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居間に戻った俺はいまだ居座ったままの皇女に向かう。


「ダルジャン殿! 違うのじゃ、わらわは……」


気付いた皇女は俺に言い募ろうと擦り寄るのだが、一歩下がる事で距離を取る。


「出ていけ」


瞳を潤ませる皇女に対し、俺はなんの感慨もなく告げる。


「二度言わせるな。俺の家から立ち去れ」


俺のフミィを傷付けた傍若無人な皇女に湧き上がる怒りを抑える事に必死だった。なんとか声を荒げずに告げる事に成功した。ここで声を大きくしては、フミィが気に病むだろう。


蝶よ花よと甘やかされてきたんだろう皇女。こんな物言いをされたのは初めてに違いない。


キッと瞳に涙を溜めた皇女はわなわなとその肩を怒りに震わせている。


「わらわにかような仕打ち! 父上に言うてきびしゅう罰してくれるぞ!」


我儘な皇女は状況を何も分かってはいない。勝手に国を飛び出した皇女を誰も連れ戻しに来ない。


名乗り出るにしても何故陛下のおわす皇宮でなく俺の屋敷だったのかは甚だ疑問だが、少なくともテジレーン公国から正式に第三皇女の保護要請なども一切ない。


それはつまりテジレーン公国は、第三皇女の父である皇帝は、身勝手をした娘を既に切り捨てているのだ。


「ねぇシャクラ、ここにはシャクラの権力を笠に着た物言いにへつらう人は誰もいないんだよ」


俺が流石にうんざりして摘み出してしまおうかと算段していたら、炊事場の方からひょっこり顔を覗かせたフミィがそんな風に言った。


「だってここでシャクラの身分を証明出来るものは何一つないんだから」


フミィは手に持ったバケツと布巾をおもむろに皇女に差し出した。


「はい」


皇女は呆気にとられながらも反射でその手にバケツと布巾を受け取った。


「な、なんじゃ?」


「なにって拭くんだよ。だってシャクラお茶倒しちゃったんだもん。びちゃびちゃでしょ?」


ほらほらとフミィがやってみせれば、皇女は躊躇いながらもフミィを真似て拭き出した。


「こうか?」


「うん、上手上手」


皇女はローテーブルを拭き終えれば、そのまま床に散った飛沫も拭い始めた。


少し意外に思いながらも俺はフミィに任せて静観に徹していた。


「ねぇシャクラ、ダルジャンはああ言ってるけど、シャクラは私の親友に瓜二つなんだ。これも何かの縁だと思うんだよね。こんな時間からじゃ宿も難しいだろうし、困ってるなら私の友人として今晩だけ泊めてあげる」


「友人?」


してもらって当たり前の立場の皇女がまた腹を立ててああだこうだ言うのかと思った。しかし、皇女がフミィの言葉に噛みつく事はなかった。


ちなみに俺は皇女を追い出そうが泊めようが実はどうでもいい。フミィが泊めたいと言うのなら俺に異存はない。


「そうだよ。友達には上も下もないの。対等な立場でおしゃべりしたり、女友達なら買い物や料理なんてのもありかもね」


皇女はぱちぱちと瞬きを繰り返し、フミィの顔をじっと見つめていた。すると次の瞬間にはパッと花が綻ぶみたいに笑って見せた。


「そうか、其方はわらわの友達か。ははっ、ではフミィとやら、ぜひわらわを一晩泊めてくれ」


「ふふっ、いいよ。ほら、やっぱり女の子は笑った方が可愛いよ」


フミィは皇女の頭をくしゃくしゃっと撫でる。皇女はまるで猫みたいに気持ちよさそうに目を細めた。


その晩、皇女の寝台をどうするのかと憂慮したが、元々が俺が使っていた広い寝台だ。フミィと皇女はひとつの寝台で共寝するそうだ。


俺はポッと現れた小生意気な皇女を羨ましいだなんて思わない。そう、ちっとも思っちゃいない。


そして俺は重い溜息を吐いて立ち上がる。屋敷の外、フミィはまるっきりその存在に思い至っていないが、当然皇女は一人でここまでやって来た訳じゃない。皇女の侍女と近習、護衛役が2人の総勢4人を俺はフミィと皇女が去った居間に入れてやる羽目になった。








