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☆想い人に再会を果たした副将軍の考察☆




まったくダルジャンは人使いが荒いぜ。グリゼダム将軍の逮捕劇で副将軍の俺にはそりゃぁもう皺寄せが酷い。ここ数日は寝る間もない程忙しい。


しかしまぁ、ダルジャンとこの娘が誘拐されたと聞かされりゃ穏やかじゃおれないし、話が裏社会の頭領エルビオン絡みと聞けば軍部としても捨て置けない。


ひとまず俺も通報者の女とやらから話を聞いてみるか。


ダルジャンに指定された宰相執務室の扉をノックと同時に開ける。扉に背中を向け、女は窓辺に立っていた。


!!


開けた瞬間、心臓が止まるかと思った。体の底から震えがきた。


あぁ! ああ!! 間違いない、俺が間違えるわけがない!!


後ろ姿の亜麻色の髪を見ただけで知れる!


……ターニャだ!! ……来訪者を確認せんと、ゆっくりとターニャが振り返る。


振り向いて俺を目にすれば、ターニャは落っこちそうなくらいに目を見開いて固まった。


「! ……バーガン」


「よっ。長年の馴染に挨拶の一つも無しで雲隠れとは冷たいんじゃねーか?」


何とか平静を装って紡いだ言葉。動揺をひた隠して、わざと軽い調子を装った。


俺を見上げる藍の瞳は見る間に涙に滲み、ひとつ瞬きすればほろほろと雫になって頬を伝う。


「バーガン……」


ターニャはその場に立ち尽くし、零れる涙で床を濡らした。震える手を口元にあて、必死で嗚咽を堪えていた。


口元に添えられたターニャの指先がガサガサに荒れているのに気付く。


娼館でのターニャは身ぎれいに装って、整えられた指と爪をしていた。身の回りの事は全て禿が行って、水仕事のひとつだってしていなかった。


そしてそれがターニャの仕事でもあった。


俺は大きく一歩、二歩と歩を進める。四歩目でターニャの前に行き着いて、五歩目でその距離をゼロにした。


「なぁターニャ、最後の夜の求婚は冗談でもなんでもない」


抱き寄せたターニャの細い肩が震えている。


なぁターニャ、その涙の意味はなんだ? 後から後から溢れて尽きない涙の、その意味は?


