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☆フミィの正体に首を傾げる聴取官の考察☆
この娘に会うのは三度目だった。
「やぁお嬢さん、こんにちわ」
この娘は先週も今日と同じようにベンチに腰掛けて、何やら分厚い書類束と睨めっこをしていた。
「あれ? 聴取官、よく会うね?」
この娘と初めて顔を合わせたのは、現在我が家に預かるアルマへの聴取の時だった。
きちんとした身なりのこの娘はしかし、一般的な貴族の娘とは言動がかけ離れている。
その正体には謎が多いが、王宮内で会うという事はそれなりの家の娘ではあるんだろう。
しかしこの娘は聴取の時も、前回ここで出会った時も、いつだって自然体で気さくに私に話しかけてくる。
私にこのような気安い態度をとろうとする者などないから、それが妙に新鮮で、この娘と過ごす時間は心地よい。
「ここは亡き妻が好きだったんだ。だからついつい、足が向いてしまってな」
そう、王宮内のこの庭園は思い出の場所でもある。二人でよく肩を並べて歩いたものだ。
娘がぽんぽんとベンチの隣を叩くから、私も娘の隣に腰を下ろす。
「へー、そっか。聴取官は奥さんの事、よっぽど愛していたんだねー」
余りにも自然に娘の口から出た愛という言葉に少し、動揺した。
「……ふむ、愛していたのか、今となっては分からんのだよ。ただ、責任感は感じていたな。けれどそれももう、随分と遠い記憶だ」
「そっかぁ」
……遠い記憶と言った。けれど不思議なもので、目を閉じれば今も、鮮やかに娘時代の妻の姿が浮かぶ。
妻は儚げで、吹けば折れそうな嫋やかな娘だった。
五歳年長の私が彼女に感じていたのは恐らく男女の愛とは少し違う感情であったと思う。
けれど近い家柄にあって、幼少の頃より両家は頻繁に行き来があった。
妻は私を兄と慕い、よく懐いていた。けれど人見知りの妻は私以外の一切に気を許す事はなかった。
妻は大層美しい娘であったから、慕われれば私とて悪い気などしない。
そのまま親同士の勧めるまま、気付けば許嫁となり、そのまま婚姻の運びとなった。
けれどその後は試練の連続だった。
「何年になりますか?」
気さくに話しかけてくる娘は亡き妻とは似ても似つかない、明るい朗らかな笑顔が印象的だった。
「二十年になるか」
……そうか。彼女を亡くしてもう二十年、けれど、まだ二十年。
寝て起きれば彼女の微笑みが隣にあると、そんな錯覚すらいまだに抜けぬまま、既に二十年が過ぎていようとは、年月とは不思議なものだ。
「ふふっ。愛で間違いないと思いますよ? 私も両親を亡くしてるんですけどね、生前はそこまで親密だったわけじゃないんです。だけど、それでもどんなに忙しくたって毎年の命日には必ず墓参りに行くんです。そして生前の両親の姿を懐かしく思い出す、それはもう愛以外の何物でもないですよね? 絶対に家族愛ってやつがそうさせてるんです」
娘は清々しい笑顔で言い切った。そうか、月命日に毎月欠かさない墓参りも、こんな風に妻との思い出の場所に足が向くのも、妻への愛がさせているのか。
娘の言葉はまるで魔法みたいな優しさでもって沁みてくるようだった。
「……だけどそっか、それももう二度と出来なくなっちゃったんだぁ」
ぽつりと何事か小さく呟いた娘は目を細めて蒼い空を見上げた。娘の声は小さくて、私にはその内容を聞き取る事は出来なかった。
けれど敢えてそれを聞き直すのは無粋に感じ、私も娘の隣で天を仰いだ。今日の空はどこまでも澄みきって、曇りない。
カサリと物音を感じて隣の娘を見る。
!?
反対側に僅かに顔を背ける娘のその背中が、泣いているような気がした。
私は躊躇いながらも、そっと娘の背中を撫でてやる。
娘は特に何を言うでもなかった。
私と娘はそのまま、抜けるような青空を眺めていた。
「ねぇ聴取官? ……どうして泣いてるの?」
ん? なんの事だ?