「ねぇダルジャン、今朝のフレンチトーストはシャクラと作ったのよ」


「なにを言うか。ほとんどフミィが作ったも同然ではないか」


明朝、すっかり仲良し姉妹のように寄り添って明るい笑い声を上げるフミィと皇女を眩しい思いで見る。我が家の居間がこれほどに華やごうとは誰が想像できたろう。


「ふふっ。初めてにしちゃ、殻も入らずに上手に割れてたよ」


「わらわは卵というのは白と黄色とばかり思っておった。生の卵とは白身が透明をしておるんじゃな」


フミィは己がされた事も水に流し、寛容さを見せる。フミィはまるで妹にでも接するみたいに皇女の世話を焼く。


「わらわは一晩で己がどんなに狭い世界に生きておったのか分かった気がするんじゃ。そもそも皇女であるわらわと寝台を分け合おうとする者など今までおらなんだ。わらわもまた、譲られるのが当たり前と思うておった」


俯きがちにぽそぽそと殊勝な事を言う皇女はもう、昨夜と同一人物とは思えなかった。


「いくらシャクラにだって譲んないわよ、私のベッドだもん。でもま、あんなに大きなベッドだから女同士、こそこそ話しながら夜更かしするには最適でしょ」


フミィはあくまで自然体。皇女を先にソファに掛けさせると、俺の後ろでビクビクとこちらを窺う皇女と同行の面々に視線をやった。


「さ、皆さんもよかったらおあがり下さい」


フミィは長ソファで掛ける皇女の隣、空いている場所とわざわざ持ち出してきた簡易椅子を指し示す。ところが一行の表情は青く固まり、動こうとする者はいない。


「……あ、あの、姫様と同席など、とてもとても恐れおおう御座います。私にはまだ私の援助を必要とする祖母と両親がおります。この職を失くす訳にはいかないので御座います」


皇女の侍女だろう娘が低頭して震える声で告げた。


「なになに? シャクラってば今までどんだけ横暴してきたの?」


メッ! とばかりにフミィがひと睨みすればシャクラはビクンと肩を震わせた。


とは言え、ここアルバンド王国においても貴族以上にあっては通常使用人とは食卓を共にしない。しかしそれが即座に解雇に繋がるとは異常ではある。


「皆、聞いてくれ。まずはわらわの今までの行いを詫びたい。理不尽と、横暴と、そう思う事も多かったじゃろう、すまなかった」


躊躇うことなく頭を下げた皇女に一同は戸惑いを隠せぬ様子だ。


「今更と、信じられぬと思うやもしれぬ。じゃが、少なくとも正式な書状すら持たず、己の身分を証明する事すら出来んここでのわらわが身分に奢る事など出来る訳がない。共に朝食を馳走になろうではないか?」


「まぁシャクラもそう言っている。座って食事にしよう」


ここでのホストは俺だ。俺の口添えでやっと面々は腰を下ろす。


正直どうでもいいのだが、フミィ手製のフレンチトーストが冷めてしまうのはもったいない。テーブルにはフレンチトーストと共に昨夜飲み逃したフミィのミルクティーもあった。二重にもったいないではないか。


ともあれ、これでやっと朝食に手を付けられる。俺は意気揚々とふわふわのフレンチトーストにフォークを入れた。まだ十分に温かいフレンチトーストは口の中で柔らかくとろけた。


