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「今思えば戦々恐々、腫れ物に触るようにわらわに接する侍女達の中でアルマだけがわらわを気遣うような優しさを向けてくれていたんじゃ。愚かにもわらわは、それに気づくことが出来なんだ」


私は腕の中に幼い友人を抱き寄せて、ぽんぽんとその背を撫でる。


「なに言ってんの。それも昔の話。人は変われるよ? それで気付いて変わったなら、それは立派な事」


私はシャクラの友達だからね、どうしたってシャクラ贔屓だよ。でもいいじゃん、育った環境や境遇で幼少時の人格形成はされちゃうけど、そこから先、自分の足で立った時こそがその人の真骨頂。


「変わる事が許容されない社会じゃ、先細る一方だよ。どう赦すか、許容していくか、それが社会全体の課題でありたいよ」


「のうフミィ、其方の言葉は時に常人にはとても難しい。じゃが、その言葉が常に救いを与えてくれる」


腕の中のシャクラが泣き濡れた瞳で、しかし凛と前を見据えた。


「わらわの行ってきた結果がこれじゃ、言い訳など出来ぬ。わらわは国でどれだけの怒りと侮蔑を向けられているかしれぬ。じゃがフミィ、わらわは変わる。変わりたいのじゃ!」


私は腕の中の友人をぎゅっと抱き締めた。


「うん、うん! シャクラはもう、立派に新しく生まれ変わってる!」


あーあ、14歳ってまだまだ子供でいたっていい年齢だって私は思うんだけどな。シャクラはぐんぐんと大人の階段を駆け上る。


私はシャクラの倍を生きてるわけで、自堕落な生活に気を引き締める思いだった。ごめんよダルジャン、最近の私ってばてんでダメダメじゃん!








「ん? どうしたんだフミィ、今日はご馳走だな」


ダルジャンの声が心なしか弾んでいる。えぇえぇ、最近は陛下の雑用係を理由に随分と家事労働をおざなりにしていたもんね。


でもね、現代社会を闊歩していたアラサー独女はどうしたって家事より仕事。ついついその比重を誤っちゃうんだ。


思い返せばそもそも私の居候条件って家事しますって事だったじゃん。


「最近手を抜いてた自覚はあるの。部屋の掃除もちっともしてなかった。そこにちょっと思い至っただけ」


私は最後の一品、今まさにオーブンから取り出したばかりのグラタンをダルジャンの前に置く。


ダルジャンは私が空いた手を引っ込める前、私の手首をグイッと掴んだ。


「フミィ? 俺はフミィがたとえ家事の一切をしなくたっていいんだ。ただ、いてくれればいい」


ダルジャンの深い赤が私を射抜く。


「やだダルジャン、そんな甘い事いってるとなまぐさフミィがつけ込むよ?」


軽口でふわりとかわして、私は炊事場に逃げ込んだ。


「よかった、私のグラタンがまだオーブンで……」


いまだ、ダルジャンへの気持ちに決着をつける勇気はない。勇気? いや、狡い私はそもそもこの関係を変える気がないんだ。


恋は不確か過ぎて、そしてそれに溺れる度胸が私にはない。








☆異世界トリップを体験したフミィの過去☆




「康太が言ってた。佐藤さんとのエッチ、まるでつまんないって。高ビーもほどほどにしないと飽きられちゃいますよ?」


やめてよ! なんでアンタにそんな事を言われなきゃならないの!?


「佳奈は違いますよ? ちゃーんと康太を良くしてあげてるもん」


くすくすと女の笑い声が頭を侵す。悪意でもって黒く塗りつぶされる私のちっぽけな尊厳。


「だからほら、康太との愛の結晶」


なんで? 康太はこの女にそんな事まで話して聞かせたっていうの? 極めてプライベートな寝室での事情を? それとも、目の前の女が勝手に言っているだけ?


目の前の女は未だ膨らみの無い薄い腹をうっそりした笑みを浮かべて擦る。しかしその笑みは私の目に、ひどくいびつに見えた。






「お前さー、もう少しなんとかなんねーの?」


康太は事が済めば、直ぐに私から退いて背中を向けた。


……もう少しってなに? なんとかって?


脳裏に浮かんだ言葉は、しかしグッと呑み込んだ。

そうして重たい体でのそのそと起き上がり、寝台下に放りやられた衣服に手を伸ばす。


「不感症なんじゃね? ま、いいけどさ」


そんな私の姿をチラリと横目に見て、康太は吐き捨てるように言った。




惨めだった。私にとって男は学生時代から6年付き合った康太だけ。康太は私と付き合う前にも数人のガールフレンドがいて女性経験も同年代よりは多かったと思う。


私も付き合いの比較的早い段階で体を求められた。付き合っている以上断る理由もなく、流されるまま康太の部屋で処女を散らした。


「芙美は初めて?」


康太は慣れずに固まるばかりの私に優しく笑った。


「可愛いな」


そう言ってくれた康太はしかし回数を重ねる毎に段々とそっけなく、私の中でもセックスは単なる交接に成り代わっていった。


「そのうちに慣れるよ。慣れればよくなるよ」


そんな康太の慰めの言葉すら無くなって、久しい。ではセックス自体が無くなるかと言えばそうでもない、会えば無機質に体を重ねる事はもう義務みたいなもの。


そして僅かにあった事前と事後のハグやキスも省略されれば、それはもう単なる性欲処理。


けれど男性との付き合いはきっとそういうもの、そう思っていた。






あぁ、頭が重い。久しぶりに嫌な夢を見たせいだ。


ベッドから身を起こす。けれど体はもっさりと重たい。


「いかんいかん、朝ご飯を作ろう」


家事もちゃんと手を抜かないって決めたばっかり。ここで三日坊主になるわけにはいかない。


けれど、あれれ??


