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ガッシャーン!
「フミィから手を放せ!!」
踏み込んだ瞬間、俺は躊躇わずにグリゼダム将軍に向けて飛び道具を放つ。先端に付いた刃がフミィを掴みあげるその腕に命中した。
考える暇など無かった。グリゼダム将軍の剛腕に掴みあげられてはフミィなどひとたまりもない。その状況を見れば一刻の猶予も無かった。
グリゼダム将軍の剛腕とて腕の腱を切断されればその指が反射で緩む。
フミィは床にドサリと落ちた。
かなりの高さから落とされたが、咳込みながらフミィのその背が激しく上下するのを見れば、俺は間に合ったのだと、その命の灯は未だ繋がっていたのだと、この時ばかりは神に感謝した。
駆け寄ってフミィを抱き起す。
「ッゲッホ、…グッ、ゲッホッ、ダッ、…ャン」
背を撫で擦り、うまく声の紡げないフミィに首を振る。
「しゃべろうとしなくていい! ゆっくり、ゆっくり呼吸するんだ!」
横目にバーガンがグリゼダム将軍を拘束するのを見る。功労への温情から命を繋いだグリゼダム将軍に、その意味を理解して欲しかったが、俺が甘かったと言う事だろう。
「大丈夫か? フミィ、もう大丈夫だ」
咳の発作が治まってもガクガクと震えの引かないフミィの背を、トン、トン、とずっと一定のリズムで叩く。
やっと呼吸が整ったと思ったら、フミィがもぞもぞと俺の腕から顔を上げた。
「グリゼダム将軍」
フミィの声は酷くしわがれていた。それでも、細かく体の震えが止まらない筈のフミィはしっかりとグリゼダム将軍を見据え、その名を呼んだ。
その声にグリゼダム将軍を引っ立てていたバーガンが足を止めた。名を呼ばれたグリゼダム将軍がゆっくりと俺とフミィを振り返る。
「グリゼダム将軍、やはり貴方は北の大地に発たれて下さい」
?? 北の地? フミィは何の事を言っている?
これには言われた当の本人、グリゼダム将軍もまた怪訝な表情でフミィを見ていた。
◇◇◇
「グリゼダム将軍、やはり貴方は北の大地に発たれて下さい」
ダルジャンの腕に守るように抱かれ、一定のリズムで背中を擦られれば、なんとか呼吸も落ち着いた。
喉が絞られるみたいに詰まるけど、これだけは伝えなくちゃならない。私はこれが伝えたくてグリゼダム将軍に会いたいと思ってたんだ。
理由はどうあれ、グリゼダム将軍が多くの命を守ってきた事もまた事実。ならばこそ、
「北は痩せた厳しい地です。アルバンド王宮で煌びやかな舞踏会が開かれるその裏で、その日食べる物にも困る民がある。一度不作に陥れば赤ん坊や老人、弱い者から犠牲になる。そこでの暮らしもまた、命懸けとは思いませんか?」
平和の中では生きられないとグリゼダム将軍は言った。
だけどそれはグリゼダム将軍の真実なのか。
いいや、何が嘘で何が本当かなんて私には分からない。それはグリゼダム将軍本人にしか分からないところだ。
「医者もない最北の町、そこの教会では高齢の神父様が町人を纏め、アルバンド王国中枢を相手に嘆願を送り、孤立奮闘しておられました。それこそ町人の為に命を懸けて。その神父様が先だって身罷られたそうです。その後任に、私は貴方こそが立たれるべきだと、そう考えます」
弱きを助け立ち向かう、厳しい大地にあってそれこそ命懸けで。だけどグリゼダム将軍には中央で燻るよりも、この方が余程似合いだと、私にはそう思えた。
グリゼダム将軍は私の突拍子もない提案に驚き、目を瞠っていた。
「あ! ダルジャンもバーガンさんも、コレただのごっこ遊びですからね! 私達、よもやま話に花を咲かせてちょっとヒートアップしちゃっただけですから!」