「……のぅフミィ、ダルジャン殿、わらわはとんでもない事をしてしもうたかもしれん」


なかなか手を付けないなと思っていた皇女は、泣きそうな表情でそんな事を言い出した。


「長距離の移動に疲れておったのじゃ、癇癪を起こしたわらわはここへ来掛けに侍女を一人馬車から降ろしたのじゃ。それもまた、良い行いではないのじゃろう?」


「えっ!?」


これを聞いたフミィは即座にフォークを置いた。


「ダルジャン、保護しに行かなくちゃ!」


くるりと俺に向き直ったフミィ。直ぐにでも屋敷を飛び出していきそうな勢いだ。


「大丈夫だ、昨晩近習らから聞き及んでいる。既に人を遣っていて、無事に保護できたと報告も受けている」


ぽんぽん、フミィを腕を落ち着かせるように叩く。


「大丈夫だ」


「! そ、そっか!」


もう一度言えば、ぽかんと俺を見上げていたフミィは大人しくソファに掛けた。皇女はフミィの動揺を見て、更に表情を曇らせている。


良い行いではないのかと聞いた皇女にとって、不敬な、或いは不用意な発言をした使用人を駆逐する事にこれまで罪悪感は無かったという事。少なくとも皇女の日常においてはそれが普通だった。


その皇女の目には今、後悔の涙が光っていた。


皇女はフミィと共寝したたった一晩で今までの概念を覆す程に大きな影響を受けているらしかった。


「ダルジャン殿、ほんにありがとう」


俺に向かって頭を下げた皇女。瞳から溢れた涙が珠になって床に落ちた。


「あぁ」


俺は短くそれだけ答えた。皇女はしばらく頭を下げていた。








☆はじめて友人を得たお姫様の考察☆




「シャクラ、とりあえずこれパジャマにしなよ」


ポイッとフミィから手渡されたのは男もののシャツ?


まじまじと見つめるわらわにフミィは笑って言う。


「なーに? 寝るだけなんだもん、誰が見る訳じゃないじゃん。こうして袖捲っときゃ立派なシャツワンピースってなもんよ」


全てがわらわには初めての経験じゃった。


狭くはないが広くもないフミィの寝所。その寝所の大きな寝台に今夜は共に眠るのだと言う。


誰が見る訳でもない? いいや、わらわにはいつも誰かしらの目があった。常に見られても良い様に、それこそ寝屋も湯殿も、常に美しい所作に装いにと気をつかっておった。


「そちが居るではないか?」


「やーだ、私はシャクラがどんな格好でも気にしないもん。ま、腹出して寝てたら布団くらい掛け直してあげるけどね」


フミィはけたけたっと声を上げて笑う。


わらわはこの不思議な少女と居る事に居心地のよさを感じていた。自然体で気負わない、無礼な物言いもわらわを貶める類の物ではない。


わらわはくるりとフミィに背中を向けた。


「では、脱がせてたもれ」


「えぇ? 自分で脱げないの? あ、後ろボタンだもんね。どれどれ」


……そうか、それは前ボタンであれば自分で脱げという事か?


フミィは手早く後ろボタンのオーバードレスを脱がせた。


「はい」


やはりフミィは後ろボタンのオーバードレスを脱がせただけで、その下のアンダードレスに手を掛ける事はしなかった。


「ふむ、……ありがとう」


「どーいたしまして」


あっさりと返し、先にフミィはドサリと寝台に腰掛けた。


わらわは初めて父皇帝以外に『ありがとう』の言葉を使った。それは存外悪くない気分じゃった。


感謝の気持ちを示すこの言葉。不思議と心がふんわりと綻んだ。






「なんと! フミィは27歳とな? 我が国では立派な行き遅れぞ!?」


フミィと共の寝台に潜り込めば、物心ついてから初めて感じる人肌の温度。しかしその心地よい温度もフミィの爆弾発言にわらわの体温が急上昇じゃ。


「ちょっ! 声が高いってば。それに行き遅れってすっごい失礼。私、敢えて行かない独り身希望だから」


フミィは慌てた様子でわらわの口に人差し指をあてがった。


いかん、淑女がはしたなくも声を荒げてしもうた。しかしフミィとは同じ大陸共用語で話しておるのに、たまに理解できぬ事があるのじゃ。


「? 望んで嫁に行かんのか? それは女としての幸福を自ら放棄するという事ではないか?」


「えー? 自立してお金を稼いで生計を立てる、最高に幸せじゃん。それにこの世界って基本お見合い結婚が主流でしょ? それって私に言わせりゃ博打みたいなもんよ。ダメ男に捕まって、苦労するリスク高っかいと思うよ。まぁダメ男とまで行かなくても、性格不一致の冷めた家庭とか多そうだし」