何とか立ち上がったはいいけれど、視界がぐにゃんぐにゃんに歪む。立ち上がったのに、立っていられない?


ガッシャーンッ!!




「フミィ!!??」








***








俺の朝は早い。日が昇りきる前には起き出して、庭先で剣を振るう。これはもう、長年の習慣みたいなものだ。


そして一汗かいた後に、持ち帰った書類仕事をガシガシ済ませる。これが今となってはかなり重要だ。ここでガッツリ仕事を進めて、帰りはフミィと一緒の定刻帰宅。これに尽きる。


今朝もそんな風に居間のソファで懸案書を読み進めていれば、フミィの自室から何か倒れるような音がした。


「フミィ!!??」


俺はもう、飛ぶ勢いでフミィの部屋に向かった。放った懸案書はバラバラと宙に舞った。








フミィは頭をベッドに凭れるようにして倒れていた。その足元にはサイドテーブルから落ちた水差しとグラスの破片が散っている。


フミィが倒れた時に腕かなにかが当たったんだろう。


卒倒したフミィがテーブルや床に頭を打ち付けていたらと思えば血の気が引いた。フミィは起き掛けに倒れたんだろう。それが幸いし、フミィの頭はベッドに突っ伏していた。どうやらフミィに怪我はなさそうだった。


俺はフミィの体をそっとベッドの上に持ち上げて横にする。


「熱い!」


その触れたフミィの体がえらく熱い。


なんで気付いてやれなかった!? この高熱なら昨晩からその兆候があったんじゃないか!?


己の不甲斐なさを内心で激しく罵った。






慣れない暮らしにもフミィがあまりにも自然体でいるものだから、俺はついつい忘れていたんだ。フミィが常識も習慣も違う地からひとり、この世界に適応しようと必死だろう事を。


「なーに、ほんの知恵熱のようなもんだ。お嬢ちゃんは若いんだ、体力もある。水分と栄養摂らして寝かしときゃ、すぐに良くなる」


往診を頼んだ老医師はニヤリと笑った。


「それにしたって宰相閣下、あんたのあんな慌てた様子は初めて見たわい。いやぁ長生きすると面白いもんが見られるもんだ」


カッカッカと上がる老医師の高い笑い声に、フミィを起こしてしまわないかと俺はハラハラとした思いだ。


「ドクタール、朝の早い時分にすまなかった」


ドクタールは宮廷医師だった男で面識も深い。今は引退して俺の屋敷からもほど近い場所に暮らしている。妻と二人暮らしで診療所の看板は掲げていないが、それでも口伝の患者が後を絶たない。


「なーに、お前さんに頼られるなんぞ嬉しい話だ。もしなにかあれば訪ねてくれ。お、そうだそうだ。これは薬だ、服用は毎食後だ」


朝の診療前の忙しい時間だ。ドクタールは慌ただしく自宅兼診療所に取って返した。


ドクタールが帰れば、静かな寝室にはフミィの常よりも荒い息遣いが響く。俺はフミィの表情が窺える距離にそっと椅子を引いた。


フミィはとても綺麗だ。艶やかに流れる黒髪と吸い込まれそうな深い黒の瞳はもちろん綺麗だ。けれど、俺が言いたいのはそんな見た目の美しさじゃない。その心が綺麗で眩しく、何者をも惹きつけてやまない。


俺はもう、とっくにフミィに魅せられている。


「フミィ?」


ぼんやりと見つめていたフミィの表情が苦しげに歪む。俺はそっと椅子を立ってフミィの枕辺に寄る。


フミィの額は氷嚢を載せて冷やしている。氷嚢の氷はいまだ溶けてはいないから、きちんとその冷感をフミィに伝えているはずだ。


フミィの白い頬が熱によって常よりも赤く色づく。そっと手の甲で触れれば俺の体温より余程高く火照っていた。


「ん、んんっ」


フミィが俺の手を巻き込むようにして、コテンと寝返りを打つ。そうすれば額に載せた氷嚢はぽてんと枕に落ちる。


俺が落ちた氷嚢にもう片方の手を伸ばした時、ちょうど頬の下に挟み込む形になっていた俺の手をフミィの両手がきゅっと握り込んだ。


すりすりと頬ずりするように握った手を遊ばせるフミィは無意識だろうに、僅かに笑んだ顔をして見せる。俺はフミィの無意識の媚態に体がカッと熱を持つのを感じた。


いや、フミィにとってはそもそも媚態なんかでなく、ただ己より低く心地いい人肌に身を寄せているだけ。


分かっていても、期待せずにはいられない。いつか、いつか、フミィが俺の腕の中でこの表情を見せてくれれば……。


いや、俺には過ぎた願いか……。




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