「俺はまだ、振られてやらねーぞ?」


「……バーガン」


俺だって気ままな独り身だ、女遊びは多くしてきた。


だけど、その度に結婚を匂わせて口説くほど俺は落ちちゃいない。


それにこれは口が裂けたって言わないが、お前との最後の夜が明けてから俺は一度だって他の女を抱いちゃいない。


不思議なもんでさターニャ、お前以外の女に勃たないんだから笑っちまうよなぁ。


「お前の恋はもう五年の時が昇華させたろ? 今すぐじゃなくてもいいが、そうだな……これから先の残りの人生五十年で俺と愛を育んでみるのはどうだ?」


来るもの拒まず、去る者追わず。これまでの俺を思えば、今の発言は我ながらどうかしている。だけど、悪戯に愛を囁いてきたこれまでの俺なんかより余程いいじゃないか。


「……あたい、若くない」


やっと聞き取れるかどうかのターニャの声は震えていた。


「バーカ、同い年だろ」


ターニャを抱く手に力を籠めた。その震えを少しでも止められるように。


「……あたい、娼婦だった! ……あたいは汚れきってるよ!!」


畳みかけるように叫んだターニャの最後の言葉はまるで慟哭みたいだった。


俺は泣き崩れるターニャの肩をぐっと掴んで、涙濡れのターニャとしっかりと視線を合わせる。


「それは違げーぞ。……なぁターニャ、異国の噺に幾代餅ってのがある。ま、一言で言うと最愛の女も商売の成功も手に入れた男の噺さ」


唐突な話にターニャは少しぽかんとして、そして僅かに笑みをのぞかせた。


「その女は娼婦だったのかい?」


「ああ。だが、男は後に妻となった女を天女と称している。俺も同じだ、俺にとってもターニャは天女だ。清らかで美しいと、そう思う」


照れはあるが、言葉できちんと伝えなければ、想いは伝わらない。臆病に二の足を踏むターニャの背中を押すには、明確に俺の想いを示さなきゃ駄目なんだろう。


「ターニャ、俺はお前を愛してる」


「っ!」


ビクンとターニャの肩が震える。


俺は今度こそターニャを離さないと、そう決めたんだ。


「……バーガン、殿上人をその手に得たのはあたいの方さ?」


「うん?」


殿上人とはなんだ? しかし顔を上げたターニャは微笑むばかりだ。


「あたいは長生きするからさ、この先の五十年だって六十年だって目一杯あんただけを愛するさ! この先あたいの男はあんただけだ!!」


叫ぶようにターニャが俺の胸に飛び込んだ。俺はターニャを掻き抱いてこの幸福の温度に酔いしれた。




「田舎からぽっと出のあたいがさ、悪い奴らの餌食にならずにここまで勤められたのはエルビオン様のお陰なんだ。本当は恩人を売るような事はしたくなかったよ」


俺の腕の中、俯いて呟く背中が震えていた。ターニャの胸に渦巻く葛藤は推し量る事などできない。


そして正面から褒められた物ではないが、事実、国の治安回復に奴の功績は無視できない。


「ターニャ、ダルジャンはその辺の事情もよく心得ている。捕縛すれば当然、誘拐の罪で裁くだろう。しかし裏社会での奴の事情は酌量をし、決して悪いようにはしないだろう」


「……バーガン」


そして俺がさせない。俺の僅かばかりの職務特権を活かしたとしても、ターニャの心にしこりを残すような終わり方はさせない。








◇◇◇








「待たせたな、迎えに来た」


出会い頭にこの台詞。


私はちょっと頭のおかしい御仁に行きあってしまったらしい。


「……見なかった事にしよう」


熱で倒れた後のダルジャンは以前にも増して過保護だ。そうして巧い事言いくるめられた私は、陛下の雑用係の日数を一日減らす事になった。


そして今日はその休みに当たった訳で、ダルジャンの好物でも作るべく市場に買い出しに出て来たらコレだ。


「はははははっ! お前、相変わらずいい性格をしているな」


目の前で破顔する男の頭のてっぺんからつま先まで眺めて首を捻った。爽やかな好青年と言っていいだろうこの男、しかし私の記憶にはない。


でも、相変わらずって言ったしな?


「……どっかで会ってます?」


私の言葉にニヤリと嫌な笑みを浮かべる男。なんだろう? 今一瞬ぞわぞわーっと嫌ぁな予感がした。


「ははっ! 会ったどころか俺達は共に下水どっっ!」


思わずドフッと男の腹に拳が出てしまったのは仕方ない。あれは私にとって封印したい過去。それをほじくり返そうとする男、……エルビオンは腹を抱えて悶絶してる。


「……よっわー」


「っ! 弱い訳があるか! 普通、女が腹に拳を叩き込むとは思わないだろう!? っとに、規格外の女だぜ」


腹を抱えたエルビオンは、しかし何故か嬉しそうだ。


……それにしても、誘拐事件の時とエルビオンの印象が随分と違う。ビジネスシーンで人の顔と名前を一回で合致させておくのは当たり前の必要スキルだ。


当然私もそれを兼ね備えていた筈だった。ジッとエルビオンの顔を見れば、目鼻立ちや髪や瞳の色は確かに同じなのに、与える印象がえらくちぐはぐ。


なんというか、随分と肩の力が抜けた印象。なにより今、目の前で対峙するエルビオンは声を上げてよく笑う。


「……千変万化?」


「ん? あぁ、俺の見た目か? ま、こういう商売してっと印象操作は自然と身に付くスキルだな」


エルビオンはサラリと言ってのける。どうやら私のビジネススキルも盤石ではなかったらしい。ともあれ、


「私、そういうご商売の方とはお近づきになりたくないんで、んじゃ」


逃げるが勝ち。そんな言葉もあったよな。


くるりとエルビオンに背中を向けた。


すたすたすたすた。


もう、買い物とかいいし。ひとまず家に逃げ帰ろう、うん、そうしよう。足早に来た道を取って返す。


「足、洗ったぞ!」


わっ!


