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***










自由人の陛下は専属の側仕えを置かない。どころか、宰相である俺を小間使いと思っている節がある。


俺の来訪に先達なんかはない。陛下の勝手に入れとの言を受け、慣れた動作で政務室の扉を二つノックしてそのまま入室する。


「陛下、無事に帰国をいたしましたのでその報告に参りました」


「へー、おかえり」


陛下はいつだって平常運転。


報告にきた俺を待っていたのは気の無い陛下の背中。陛下は政務椅子の背もたれに寄りかかったままこちらを振り返りもしない。その陛下の手には明日の予算会議の資料がぐちゃっと握られている。


「やはりお前に全て任せた俺の判断は正しかったな」


それは陛下なりの労いの言葉なんだろう。


背中越しに振り返り、俺を一瞥して陛下はすぐに視線を政務机に戻した。


けれど続きは陛下の背中が雄弁に語っている。


『お前がいないから俺が予算案などめんどくさい物に目を通さねばならん』


『三週間近くも城を空けやがって』


『さっさと通常業務に戻れ戻れ』


無言の陛下の背中からじわじわと滲む繰り言に苦笑が漏れる。


俺をテジレーン公国に向かわせる判断は陛下が下したというのに、困ったお方だ。けれど実際の陛下が言葉にしたのはそのどれとも違うものだった。


「……ダルジャン、帰国日の今日くらいは帰ってゆっくり休め」


陛下の精一杯の心遣いに苦笑が浮かぶ。


今日の陛下は俺に予算案に目を通せとは言わない。帰国の足でそのままここに来た俺に、陛下は陛下なりに賛辞と労わりを示してくれているんだろう。


「では今日は有難く帰宅させていただきます。明日からはまた、通常業務に戻ります」


陛下は背中を向けたまま、資料を握るのと逆の手をひらひらと振って寄越した。


分かってはいたが、俺の陛下への報告はものの数分で終わってしまった。陛下はどこまでも自由人だ。






陛下への報告も終え久々に王城裏の厩舎に向かえば、俺の気配を察した愛馬がヒヒーンと嘶く。


「ジニー、寂しい思いをさせたな」


鼻づらを撫でれば、ジニーは甘えるようにすり寄った。


駆け寄る厩番を制し、自らジニーに鞍を付ける。


「ご苦労だったな」


「ははっ!」


ジニーの毛艶もいい、俺の留守中良く世話をしてくれたのだろう厩番の男を労い、俺はひらりとジニーに飛び乗った。


待つ者もない俺が帰宅を急ぐ理由はないから、残務を熟して深夜の帰宅が常だ。まだ十分に日が高いこんな時刻に家路につくなどいつ以来だろう。


若干の疲労を感じるが、久々の地面を踏む感触は悪くない。やはり、往復で二週間にも渡る海上での缶詰生活は窮屈この上ない。今日は早々に寝台に沈むとするか。


そして明日は久々に近衛連隊の早朝鍛錬に顔でも出そう。


そんな事を考えながら、王城から放射状に広がる通りの一つを進む。


俺は士官学校の寮を出た後、父侯爵の屋敷には戻らず、空き家となっていた旧男爵別邸を買い取っていた。


その屋敷は侯爵家とは比べるべくもなく簡素だ。しかし、無駄に豪華絢爛な造りも、無駄に多い部屋数も、全て俺には不要な物。


最低限の設備が揃い、王城からもほど近い立地、なんの問題も無い。


ヒヒヒヒーンンッッ!!!


「っ!?」


何かに驚いたのだろうか、ジニーが突如大きく前脚を跳ねて急停止する。俺は馬上でバランスを取り、なんとか落馬を防ぎつつ興奮したジニーを宥める。


「ジニー? どうした?」


「ヒンッ! ヒヒヒーンッ!」


まるで何かを訴えようとするみたいに、ジニーはしきりに首を振る。そして、フンフンと鼻息荒く鼻先を右手に広がる桑畑に向けた。


「桑畑に何かあるのか?」


ジニーはとても良く訓練された賢い馬だ。むやみやたらとこんな行動を取った事など一度も無い。


俺はひらりとジニーから降りると、ジニーの手綱を引いて桑畑に足を向けた。


一面に広がる桑畑は代々アルバンド王国王妃が管轄している国有の畑だ。今は王が独身の為、王太后の所有となっている。


この畑を侵す事は王家への反逆。子供とて知るこの桑畑をあえて荒らす不届き者がいようとは。


畑の前にジニーを待たせて踏み入れば、確かに人の気配がある。それも気配を殺す事を知らない素人のそれだ。


人の気配のする方に歩み寄れば、その者の荒い息遣いまでが聴こえてきた。


「ふっ、……うぅっ」


桑の葉の影、小さな背中が丸まっているのが見えた。相手は俺が間近に寄ったのにも気づかぬようで、簡単に小さな背中の背後がとれた。


「おいっ、この場所で何をしている?」


ビクリと小さな背中が揺れ、バッと俺を振り向いた。


ごくり。


現れたその人物に息を呑んだ。見開かれた少女の目、その瞳は深い黒。真白い頬を流れる髪もまた黒。そのどちらもが降り注ぐ陽光を受けて艶やかに煌く。少女の容貌は形容し難い程、俺の心を揺さぶった。


「……シルフ?」


未だかつて黒の瞳を目にした事など無い。神聖とされる黒を髪に持つだけで羨望を集める。その黒を瞳にも持つこの少女は何者なのか?


