13
☆最近はすっかりフミィに転がされてる陛下の考察☆
「ゲ、第三皇女?」
「わらわはただのシャクラじゃ。第三皇女? そんな者は知らんぞえ?」
って、おいおいおい。
ジトリと恨みがましく視線を遣るがフミィはヒョイと肩を竦めてみせるばかり。
自称ただのシャクラ、そしてその実体はテジレーン公国の第三皇女。この娘を俺の所に連れてきて一体どうするつもりだ。
万が一に対面する事になったら、サッサと自国にお帰り願おうと口裏合わせをしておいただろうが。
「まぁまぁまぁ。陛下、コチラ、昨日友人になったシャクラ。あ、身元は私が保証するし」
身元を保証ってなんだ? 身元を保証って?
第三皇女だろうよ!
「ルードナー陛下、わらわを雇ってたもれ」
一歩前に踏み出した皇女。じっと俺の瞳を見上げた皇女の突拍子もない言に俺は落胆した。
甘やかされてかしずかれてきたお姫様に何が出来ようと言うのか。フミィが連れて来たからこそ、何事かと一応耳を傾けてやったが無駄だった。
「ルードナー陛下、わらわにフミィ程の才覚が無いのは分かっておる。わらわにはフミィが行っておる雑用係などとても出来ん。じゃが、掃除は出来ると思うのじゃ。いや、最初は出来ぬかもしれんが、わらわは覚える。やる気はあるんじゃ!」
俺が切り捨てるより早く、皇女は床に膝を付いて俺に頭を下げた。
「って、待て待て待て! 土下座とかマジでやめてくれ!」
ぎょっとして、慌てて皇女の腕を取って立ち上がらせる。俺の国ではとんと見かけないが、テジレーン公国で土下座は極めて尊崇高貴な対象に恭儉の意を示すのに稀にされると聞く。
それを俺にやっちゃ、マズいだろう!?
「いいや、わらわはわらわの本気を受け入れてもらえるまで頭を上げる事など出来ぬのじゃ」
って、オイっ!
まさかの皇女の引かない宣言。それは俺が折れるしかないという脅しか? 腕の中の皇女は真っ直ぐな瞳で俺を射抜く。そして僅かにでも俺が腕を緩めようものなら再び床に頭を擦り付けようとしている。
「はぁ~」
俺は聞こえよがしに盛大な溜息をひとつ吐いて、皇女の肩をポンっと叩く。
「わかったよ。シャクラ、だっけか? 本当に掃除婦の扱いでいいんだな? それなら住み込みで雇ってやれなくもない」
「そ、それでよいのじゃっ!!」
ぱぁっと瞳を明るくするシャクラ。掃除婦を言い渡されたというのに、シャクラは花が綻ぶみたいに笑った。
「よかったね、シャクラ。何事も経験よ、しっかりね!」
「フミィ、ほんにありがとうっ!」
とんだ面倒事を抱える羽目になってしまった。
チラリと見遣ればシャクラはフミィと二人、手に手を取って喜び合っている。
ふむ、……まぁ悪くない。
俺は一気に賑やかさを増した執務室で知らず口角を上げていた。
☆かつての世間知らずのお姫様の考察☆
丁寧にバケツで雑巾をすすぐ。バケツの水は段々と濁りを増し、土色に染まる。一方、雑巾の土汚れは水に落ちて白さが戻る。
「こんなものかのぉ?」
わらわは硬く雑巾の水を絞った。
「ッツ!」
ビチャン!
ピリッとした痛みにせっかく絞った雑巾を再びバケツに沈めてしまった。
見れば指先はどこもかしこもひび割れてあかぎれになっている。先程痛んだ箇所は殊更深く、血が滲んでいた。
わらわは敢えて見ない振りをして、血の滲む指先を再びバケツに浸そうと伸ばす。
「シャクラ、見せてみろ」
!?
指をバケツに浸す直前、後ろから袖を捲り上げた腕を取られた。
「ルードナー陛下!」
振り向けば、何故か眉間に皺を寄せたルードナー陛下がわらわを見下ろしていた。
どうしたんじゃろうか。ルードナー陛下はこの時間はいつも近衛の早朝訓練に参加しておったのではなかったか?
ルードナー陛下はポカンと見上げるわらわの腕を無言のまま引っぱった。
「ちょっ、わらわはまだ掃除の途中じゃ!」
わらわは足をググッと踏ん張って断固拒否じゃ。わらわはこの仕事を失う訳にいかんのじゃ。
「俺が女官長に言っておく。だから今はついて来い」
「わっ!」
ルードナー陛下はヒョイっとわらわを片腕に抱き上げてしまった。わらわの足は宙を仰ぎ、こうなってしまえばルードナー陛下に身を任せるしかない。
大股に歩を進めるルードナー陛下は自身の政務室の扉を乱暴に開け放つと、わらわを来客用のソファにドサリと投げ出した。
「わっ!」
なんじゃなんじゃ、人を米俵か何かの様に扱いおってからに。
「シャクラ、手」
手、ってなんじゃ? 手、って?
わらわはわんこではないぞ。
わらわはわざと両手を後ろに隠し、プイっと顔を背けた。
「はぁ~」
耳にルードナー陛下の大きなため息を拾えば、一気に不安が胸を支配した。
わらわは怒らせてしまったのじゃろうか。呆れされてしまったんじゃろうか? もう、わらわのような役に立たない掃除婦など不要になってしまったんじゃろうか?