後ろからエルビオンに腕を取られて、足が止まる。


足音のひとつも無かった。腕を引かれるものだから、仕方なく振り返れば間近に私を見下ろす琥珀色の瞳があった。


「だから、俺の嫁になれよ? 王家の姫から町の娘たちまで色んな女を見てきたが、お前のような女には出会った事がない。お前は得難い女だ」


けぶる琥珀はその中に私の呆け顔を映す。面白い事を言う男だ。


「ふふっ。やなこった」


アホ言っちゃあいけない。フミィさんは誰の嫁にもならんのよ?


「はっ、はははははっ! ……そういう事なら仕方ない」


「グッッ!」


仕方ない、の台詞とエルビオンの行動は合致していないと思う。エルビオンは米俵を担ぐみたいに私を肩に引っ掛けると悠然と歩き出す。


「エッ!? ちょっ!? ヤダからっ!! 降ろしてっ!!」


バタバタと手足を暴れさせる私にエルビオンは物ともしない。


「助けてっ! 誰か助けてっ!!」


「おおっと、街の衆、勘違いしないでくれや。ウチの嫁がちょいとばかり機嫌損ねちまってな。こりゃあ、夫婦の問題で手出しは無用だ~」


なっ!?


だったらと周囲の買い物客らに訴えるのに、エルビオンの一言で全て水の泡。皆が皆、ニヤニヤとこちらを窺うばかりで誰一人この白昼堂々の誘拐劇に手を差し出す者はいない。


「あんだよ、紛らわしい夫婦喧嘩してんじゃねーぜ」


「よっ! 色男の兄ちゃん、うまくやんだぜっ」


「姉ちゃんも、旦那の浮気のひとつやふたつ目ぇ瞑ってやんな! 男の甲斐性ってなもんさ!」


エルビオンの嘘言に上がるのは有難くもない頓珍漢な発言ばかり。


「違っ! グェっ」


更に言い募ろうとしたら、エルビオンがわざと私を抱え直す。エルビオンの肩がお腹にめり込み、苦しさから呻き声しか漏らせなくなった。




エルビオンはやんややんやの街人を上手く躱すと、途中市場に続く大通りから裏道へスルリと身を滑り込ませた。


大通りから通りを一本入っただけで、周囲の印象はガラリと変わる。整備された道路は剥き出しの土の道に変わり、ガラス窓の嵌まらない石組みだけの建物も多く見られた。


エルビオンはそのまま細い通りを進み、一件の宿屋の前で足を止めた。


慣れた様子で暖簾をくぐり、宿番の老爺と一言二言交わすと二階へと階段を上る。


エルビオンが階段を一段、また一段と上がる毎に肩がお腹に食いこんで、苦しくて涙が滲む。しかも腹立たしい事に、エルビオンはわざと衝撃を殺さずに、私にダメージを与えている節がある。