アルバンド国民には白すぎる肌と少女の黒との対比はなんと眩しいのだろう。


思わず漏れた呟きは俺の願望の表れだったかもしれない。


バーガン、目の前のシルフとのめくるめく夢の一夜の為ならば身ぐるみ剥がされたとて、いやたとえ俺の全財産と引き換えだろうとも、俺は後悔しないだろう。確かにその一瞬、俺は少女に魅せられて我を忘れた。


「……すごい」


驚きに目を見開く少女は何事か小さく呟いて、俺を見上げる。俺は目深にマントを被っていたが、真下から見上げれば異形は一目瞭然の筈。


……いかん。この少女はどんなに無害を装うとも侵入者、冷静になれ。俺は一息吐くと、思考を一気に切り替える。


俺を認識し、次いで少女はどんな反応をするだろう。悲鳴を上げるか、逃げ出すか、それらの反応を見るのを少し億劫に思いながら俺は少女から視線を逸らさない。


しかし、少女は悲鳴を上げるでも、逃げ出すでもなく、ただ俺を見上げたまま固まっていた。


どれくらいそうしていただろう。


「あの、私、気が付いたらここにいたんです。胡散臭いって思われてしまうかもしれませんが、なんでここに居るのか自分でも分からないんです」


少女がぽつり、ぽつりと口を開く。それは悲鳴でも恐怖に震える言葉でもなく、とても静か。冷静に一言一句を考えながら紡ぐようだった。


「ッ! キャッ、やぁぁぁぁぁ!!」


言葉の途中、突然叫び声を上げた少女は青白い顔をしてふるふると小刻みに震えだす。


俺は落胆を隠せなかった。あぁ、この少女も俺を厭うのか……。スゥッと熱かった胸の温度が引いていくのが分かった。


少女から距離を取るように一歩引く。


「っ、お願い! 逃げないで! 取って、取って下さい!!」


するとまさか、縋るように少女は俺に抱き付いてきた。


少女の言う逃げるとは一体何のことだ?


少女は必死の形相で目にいっぱいの涙を浮かべて俺を見上げる。


「首っ、首っ、首にっ! もぅやだぁぁぁぁ!」


首?


俺は縋り付く少女の細い首筋に目線を落とす。血管が透けて見えそうな白い肌、白さだけで言えば俺と同じくらいだが、少女の吸い付きそうにきめ細かな肌はシミ一つなく輝くようだ。


ん?


その少女の首から鎖骨の方、襟ぐりにぽつんと付くそれ。


「失礼」


俺は一声かけて、桑を食草とするガの幼虫をヒョイと取り上げた。


けしからん奴だ。少女の柔肌を俺を差し置いて先に味わおうとは。


俺は若干の嫉妬を込めてポイッと遠くに放り投げてやった。


「取れた? 取れたの?」


少女は小刻みな震えを残したまま、不安そうに俺を見上げる。しかもその細腕は未だ俺の腰に縋ったままだ。


まさか、少女はガの幼虫に怯えていたのか? 小さな子供ですら素手でひょいと掴んでしまう小さき虫を?


「幼虫の事か? それならもう放ったぞ」


ただし、この桑畑にはあんなのがごまんといる。少女のすぐ近くに伸びる葉の上にも。


ふむ、早々にここを去った方がいいな。


「助かったぁ。見ず知らずの方にお恥ずかしいんですけど、私昔から虫の類が大の苦手で、ありがとうございました」


「詳しい話は外で聞こう」


俺はへなへなと離された少女の手を少し残念に思いながら、少女をそっと畑の外へと促した。




「わぁ! 綺麗な馬!」


桑畑の前、ジニーを見とめた少女が感嘆の声を上げた。


ジニーは気高い馬だ。主人である俺以外を乗せない。


そのジニーがだ、少女を伴って戻った俺に鼻先でくいっくいっと自身の背を示した。


まるで乗れと言っているようで、俺は驚きを隠せない。少女はおっかなびっくりという体で慣れぬ手つきでジニーの首周りを撫で始める。その慣れない手にもジニーは不快感を見せずに、大人しく身を任せている。


しかしジニーに乗り上がるには少女の背丈は圧倒的に足りない。


「失礼」


少女に一声掛けて、両脇を支えて俺が馬上に上げた。触れた少女はまるで羽みたいに軽かった。


「わぁ、高い」


感嘆した少女の声。


「乗馬する機会などいくらでもあろう?」


アルバンド王国で馬は移動手段として、また農耕手段としてごく一般的だ。


「……少なくとも私のいた国では馬に触れる機会はなかったですね」


いやいや、近隣諸国のどこも馬に乗った事の無い者などないだろう。


どんな僻地の出身かとも思ったが、少女の珍妙だが驚くほど縫製仕立ての良い衣服、手入れされた髪や肌を見ればその考えは一瞬で霧散した。


俺の胸にすっぽりと収まる不思議な少女。風に流れてさらさらと遊ぶ黒髪がなんともくすぐったい思いにさせる。


この少女は俺が、見つけた。


本気で天が俺に遣わして下さったシフルではないかとそんな都合のいい夢に酔って、屋敷までの僅かな距離をいつもの倍の時間を掛けてジニーを歩ませた。





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