表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/32

◇◇◇








カタ、カタカタカタカタ、タンッ、タンッ。


「佐藤チーフ、明日の打ち合わせの資料です」


「ん。ありがとー」


声の主は一般職の部下、ミホちゃん。ミホちゃんは入社一年目にしちゃ破格に出来た子でOAスキルも問題ないし、常識もある。性格も優しくて昨今じゃ珍しい、大和なでしこってやつだ。


視線はパソコン画面から外さないまま、私は左手を差し出した。


「もぅ、無精ですね」


クスクスと笑いながらも、ミホちゃんは差し出した左手の上にポンと資料を乗せてくれる。


「それじゃ私、お先に失礼します」


「あいよっ、お疲れさん」


カタカタカタ、トンッ、トン。CtrlキーとSキーで上書き保存。


よっしゃ、一区切りっと!


「よいせっ」


バサッと受け取った資料に目を通そうとして、おや? 資料に何かがくっついてる!


「くうぅぅ! なんっつー良く出来た子だぁ!」


資料にはなんと、クリップでチョコレートバーが留められていた。


私はありがたくチョコレートバーに噛り付く。


むほっ! これで終電まで張り切って仕事できちゃう!


カタカタカタ、タン、タンッ。カタカタ……。










***










デッキに続く階段をどかどかと上る豪快な足音に苦笑が漏れる。


久しぶりの陸地に浮かれる気持ちは分からなくもないが、バーガンの巨体で板張りの階段が抜けやしないかと俺は本気で心配だ。


バッターンと、デッキに繋がる扉が乱暴に開け放たれた。


「おい、ダルジャン! やっと船上暮らしともおさらばだぜ! 俺はもう船はごめんだ!」


現れたのは粗削りな美貌に無精ひげをたたえた巨漢。アルバンド王国軍副将軍で、俺の幼馴染でもあるバーガンだ。


「今晩はどうだ? 久々に旨い酒を浴びる程飲んで、甘やかなシルフに慰めてもらえるってなもんだろう?」


大股に歩み寄ると、バーガンはその剛腕で遠慮なく俺をどついた。


「バーガン、お前は気が早い。俺はまず陛下に停戦の報告に、お前だって軍幹部へ報告に行かねばならんだろう?」


バーガンはあからさまに苦い顔をしてみせるが、こればかりは仕方ない。俺はアルバンド王国宰相として、バーガンはアルバンド王国軍副将軍としての責務がある。


「けっ、テンション下がる事言いやがるぜ」


けれど海上で行き帰り合わせて二週間も船に揺られれば、久々の陸地に浮かれる気持ちも解らなくはない。航海中のここは豊かな海洋資源に恵まれる西海。ここに蹄鉄のようにU字型に張り出した地形があり、我がアルバンド王国はそのU字の一端を有する。そしてもう一端をテジレーン公国が有し、二国は接する陸でも対岸する海でも長く睨み合いを続けていた。


だが、そんな長年の睨み合いも、これで一旦の区切りとなるだろう。俺はテジレーン公国での停戦合意を終え、海路帰国の途についていた。


「しゃーねぇ、面倒事はさっさと済ませちまうに限る。しかし報告さえ終えればシルフに会いに行こうが、後は俺の自由だろ?」


グリゼダム将軍を筆頭にバーガンの相手にする軍の古狸どもを想像すれば、確かに楽しいものではない。


「けれどバーガン、甘やかなシルフに翌朝身ぐるみ剥がされないようにな」


俺は肩を落とすバーガンの腕をトンと叩いた。


これは過去の実話。ふと思い出した俺は真剣に注意喚起を促した。


「っちゃ~。そんな何年も前の話をよくもまぁ覚えてやがる」


俺の忠告にひとつ肩を竦めてバーガンはおどけた調子で頭を抱えてみせた。


バーガンの恵まれた体格と男らしい顔立ちならば、商売女でなくとも引く手数多だ。だが、後腐れの無い関係を望むバーガンの相手は専ら商売女や男遊びに長けた未亡人ばかりだ。


割り切った関係はなんとなく、バーガンの誠実さを現しているようで好ましい。


「俺は寝台でゆっくりと休むさ。もちろん一人で、だ」


「っちゃ~、宰相閣下は相変わらずの堅物でらっしゃるぜ」


バーガンはお手上げだとばかりに上げた両手をひらひらと振って見せた。


ガーガンの物言いに一切の含みは無い。俺の容姿を十分過ぎる程知るくせに、バーガンはそこを一切考慮しない。


バーガンは肩を竦めてみせたがそれ以上は言を重ねず、またどかどかとデッキを後にした。その背中を見るともなしに眺めながら、出会った頃から変わらない我が幼馴染に小さく笑みが零れた。