どれ程の時間、そうしていただろう。ぽつりと、静かに掛かった娘の声にギシギシと軋む首を下げて、そっと己の頬に指を運ぶ。そうすれば指先に濡れた感触。
!! 涙!? ……私は、泣いていたのか?
ここにきて初めて、自分が泣いていたのだと知れた。けれど動揺に揺れる視線を上げれば、娘の目にもまた光る物を認めた。
今日のように澄んだ、澄みきった空は何故か感情の深いところを刺激する。私も、目の前の娘もきっとそう。
「……どうしてだろうか。でもそうだな、しいて言えば後悔、その言葉が一番近いだろうか」
こんな風に誰かに胸の内を明かすなど初めての事。けれど何故か、娘の深い射抜くような漆黒の瞳を前にすれば、言葉が勝手に口をついて出る。
「後悔?」
「あぁ、心を病んだ妻に、私は夫として出来る限り尽くしたつもりだった。確かに妻は微笑んで逝った。けれど私は妻の心に障る全てを退けて、妻の心を波立たせないようにそればかりを優先した。妻が厭った息子も妻には極力接触させないように、距離を置かせて……」
だが、それは果たして正しかったのか? 私は妻の心の安寧を願った。息子が妻の不用意な言葉で傷つく事も避けたかった。
けれど、共に過ごさせればその中で、また違う変化だってあったのではないか?
その可能性を妻からも、息子からも、私は奪ってしまったのではないか?
「聴取官、たらればの未来に後悔は不毛ですよ? それならば、これから先の人生で惜しみない愛情を注いで下さい」
!!
娘の言葉に頭をハンマーでガツンとやられたような、そんな目の覚めるような思いがした。
「それに聴取官、私もぜーんぜん偉い事言える程の経験なんてないんですけど、最近27歳にして初めて愛を知ったんです。そうしたら、それに伴って大小色んな愛情に気付くんですよ。思いやりだけじゃなく、我儘も嫉妬も全部相手への愛情なんですよ!」
娘は何を思ったか、私の両手を取った。
親子程も年の違う私達が手に手を取って見つめ合う。娘の深い黒に、吸い込まれてしまいそうだった。
「奥さんへの気持ちは間違いなくその時の聴取官の愛情で、奥さんに対しての後悔はもう昇華させてあげましょう。それから、距離を取る事で息子さんの心もまた守りたかったお父さんの気持ち、ダルジャンに伝えてみませんか?」
!?
「ダルジャンのお父さん、ですよね? ダルジャンは不器用ですからね。察する事は苦手です。でも言葉にして伝えればあっという間に吸収しますよ?」
!!
「いつから!? いつから私がダルジャンの父と知って!?」
にやりと娘はいい笑顔で私を見上げた。小柄な娘はその体に収まりきらない大きな懐を持っている。
「最初から!! だって二人は不器用で考え過ぎちゃうところ、そっくりですから!」
カラカラっと笑った娘の目にももう、涙はなかった。
……あぁ、息子にはあまりにも出来た女性だ。そして私には、過ぎた義娘だ。
「今晩、うちに来ませんか? 珍しく私、腕をふるっちゃいますよ?」
してやったりの笑顔の娘。それとは対照的に私の目からは、後から後から引かない涙が零れていた。
「ダルジャン……その、久しいな?」
「……父上も、お変わりなさそうで……」
「ブッ、ブハハハハハッッ!! 何!? 二人ともその借りてきた猫みたいな感じ!?」
その日、初めて訪れた息子宅の晩餐は、フミィさんの大爆笑で幕を開けた。
フミィさんを中心に食事は和やかに進んだ。そうしてちょっとばかりアルコールも回りほろ酔いになってきた頃、フミィさんはおもむろに席を外した。
「……ダルジャン、フミィさんはいい女性だな」
「えぇ、俺には過ぎた女性です」
二十年の時を経て、歯車は動き出す。
「ダルジャン、お前は私の自慢の息子だ。そしてフミィさんもまた、自慢の娘だなぁ。私は果報者だ」
歯車をえいやと動かしたのは息子の大事な女性で、そして私の娘だ。
「父上……」
時が癒す物もある。時が解決する事もある。
二十年の空白を埋めるように私とダルジャンは緩やかに杯と会話を重ねていった。
そうして家族が増え、住まいが手狭になった息子夫婦が侯爵邸に一家で移るのも、これからそう遠い話ではない。
◇◇◇
私が何故アルバンド王国に来たのか。何故、私だったのか?