少々、いや、かなり無理があるけど私は押し切る。敢えて軽い調子で喉元に刻まれているだろう指の痕をコレコレ、と指差してみせた。
「って、本気かぁ!? 今回のコレ、不問にしたいってか!?」
呆れたような声はバーガンさんから上がった。ダルジャンは苦い表情のままで、けれど納得できない、そう全身が訴えている。
果たしてグリゼダム将軍に私を殺す意思があったのか、それもまた真実は誰も知れない。もしかするとそれは、グリゼダム将軍本人だって知れない可能性もある。
それもまたいいじゃないか、私は今こうして生きてる。かつてのダルジャンもまた、グリゼダム将軍によって生かされてる。他にもグリゼダム将軍に救われた命が確かにある。
それで、いい。
「フンッ。変わった娘だ」
グリゼダム将軍は皮肉に顔を歪ませて、背中を向けた。
***
フミィを腕に抱き、グリゼダム将軍の屋敷を出る。バーガン率いる小隊にはここで解散を言い渡す。
「ダルジャン、これは貸しだかんな」
「すまない。恩に着る」
ひとまずはバーガンが上手くやってくれるだろう。
俺は今、一刻も早くフミィを休ませたかった。
「……ダルジャン、ゆっるーって、思った?」
ぽつりとフミィがそんな事を溢した。
「……いいや」
俺の答えにフミィはかすかに笑みの形をつくった。
俺のフミィを害そうとしたグリゼダム将軍に対して思うところは多い。当然フミィの嘘っぱちを鵜呑みになどしていない。
けれど、フミィの心を尊重したいとも思うのだ。
フミィはやはりシルフなのだろうか? 美しくしなやかな思考は、いっそ艶やかで眩しい。俺だけのシルフ。
フミィ、俺はお前に誇れる男でありたい。
「はぁ、ダルジャン。ちょっと色んな事があり過ぎて疲れちゃった」
ぽふん。
フミィがその軽い頭を俺の胸に預ける。サラリと音を立てて流れる黒髪の間から覗く真っ白な首に赤黒く指の痕が浮かぶ。
痛々しい、そんな俺の心の声は知らず口から零れていたんだろうか。
「ううん、もう痛くも苦しくもないの。ただ、色々あったからかな、すごく眠い……。あぁ、トイレにも行きたいかも……」
そのままフミィの首からカクンと力が抜けた。
「フミィ」
フミィを抱く腕にそっと力を籠める。俺のシルフ、覗き込めば誘う桜色の唇は甘そうで、今は瞼に隠れた射干玉の瞳は見る者全てを魅了する。
抗えない、俺はもうとっくに魅せられてしまったんだろう。誰の目も無い事に甘んじて、そっと一瞬甘く蕩ける桜色を食んだ。
そうしてこの一週間後、屋敷を畳んだグリゼダム将軍はその手にラクーンのマフラーを握り締め北の大地に一人旅立っていった。
☆この後一波乱を起こすお姫様の考察〔ちょこっと〕☆
わらわは一目見て気に入ってしまったんじゃ。
大きな体躯に色素の薄い神秘的な佇まい。彼の方の国では不吉と蔑まれているというその色彩。じゃが、わらわにはとても美しく思えたのじゃ。あの美しい人を手に入れたい。わらわだけの物にしたい。
「姫様、まもなくアルバンド王宮でございます。お疲れではございませんか?」
この侍女は何を戯けた事を言っておるのか? 船での長旅に続く馬車での移動、疲れていない訳がないというに。
「そち、此処で降りれ?」
阿呆みたいに惚けた顔。この侍女は耳までが悪いのであろうか?
「ひ、姫様?」
「降りれ」
わらわの再びの言に近習の男ともう一人の侍女が女を引き下ろす。
「ヒッ、ヒィィィィィ!!」
うつけ者はわらわの侍女にはいらん。
わらわは馬車に追い縋るように走る女を窓からぼんやりと眺めていた。