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「よっ」
市場で買い物中、ポンと肩が叩かれた。ビクリと肩を大きく揺らしてしまったのは不可抗力で、一ヶ月前の買い物中の誘拐を鑑みればいたしかたない。
そう、誘拐騒ぎから既に一ヵ月が経っている。ダルジャンは私の体を労わって、一人早朝から王宮に出仕していった。
だもんで、私は久しぶりの買い出しに出てきたわけだ。
「バーガンさん!」
ギシギシとした動きで振り返ればしかし、後ろに立っていたのは良く知る人物だった。
バーガンさんはザ筋肉の巨漢だけど、ちょっと垂れた目がカワイイのだ。そんなバーガンさんに寄り添う一人の女性。控えめにバーガンさんの腕を取る楚々とした美女は一体何者!?
「買い物か? ダルジャンが心配すっからあんまフラフラすんじゃねーぞ」
いやね、そうは言っても籠の鳥じゃ息が詰まって仕方ない。
それに食材も底をついちゃうしね。
「そんな事よりバーガンさん、そちらの美女はどっから誑かしてきたんですか?」
コツン。
「アダッ」
「聞き捨てならねー事言ってんじゃねーぞ! 嫁だ、嫁!」
おおっ!
「奥さんでしたか!」
それにしたってバーガンさんから食らったデコピンは何気に結構な威力。
むむむ、私のおでこが陥没したらどうしてくれよう?
「ははっ、あーはっはっ!」
おやっ? 見ればバーガンさんの腕を取っていた奥さんが艶やかに笑い声をあげている。
豪快なのに下品じゃない。同性なのに思わず見惚れたその色香。
「ふふっ、ごめんなさいね。ちょいと想像してたのと違ったものだから」
想像? なんのこっちゃ?
「あたいはターニャ」
「フミィです!」
差し出されたターニャさんの手は良い匂いがした。だけど短く切られた爪と少しだけ荒れた指先は、まさに主婦のそれだった。私とターニャさんはきゅっと握手を交わして微笑んだ。
なんとなく、ターニャさんとは馬が合うんじゃないかと、そう思えた。
「それにしたってバーガンさんが既婚者とは知りませんでした。こーんな綺麗な奥さんがいるなんて隅に置けないなぁ」
「ん、まだ入籍して一週間だかんな」
えっ!!
「超新婚ほやほやじゃないですか!? やだやだ、それならお祝いさせて下さいよ!」
バーガンさんにはすっごくお世話になってる。
グリゼダム将軍の時も、エルビオンの誘拐事件の時もまたしかりだ。そのバーガンさんが結婚とあっちゃ、お祝いさせてもらうっきゃない。
「私、ご馳走作りますから招待させて下さい! お二人ともいつ、都合いいですか!?」
「はっはっ。あたいもバーガンもフミィさんにお呼ばれとあっちゃいつでも、何を置いても押しかけちまうよ」
おお! 予想よりもターニャさんが乗り気だ。
「それなら今からうち来ます!?」
「いいのかい? だったら買い物して行くかい? フミィさんは買い物に来てたんだろう? それならほら、いい荷物持ちがいるから一杯買っちまうといいさ」
ターニャさんが悪戯な笑みでクイッとバーガンさんを指し示す。
なるほど! それならば瓶入り調味料やらの重たい物をぜーんぶ買っていけるじゃん!
「いいですね!」
私とターニャさんは手に手を取って端から買い物を重ねていく。一歩後ろを歩くバーガンさんの手には、私達が進む分だけ新たな買い物が積まれていった。
「あたい、本当はずっとフミィさんに嫉妬してたのさ」
そして帰宅の道すがら、ターニャさんからもたらされた突然の告白は衝撃。
「ええっ!?」
こんなにパーフェクトな素敵美女が私に嫉妬って、一体何がどうしてそんな事に!?
「ははっ! 分かんないって顔だね? 白獣宰相もエルビオンも、皆がフミィさんを愛してやまない。国王陛下やバーガンだってフミィさんには一目も二目も置いてる。そりゃあ嫉妬するなって方が難しい」
ターニャさんの言葉は事実じゃない。
ダルジャンに愛されてるのは、これは本当。エルビオンもまぁ、そういう事なんだろう。
だけど陛下には都合よく使われてるだけだし、バーガンさんも私の事なんてダルジャン家の家政婦くらいの認識だと思う。
それにターニャさんだって新婚ラブラブですよね!?