冷めた家庭? そんな物はまだ可愛い。わらわが知る父上の後宮はまるで魑魅魍魎が跋扈する修羅場。


やらねばやられる。弱ければ淘汰される。


父皇帝への畏怖から媚びへつらいはするが、父親としての親愛の情など感じた事は一度とて無かった。


「フミィ、その自立した女とやらにわらわもなれるじゃろうか?」


フミィは見上げたわらわの頬をつんつんと突いて遊ぶ。そう言えば最初の時にわらわの頬を、ぷにぷにだのと申しておったわ。


「なれるなれる。私が出来てんだからシャクラに出来ない訳ないじゃん」


コテンと首を傾げて何でもない事のように言ってのけるフミィは何も分かってはおらぬ。フミィほどに才ある女をわらわは知らん。いいや、男も女もない。フミィの才ならば一国の舵取りとて出来てしまおう。


「……そうか。わらわも精進せねばならんな。フミィ、そなたはわらわの師匠であるぞ」


わらわも阿呆ではない。本当の所は分かっておったのじゃ。父皇帝の寵愛を失う恐れとて十分にある今回の出奔。それを焦燥に煽られるように強行したのはきっと、過渡期と思うたから。変わるのであれば今が最後のチャンスと思うたのじゃ。


「えー、なにその大層なの? あ、そうそう。私ばっか歳カミングアウトさせてさ、シャクラは何歳なのよ?」


わらわはテジレーン公国ではもう十分に適齢期じゃ。父上の覚え目出度いわらわの許嫁は評判も良い好青年が宛がわれていると聞く。しかし、わらわはそれに素直に甘んじる事にどうしたって抵抗があったのじゃ。


そこで偶然に目にしたダルジャン殿は確かに眩しく、テジレーン公国の男貴族にはない清廉な空気を纏っておると思うた。


好ましく思うたのは事実。しかしそれは恋情ではない。


それでも、わらわは澄んだ空気を孕むダルジャン殿に未来を見たかったんじゃ。それしか縋るものが思い付かなんだ。


そっと物思いに瞑っていた瞳を開く。あぁ、ここはなんと温かな場所であろうか。


「ん、わらわの年じゃったか? わらわは14じゃ」


「えええぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


なっ!!


何と言う耳をつんざく大声を上げるのか!


今度はわらわがフミィの口に慌てて人差し指を立てた。先程のわらわなんかよりも余程フミィの方がけたたましいではないか。




その後、わらわは結局一睡も出来ぬまま朝を迎える事になった。


ところが驚いたことに、この晩のわらわは眠れぬ事をちっとも辛いとは思わなんだ。フミィの話に興奮し、頭はキンキンに覚醒しておった。早々に眠る事など諦め、フミィの語った話に一人酔いしれた。


朝方まで語らっていたフミィは今、隣で健やかな寝息を立てておる。掛布を蹴り腹を出しておるものじゃから、わらわが掛布を引き上げて掛け直してやった。


沢山の話をした。わらわは後宮という限られた場所しか知らぬ故、フミィの今までの暮らしぶりを聞くに、まるで異界の話でも聞いているようじゃった。


フミィという女はまこと稀有な存在じゃ。少なくともわらわが14年生きてきて出会おうた誰よりも余程信頼できる。


強く、正しく、清らかに眩しい。わらわが昔、本に読んだ聖女とはまさしくフミィのような女じゃったっけ。対するわらわはまるで魔女の所業ではないか。


わらわは己という存在が、消え入りたい程情けなく恥ずかしかった。




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