視線を抜けるような青空に向ける。キラキラと輝く陽光に目を眇め、海風を胸一杯に吸い込んで、ふぅっと大きく吐き出した。


積年の憂いも呼気と共に宙に霧散してしまえばいい。


「……バーガン、俺はもう怯えて泣かれるのも、恐怖に引きつった悲鳴を上げられるのもごめんなんだ」


若かりし頃はそれでも誘われるまま、娼館の門を潜った事もあった。若い女は皆、異形の俺を前に裸足で逃げ出した。古参の娼婦の幾人かとは事に及んだが、温度の無い交わりは事後に虚しさばかりを残した。


誰が見ている訳でもない。それに、この船には俺の腹心ばかりだ。今更取り繕う必要もあるまい。


目深に被ったフードをはらりと解けば零れ出た白髪が宙を舞い、血濡れの紅い瞳がはるか遠くアルバンド王国の大地を捉える。


実母にすら忌諱された俺の異形。アルバンド国民にはあり得ない白い肌と白い髪、何より血を映す赤い瞳の俺は果たして本当に人間なのだろうか。


昔語りに語られる魔物の特徴と俺は瓜二つ。いつか俺は理性も知性もない魔物になり果ててしまうのだろうか。


……馬鹿らしい。俺は、俺だ。


非現実的過ぎる考えを自嘲気味に笑って振り払う。


しかし俺に女はいらん。俺という存在で不幸に泣き濡れた母。不幸な女は母一人で十分だ。






俺はサルドーレ侯爵家の長子に生まれた。王家とも縁続き、父は王の覚えも目出度かった。


そんな侯爵家の不幸は俺という異形の息子を得た事に違いない。


もともと気の弱い人だったのだろう、母は異形の我が子に気がふれ、俺が長じても視線ひとつ合わせる事は無かった。そして俺が十になる前、母は儚くなった。


俺の知る母はいつも泣いていた。


「わたくしの坊やは何処にいってしまったの?」


口癖のようにそればかりを繰り返し、いつも焦点を結ばない母の藍色の瞳。父侯爵の瞳もまた深い紺色をしていた。


母が求める青い瞳とアルバンド王国の民が総じて持つ蜂蜜色の肌、濃い色の髪を持って生まれていたら、いや、そもそも俺さえ生まれていなければと何度思い悩んだ事だろう。


しかし、サルドーレ侯爵家の唯一の嫡子は俺であり、俺の白すぎる肌に白髪、紅い瞳も変えようの無い現実。


俺はいつの頃からか、見ない事、感じない事を覚えた。




そう言えば、父は俺の容姿をどう思っていたのだろう。


確かに母は正気を失う程に俺と言う存在を厭った。では、父は……?


浮かんだ疑問に答えはなく、答えを導くには父との縁は薄すぎる。


そもそも、不在が多かった父とはあまり交流がなかった。母が存命の頃はまだ、深夜でも一応の帰宅はしていたが、母を亡くしてからは王城に与えられた自室を根城として殆ど屋敷に帰って来なかった。ただ、父から邪険にされただとか、そんな記憶はない。そろそろ役目も引退だろう高齢の父とは未だ年に数度、王城で顔を合わせる程度だ。


そんな家庭環境だったから、俺は入所資格を得る十歳を迎えると同時に士官学校に入った。


その士官学校でバーガンや、他の多くの仲間を得た。多くの仲間、尊敬できる師に恵まれて俺はめきめきと頭角を現した。侯爵家に見出せなかった居場所を俺は士官学校で得たと言えるだろう。


気付けばあれよあれよという間に宰相の地位にまで登り詰めているのだから、世の中は分からないものだ。


ふと頭を過る出発前の陛下の言葉。


「ダルジャン、お前は自分を過小評価しすぎるぞ。今回のテジレーン公国との戦争回避は明らかにお前の功績だろう? テジレーン公国との停戦調停も全てお前に任せる。俺か? 俺は船に二週間も缶詰なんてごめんだ」


どうやら陛下からの信頼も十二分のようで、海洋資源を巡って長年に渡り睨み合いが続いていた対岸のテジレーン公国との大事な調停までもを任せて下さる。


全く有難くって涙が出るさ。




俺はもう一度どこまでも青く透き通る空に視線を遣った。


不思議と今日の空は心が騒ぐ。


ブォォォォォォ、ブォォォォォォ!


アルバンド王国の港はもう目前だ。入港を報せる汽笛の音が高らかに鳴り響いた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