「ターニャさんが私に嫉妬する余地なんて、これっぽちだってありませんよ!?」
「はははっ! そりゃどうかね。あたい会ってみて分かったよ。フミィさん、あんたの前にはひがみや嫉妬、業を煮やす事、全てが些末だ。あんたの見てる景色はきっと、常人が囚われるしがらみから全部解き放たれた澄んだものなんだろうさ」
カラカラっといい笑顔で言い放たれた台詞には、流石のフミィさんもたじろいだ。
「えぇ!? ちょっと待って!! 流石にそれって買い被りすぎっ! 私の目、濁りまくり! 打算も狡さもありまくりよ! フミィさんは真っ黒けっけなの!」
思わず声を大にしてしまったのは不可抗力だと思う。そもそもダルジャンのところに居候始めたのだって下心だもん。
「プッ!! プハハハハハっ!!」
うんっ!? うおっっ!!
「なんで陛下たちがいるの!?」
どでかい笑い声に視線を遣れば、なんと陛下とシャクラが我が家の塀に凭れ掛かってた。いつからいたの!? ていうか陛下、こんな所でぷらんぷらんしてないで滞りまくってる政務を進めて!
そして陛下、すっぽりシャクラを腕に抱き寄せちゃってどうした?
「真っ黒けっけって、真っ黒けっけってか! ブハハハハハッ!!」
陛下の爆笑は治まらない。なんだなんだ? 陛下は笑い上戸だったのか?
「フミィ、そなたに会いたくてわらわがルードナー陛下に外出を強請ったんじゃ。政務は、すまんがダルジャン殿にしばし肩代わりしてもろうた」
陛下の腕に抱かれたシャクラの眼差しは強く揺るぎない。それは少し前の傲慢さとは似て非なるもの。
「えっと、とりあえず皆さん上がって下さい」
こうして主不在の我が家はお客様で溢れかえった。
自然と女性陣は厨房に昼餐の支度に集まり、男性陣は居間で寛ぐ構図が出来上がった。
「……のうフミィ、わらわは一国の王妃が務まる器であろうか?」
そこでぽつりと、聞こえるか聞こえないかのシャクラの呟きを耳にして、自然と頬が綻んだ。シャクラの会いたいは、この事に関してか。
こうなるだろう事はわかってた。似合いの二人だと思ってた。
お玉片手に俯いたままのシャクラを私はきゅっと抱き締めた。
「シャクラ、器なんてものはそもそも存在しないよ。思う心があれば、その心に正直に進むだけだよ」
バッと上を向いたシャクラの見開いた目が落っこちそう。
もし上手に出来なかったなら、そこから学んでまた進めばいい。
本当は一市民の私に王妃の重責なんて想像もつかない。それは当然、平坦なばかりじゃない険しい道のりなんだろう。
だけど、シャクラになら出来る。失敗もあったけど、そこからシャクラはしなやかに上を向いて立ち上がる。
その姿は凛と匂い立つような品格すらある。
「シャクラ、王妃に関してもそうだけど、シャクラと陛下はお似合いの夫婦になれるよ?」
見開いたシャクラの目に涙が光る。シャクラはくしゃっと顔を歪めて泣き笑いに笑った。
「フミィ、わらわはもう迷わん。後ろは振り向かんのじゃ。わらわはルードナー陛下を愛しておるゆえ、ルードナー陛下の隣は誰にも譲らぬよ」
その笑顔だけはなんだか年相応で、私も少し涙が浮かんだ。シャクラを抱く腕にぐっと力を籠めた。シャクラの未来に祈りを籠めて。
発火晶の価値を知り、ここ最近使い始めた薪焜炉。その火加減を慎重に見ていたら、背中にターニャとシャクラの会話を聞いた。
「なんと!? ターニャはその道のプロフェッショナルじゃったか!」
大っぴらにしたい事ではないが、隠す事でもないからとターニャさんからされた前職のカミングアウト。
「ははっ。望んで就いたわけではないが、お陰で実家の弟妹は飢えずに成人を迎えたさ。それがあたいの誇りさ」
切ない告白が胸を打った。
悲壮感なく、さっぱりときっぷのいいターニャさんの胸の内を覗く事など出来ない。けれど確かに存在するしこり。
シャクラもまた、しっかりとそれを受け止めて真っ直ぐと前を見つめる。陛下とシャクラの治世、より良くアルバンド王国が変わってゆけばいい。
「のぅターニャ?」
少ししんみりとした空気を打ち破ったのはもじもじと挙動不審のシャクラで、シャクラは人差し指と人差し指をつんつんと合わせながらターニャさんを見上げた。
なんだなんだ!? 美少女が頬を赤らめて恥じらう姿の破壊力は相当なものだ。
「こんな事を相談するのは憚られるのじゃが、その、なんじゃ? ルードナー陛下と最後まで出来んかったんじゃ」
!!
