉納も領地収入も熱晶程度で揺らぐものでは無い。じゃんじゃん使うといい。


「あっ、コンロがある!」


炊事場に案内するとフミィは薪焜炉に駆け寄った。


「あれ? 点火ツマミがない? あ、火力調整の目盛もないや。ダルジャン、これどうやって使うんですか?」


俺はフミィの発言にも、もう驚かなかった。


「この発火晶を放ればいい。外気に触れると直ぐに発火するから、瓶から出したらすぐに放るんだ」


一般には薪や木炭を燃料にして、空気取り入れ口の加減で火力調整をするのだが、いかんせん調整が難しく慣れないと使いこなすのは困難だ。


一方、発火晶はそのサイズで火力と発火時間が決まるから非常に使い勝手は良い。


最も、熱晶同様にこちらも三日分の食費と同価だ。


「発火晶のサイズ選びが難しいですね。あ、少し大きめを使っておけばいいのか」


……大丈夫だ、これくらいで傾くような稼ぎじゃない。


「フミィの良い様に使ってくれ」


「はい! ダルジャンの好物、いっぱい作りますね!」


フミィはくるくると広くもない炊事場を見て回る。


調味料は一つずつ味と匂いを確かめながら、その目は真剣そのものだ。


通いの家政婦が幾らかの買い置きはしてあるが、基本的に外食で済ませてしまう事が多いから食材はそう多く揃えていない。フミィが俺の為に作ってくれると言うんだ、一緒に市場へ買い出しに行くのもいいな。


最後にフミィを寝室に通した。


「あの、こんないい部屋使わせてもらっちゃっていいんですか?」


綺麗に整えられた寝具。


「あぁ、ここはフミィの部屋だ。自由に使ってくれ」


今ほどこのタイミングに感謝した事は無い。実はフミィを通した寝室は俺の寝室。


帰宅日の今日は家政婦が手入れしたまま。三日に一回の通いの家政婦が入らない日など、起きたら起きっぱなし、寝乱れた状態のままだ。


そもそも俺の屋敷に誰かを泊める想定はしていないから、余分の寝室はない。たまに酒を片手にやって来るバーガンなどは、明け方まで飲み明かしたとて当然雑魚寝だ。


「俺の寝室は向かいだが、部屋の掃除は不要だ」


向かいは物置にしている。たしかその中に古いソファベッドが起きっぱなしになっていた。


俺はどこでも寝られる、それで十分だ。


だが、それを知ればフミィが気に病むだろう。


「分かりました、寝室には入りません。でも、もし何か必要がある時は言ってください」


何故だろう。そう答えたフミィは少し寂しそうに見えた。





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