「あ、……」
しかしこんな時ばかり喉が詰まって言葉が出ない。今ここを放り出されては、本当に行く場所などないのだ。わらわはちゃんと出来ているのだと、大丈夫だと、伝えなければならんのじゃ。
わしゃわしゃ。
しかし影が落ちたと思ったら、大きなルードナー陛下の手がわらわの頭を撫でていた。
驚いて見上げれば、初めて見る優しい目でルードナー陛下がわらわを見下ろしていた。
頭を撫でるいささか乱暴な手も不器用に大きく前後させているからそう感じるんだろう。ルードナー陛下の表情は優しかった。
「シャクラ、俺はお前に無理をさせたいわけじゃないんだ」
ルードナー陛下はそっと頭から外した手で私の腕をぽんぽんっと叩く。それに促されるように肩に入った力がスッと抜けた。
「初めての水仕事なんだ。そりゃあ今まで水になんて触れてこなかった手もびっくりしているだろうさ?」
だらんと力の抜けたわらわの腕をヒョイっと辿らせて、ルードナー陛下はわらわの手を目の前に暴き出す。
「あっ……」
小さく声が上がってしまったのは、見られたくない、知られたくない、そんな思いがあったから。
「馬鹿娘め。我慢するばかりが美徳ではないぞ」
おもむろにルードナー陛下が屈んでいた腰を上げた。するりとわらわの手も離れる。離れた温度に一抹の寂しさが募る。
あぁ、呆れられてしまったんじゃろうか。そう思えば妙に胸が重たく締め付けられた。
「たまには周囲を頼る事も覚えるといい。少なくとも俺もフミィも、ダルジャンだって助けを求められれば喜んで手を貸すぞ。俺達はフミィ流に言えば同じ釜の飯を食った仲間、友人だろう? お、あったあった」
ルードナー陛下はがさごそと執務机や書棚なんかを漁っていた。そして書棚の奥から木箱を持って戻ってきた。
取られた手に、一度離れたぬくもりが再び伝わる。
「んんっっ!!」
しかし次いでもたらされた激痛に反射で手を抜こうとする。するのじゃが、ルードナー陛下がガッシリとわらわの手を掴んで離さない。
「だーめだ、キチンと消毒しないとな」
鬼畜じゃ! ルードナー陛下は鬼畜じゃあ!
「わらわの血の滲む手指に一体何を塗り込んでおるのじゃ!」
「いや、何って普通に消毒液だろう」
ルードナー陛下はわらわの手にどっぺりと塗り込んでからやっと手を解放した。悔しいが、あまりの痛みから目には涙が滲んで今にも零れ落ちそうだ。意地でも零さないんじゃ!
わらわの手は清潔に清められルードナー陛下自らの手によってひび割れの箇所には軟膏を、それ以外にはしっとりとしたクリームを塗られていた。
背中を向けたルードナー陛下はそれらの道具を再び書棚の奥に押し込んでいる。
「のぅ、どうしてこんな風にわらわを気にかけるのじゃ?」
わらわは他の掃除婦達と同様の、いや、慣れぬわらわはそれ以下の仕事しか出来ておらん。まだまだ新米ゆえ、多少の早出や残務に仕事が長引くのも仕方ない。わらわは、自分の出来る範囲で頑張るしかないんじゃ。
確かに手は痛むが、それとてじきに慣れる。
「世間知らずのお姫様、お前は良くやってる。それでも女同士の世界には色々しがらみがあるようだ。俺は見て見ぬ振りをしていたが、流石に目に余る」
ルードナー陛下は何の事を言っておるんじゃ?
「分からないって顔だな」
カラカラっと笑ったルードナー陛下は、わらわの隣に腰を降ろした。間近に感じるムスクの男らしい香りにドキリと胸が高まった。
「これだけ広大な王宮内なんだ、掃除も数人のチーム制。そんで掃除の場所や時間なんかはシフトで組まれてる。ところがシャクラは毎日早朝の水仕事、そしてシャクラがそれに否やを唱えないもんで、皆がそれを静観してる」
目からウロコが落ちるとはこの事か。そうじゃったのか、じゃが不思議と悔しいとか、悲しいとかそんな感情は浮かんで来んかった。
「そうか。じゃが構わんよ? わらわはこうして早朝の澄んだ空気の中で汗水垂らすのもそう悪くないと思うておる。水は冷たいがほれ、こうして優しゅう手当てしてもらえたではないか。じゃからもう大丈夫じゃ」
わらわは今のままで構わない。じゃからルードナー陛下は何も言わんでいい。
「ははっ! そうか、そうか。シャクラ、前言撤回させて欲しい」
なんと、一国の国王が前言撤回を頼み出るとはまれじゃぞ?
わらわは首を傾げて、すぐ隣にある精悍なコバルトブルーの瞳を見上げた。間近に見た両の瞳のブルーは深く澄んで、まるで全てを見透かしてしまうかのよう。
「お前は世間知らずのお姫様なんかじゃない。お前は良くやっている。そしてお前は人として一番大事なものをちゃんと分かっている。シャクラは立派だ」
ルードナー陛下の言葉は予想外のもの。わらわを認める発言に、一瞬理解が追いつかない。
ぱちぱちと瞬きを繰り返すわらわの頭をルードナー陛下がぽんぽんと優しく撫でた。
わらわは何故か、今になって目尻から温かな熱が頬を伝うのを感じた。
どうしたんじゃろう? そう、そうじゃ、ずっと耐えていたあかぎれの痛みが遂に限界に達したんじゃ。……そうに違いない。