うぅ、許せん……ぐぇ。


エルビオンが一番奥の客間の前で立ち止まる。


ギィィィ。


私を抱えたまま、軋む扉を押し開く。


ギィィィ、バタン。


「よっと」


「ちょっと!! 一体どういうつもりよ!?」


エルビオンが扉を閉め、床に下ろすや、私はエルビオンの腕に掴みかかって問い質す。


明確な意思で連れ去られているこの事態は、きっと想像以上にひっ迫している。


「はははっ! まぁ座れや。お前は賢い女だ。腕力で俺に敵わないのはよーく分かっているだろう?」


エルビオンは慇懃に一脚だけ置かれた木椅子を指し示す。自分は窓枠に寄りかかり、まるで圧倒的な力差の獲物を狙う捕食者みたいに余裕綽綽に私を見下ろしている。


癪だけどエルビオンの言はもっともで、私は示された木椅子に腰を下ろす。


「どういうつもりか? それは先にも言った通りだ。俺はお前を嫁にする」


っ! 怒りにまかせ咄嗟に反論をしかけたけれど、何とかなけなしの理性で踏みとどまった。


……冷静になれ。


「結婚は双方向の同意がなければ成り立たないでしょ?」


これは建て前。アルバンド王国の法律上の明記はそうだけど、やはり男尊女卑の思考は根強い。これはシャクラにも言った事だけど、家の都合や男性に望まれてで嫁ぐパターンが圧倒的だ。


しかも最悪な事に、離婚という概念はない。神によって認められた夫婦はそれこそ死が二人を分かつまで、だ。


「ならば、双方の同意があればいいだろう?」


「はぁ!? ちょっとアンタ!」


もう嫌だ。エルビオンと話しているとテンポが崩れる。


「まぁそう肩いきり立たせて喚くなよ。それに言ったろう? 俺はアンタじゃない、エルビオンだ。存外物覚えが悪いな、なぁフミィ?」


ハア!? 物覚えが悪いだと!? 


フミィさんに向かってよくもそんな暴言が吐けたもんだ。自慢じゃないけど私、記憶力にはちょっと自信がある。円周率なら300桁を空で言える。


イラッとして睨みつけてやれば、エルビオンは何故か破顔した。


「はははははっ! 俺はお前のそういう顔も嫌いじゃないぞ。だからお前は見ていて飽きん、なぁフミィ?」


エルビオンは射殺すような私の強い視線にも、笑みを深くするばかり。


……もう嫌だ、コイツとは話が通じる気がしない。


「これから俺達はトルデーダに向かう。俺の故郷のトルデーダは王都の華やかさは無いがないが一族の皆は穏やかで情に厚い奴らばかりだ」


トルデーダ? アルバンド王国北東、トルデーダ地方の枯れた土地は作物が育ちにくく農業に向かない。だからトルデーダの山岳部族は放牧とほそぼそとした鉱物資源の採掘と傭兵業で身を立てていた。


「しかも最近はずっと粘っていた鉱山の探査し直しが当たった所で、実入りもデカイぞ。嫁に来るにはこれ以上ない、いいタイミングだ」


しかしエルビオンの言う通り、三年程前新たに金の鉱床が見つかって一気に潤っているはずだ。今、王宮にあっても割かし注目の地域だ。


「私、行きたくない」


だからって私が嫁いで行くとなれば話は別だ。


「はははははっ! だが、俺は連れて行きたいし、連れて行く。たとえ手足を拘束してでも、な」


恐ろしい事をサラリと言ってのけるこの男が末恐ろしい。


ダルジャン、私はこの窮地をどうやって乗り越えればいい? 多少反抗しようとエルビオンが私を傷つけるとは思わない。けれど、この男は本気で手足を縛ってきそうだ。


「……馬、乗れないかんね」


「おっ! 安心しろ、俺は山岳民族の出だ。でっかい荷物を積んでの乗馬とて朝飯前だ」


でっかい荷物ときたか!


「そりゃあ、安心だわ。ケッ」


「はははははっ!」


腹を括った。これは助けを待つべきだ。


エルビオンはこの道のプロで、悔しいけれど力の差は歴然。私にはきっとエルビオンを出し抜く事は出来ない。無理をして状況を今より悪くするのは得策じゃない。


おかんむりの私を見下ろして、何故かエルビオンはそれはそれは楽しそうに笑っていた。




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