目一杯の間を取って、もじもじとしたシャクラからもたらされた桃色の爆弾発言に私は目を剥き、ターニャさんは妖艶に微笑む。
「それで、どうなさった?」
ターニャさんの指がそそそっとシャクラの顎のラインを辿る。同性なのに何故かエロさを感じるのは私の目の錯覚ではないと思う。
「わらわが泣いてしもうたから、ルードナー陛下はそれ以上の事はせんで、頭を撫でて添い寝をしてくれたんじゃが……。その、ルードナー陛下はひどく辛い表情をしておったんじゃ」
ぬおっ! 人様の寝室事情をっっ! ターニャさんとシャクラで繰り広げられる桃色談議に私はどうしたらいい!? 席を外す!? えっ、ターニャさん? どうして私の袖を掴むの?
厨房の中で最も挙動不審なのは間違いなく私だった。
「可愛らしい未来の王妃様、それでは男性がお辛いのも無理はないね」
ターニャさんがそっとシャクラの手を取り、もう片方の手でそっとシャクラの桜色の唇を撫でる。
!! やっぱりターニャさんの手つきがすごく艶めかしいんですけどっ!? 見てるこっちが居た堪れない!
って、ターニャさん? 何故そこで私に流し目を寄こすの!?
そうしてターニャさんは再びシャクラに向き直ると、その耳元で囁いた。
「――」
っっっ!! はっ、破廉恥だぁぁぁ!!
小さな囁きは、しかし私の耳にもしっかり聞こえてしまった!
「くすっ。体が持たない時に、フミィさんも使える手管だよ?」
ひぇぇぇぇぇ!! 私はひとっ言もダルジャンとの寝室事情を漏らしちゃいませんよ!?
私は一言だって、ダルジャンとのあれやこれやに身が持たないだなんて言ってない!
なのにこの的確過ぎるアドバイスは何っ!?
「ふむ、さっそく今晩試してみようぞ。ターニャに相談してよかったぞえ!」
ひぇぇぇぇぇ!! シャクラが、十四歳のシャクラが桃色に熟れた目をしてる!
「クスクスッ。フミィさん、そろそろ料理を運びましょうか?」
!!
見ればいつの間にか多種多様な料理が山と出来上がっていた。
しかもターニャさんは同時進行に洗い物も熟すから流し台もピカピカだ。っていうか、最初より綺麗だし!
ターニャさんのもろもろスキル、凄すぎです!!
これから半月後、公務に無理矢理都合を付けた陛下はシャクラを伴ってテジレーン公国へと発った。私とダルジャンに全ての後処理を押し付けて。
「陛下め」
「フミィ、俺達も無断に一月も蜜月を過ごしてしまったからな」
……ソウデスネ。一月ってのが実に笑えないけど、事実だ。
トントンっと膨大な処理案件の束を整えながら苦笑が漏れる。ダルジャンの言うところの蜜月は幸福な満たされた心と、死にはぐって走馬灯をみた体の二つの局面を持っている。
「それにしたって陛下、やる時はやる男だったね」
テジレーン公国との停戦合意ですら船での移動時間を理由に逃げを打った陛下が、シャクラを正妃に迎える為に奔走した。二週間の船旅を自ら望んで駆けずり回った。
時には婚姻に反対する有力貴族に頭を下げて許しを請うた。
「愛しい者を手にする為には、形振り構ってはいられない。みっともなく追い縋っても、恰好悪く声を上げても、それでも譲れない愛がある」
なにやら重たい言葉だが、嬉しい言葉だ。ダルジャンの朱色の双眸が一途に見つめるのは私で、ダルジャンの言う愛しい者は私。
「ダルジャン、愛はなんだか思ったよりも泥臭いんだね。だからこそ、綺麗なだけじゃない吐露が心を打つんだね。ダルジャン、今から私も本音でぶち当たるよ?」
ダルジャンは穏やかに微笑んで続く私の言葉を待った。
それに私はニンマリと微笑んだ。
「一ヵ月はやり過ぎだからっ!」
ドフッ!
「ぐほっ!!」
いっぱいの愛おしさを滲ませて見上げるダルジャンの腹に怒りの拳をめり込ませた。渾身の力のそれが鍛えたダルジャンの腹筋にも多少なりダメージを与えられたらいい。
愛はそう、体当たりだね。
腹を抱えて悶えるダルジャンを尻目に私は資料を捲り出す。うん、本音でぶち当たるって素晴らしい。
くらばらくわばら。
頑張れよ、陛下。陛下に代わって出来るところはやっておくからさ。
そして陛下は翌年、正式にテジレーン公国の第三皇女シャクラを正妃に迎えた。