全てはダルジャンに出会うための必然であったのだと今は思ってる。強がっていたわけじゃないけど、肩肘張って生きていた。
それがどうだろう? こんな風に愛に溺れて暮らす日常を、日本で暮らしていた頃の私が想像できたわけもない。
「ダルジャン、最近アレがきてないの」
さぁ、ダルジャンは私の言葉にどんな表情を見せてくれるだろう。
隣に座り、私の肩を抱くダルジャンの表情を真下からじっと窺う。
「……ダルジャン?」
ダルジャンは固まったまま、微動だにしない。目元、口元ひとつ動かさない。綺麗な朱色の双眸は陽光を受けてキラキラと輝く。その目は今何を見て、ダルジャンは何を思うのだろう。
「分かってくれた? 赤ちゃん、出来たかもしれない」
ダルジャンは肝心な所で鈍いところがある。もしかして伝わっていないんじゃないかと不安になった。
ポタン、ポタン。
けれどダルジャンの朱色の双眸から水晶みたいな透き通る雫が伝い、珠になって繋いだ私達の手の上に弾けた。
繋いだダルジャンの手に力が篭る。私の肩を抱く腕にも僅かに力が篭る。
「……フミィ、俺の子を生んでくれるのか?」
ダルジャンが震える唇から紡いだ言葉もまた緊張に霞み、震えているようだった。
そうだった、ダルジャンは直情型に喜べない。嬉しいや楽しい感情を表に出す前にまずは一度立ち止まっちゃう。
だけどダルジャンがそこから一歩を踏み出せば、後はもう溢れる程の愛で私を溺れさせる。そうしてこの後はその愛を私と、お腹の我が子に注いでもらうんだ。
ダルジャン程に愛情深い男を私は知らないし、ダルジャンに経済的な不安などあろうはずもない。とは言え、ここに来ての生んでくれるのかって発言の真意は何?
「まさか、ダルジャンは子供嫌い!?」
そりゃ、毎晩ベッドを共にしてれば妊娠は当然の結果。それを今更どうしたダルジャン!?
ガバッと私に向き直ったダルジャンが、ワシッと私の肩を掴んだ。
「違う! 違うんだ! そうじゃない!」
ダルジャンは珍しく興奮した様子で、叫ぶようにそう言って縋るように私の胸に顔を埋めた。
「……声を大きくしてすまない。だが、嬉しくて、嬉しくて……俺とフミィの子供、俺は夢を見ているみたいだ。俺が、人の子の親に……」
私に縋って肩を揺らすダルジャンが愛おしい。まるでダルジャンがおっきな子供のようだ。肉親の情に薄かったダルジャンに私が新しい家族の絆を与えてあげられる。ダルジャンの背をぽんぽんと撫で擦りながら、女に生まれて良かったと、しみじみと思った。
「うん。ダルジャン、私きっと育児って慣れなくて髪振り乱しててんやわんやの肝っ玉母さんになるけど、嫌いにならないでよ?」
私の腕を掴むダルジャンの手に少し力が篭る。ダルジャンはゆっくりと涙濡れの顔を上げた。涙に濡れそぼつ白銀の睫毛の下、けぶる朱色はやっぱりとびきりに綺麗。
「なるわけがないじゃないか。どんな姿でもフミィは俺の女神、俺の手の中で輝く至宝だ。俺は生涯フミィとフミィの子の僕になれる」
なんとまぁ、出来た旦那を持ったもんだよ。
……だけどダルジャン、子供に対しては普通に父親でいいと思う。
「……企業戦士だったフミィさんが最終的にはまさかの超優良家庭に永久就職? さくらとミホちゃん、驚くだろうなぁ~。あ、陛下のところのパートはずっと続けるけどね~」
「フミィ?」
涙に濡れる美しい朱色の瞳、神秘の結晶みたいな流れる白銀の髪。
「ううん、なんでもない!」
綺麗で優秀で、ちょっと偏愛的なくらいに私を想ってくれるダルジャン。こんな男性と出会ったならもう、何を捨てても愛に走るっきゃない。
涙濡れの朱色の瞳に微笑んで、愛おしい旦那様を目一杯抱き締めた。




